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さて、例の武術大会が先日終わりました。 武術はさておき、中国語での通訳見習い、どうだったかと言うと、 今回も敗北! 私って、やっぱり、にぎやかし要員というか、 面白いこと言って笑わす、とか、 場をなごませるっていうのは、自然にできるし、 その他の緊急でも重要でもない会話も、まあできる。 (老師に、”コーヒーお飲みになりますか?お砂糖は?”とか、) しかも、ぱっとその場の状況を見て、 必要とされる作業を自ら探してやっていくっていうのはかなり得意なタイプだから、 マイナーな意味では適任とも言えますが、 ただ、通訳の一番主な仕事がお手上げ... わかっていたけど、中国語レベルの低さを痛感しました。 例えば、進行、音響の人が老師の出番の打ち合わせにきて、 「コートの奥に老師に立っていただいて、説明のアナウンスと同時に中央コートに進んでほしい。」とか、 「説明が終わって、音楽のキューはいつですか?そのキューは誰が出しますか?」 「音楽は、どうやって切りますか? 曲が終わるまで待ちますか?それとも、老師が終了した時点でじょじょに小さくしますか?」 それも、老師の出番も迫り、司会の人も音響の人(私の先生や先輩)もあせっていて、そんな状況で、 上記のことを伝えたりしなければならず、 む、難しいわ! 間違えるわけにはいかないので、 メインの通訳さんにもヘルプしてもらいながら、(彼女も忙しいのに) もう、冷や汗~! そんな中に、自分の出番もいくつかあり、緊張の連続。 着替えに走り、武器を持って走り、招待客の接待、案内もあり、会場を走り回ってた私。 4時半に終わり、撤収の片付けなどでバタバタし、 会場を出ると、とっぷり日は暮れ、エネルギーゲージは0パーセント... 打ち上げに行く気力も、もちろんなし。 やりきった感と、駆け抜けた感にひたりながらの帰り道、 「なんやかんやで中国語の勉強、たるんでたナ~。 もっと、必死にやってみよう!」と固く決心したのでした。 なんですが、毎回思うこと。 日本において、中国語って、チャンスが来やすいと思うのです。 例えば、私みたいな ”初級に毛が生えた中国語レベル” でも、 こういう通訳見習いのようなお役目が、ひんぱんに回ってくるのです。 これが、英語だったら、どうかな~? 英語だったら、もうちょっと競争が激しいというか、 上手な人も多ければ、初級、中級の人も多く、ニーズも多いけど、 それを分け合う分母も多いしね。 中国語って、英語に比べると習っている人が少ないし、 他にも習っている人数の少ない言語もあるけれど(英語に比べて)、 それらの言語に比べて、日本におけるニーズは多い。 分数で私の言いたいことを書いてみますね。 (注:数は適当。あくまでも私のイメージ) 分母=日本でその言語を習っている/いた人の数、 分子=その言語の日本国内でのニーズ/チャンスとすると、 ・英語 85分の40 ・韓国語 15分の10 ・中国語 20分の35 と、こんなイメージでしょうか? 中国語って、分子が分母より大きいから、レベルのいかんに関わらず、 「あ?ちょっとでもわかるの? 猫の手も借りたいから来て~!」 になり、「実地の」チャンスが多いと思うのよね。 えてして、 例えば、英語なら、 英語のレベルが上がってから、 TOEICである程度のスコアを取ってから、 仕事なりなんなりで実際の英語を使うスタート地点に立ち、 実地での英語訓練の旅?が始まるパターンに比べ、 (そうじゃないパターンも、もちろんたくさんありますが) 中国語って、レベルうんぬんの前に、 実地で使う場面に放り込まれるパターンが多い気がするのよね。 (私なんか、ド初級の頃から、本当に気づくと、放り込まれてたパターン。) などなど、同じ外国語でも、日本での状況の違いってあるな~、と考えてたりしたんでした。 ま、それはさておき、 せっかく、使わざるをえない機会が多いのだから、 せっせと中国語、勉強するよ~! (実は、今週もまだ、いろいろ中国語を使う機会に放り込まれます) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 1, 2020 03:16:37 PM
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