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2008年03月07日
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カテゴリ:音楽
プッチーニ生誕150年の今年 いろいろなところでプッチーニの曲が流れます。

4月12日(土)15:00~ 渋谷エレクトーンシティでケイ企画主催のプッチーニ特集の公演に内村寛治が出演します。

プッチーニ(1858年12月22日 - 1924年11月29日)はイタリアの作曲家。イタリアのルッカに生まれ、ベルギーのブリュッセルで没しました。18世紀から続くルッカの宗教音楽家の家系で、器楽作曲家もいましたが、唯一オペラ作曲家を目指し現在まで世界的音楽家として名声を残したのはジャコモ・プッチーニだけです。

5歳のときに父親が亡くなり、叔父フォルトゥナート・マージに育てられました。最初は教会オルガニストの職につきましたが、ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『アイーダ』の上演に接して、オペラ作曲家を志しました。

イタリアの二大オペラ作曲家といえば、ヴェルディとプッチーニ。

1880年から1883年までミラノ音楽院にてアミルカーレ・ポンキエッリとアントーニオ・バッジーニに師事。

1882年には、出版社ソンツォーニョ社主催の1幕物オペラの作曲コンクールに参加しましたが、入賞することはできませんでした。提出作品『妖精ヴィリー Le villi』。プッチーニは筆が遅く、提出期限ぎりぎりに提出し、しかも乱筆だったため判読不可能だったことが入賞できなかった原因と考えられているようです。

しかしこの作品は後に1884年に舞台化され、出版社リコルディ社主ジュリオ・リコルディに注目されるきっかけとなりました。こうしてリコルディ社の依嘱によって作曲されたのが、1889年に完成された2作目のオペラ『エドガー』。

第3作の『マノン・レスコー』は大成功となっただけでなく、優れた台本作家ルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザの協力をももたらすきっかけとなり、この2人の協力のもとに、『ラ・ボエーム』と『トスカ』、『蝶々夫人』の3曲が書かれました。

1902年(または1903年)の2月下旬、珍しがりやの性格から、自動車を手に入れさっそく乗り回していたところ、交通事故を起こし、脚を骨折。

1906年にはジャコーザが他界。

1909年には、プッチーニの妻エルヴィーラが誤解から、プッチーニが女中と浮気していると責め立て、疑われた女中が服毒自殺、エルヴィーラが起訴されるというスキャンダル(ドーリア・マンフレーディ事件)に発展。

1912年には、恩人であったリコルディ社社主ジューリオが世を去るなどなど大変な時期がありました。

1910年に会心の作品『西部の娘』を完成させ、1917年には『つばめ』を脱稿。


<三部作>『外套』『修道女アンジェリカ』『ジャンニ・スキッキ』の3曲の1幕オペラの連作は、1918年に初演されました。


1924年に喉頭癌の治療のために滞在中のブリュッセルで、合併症から急死しました。最後のオペラ『トゥーランドット』は未完成のまま遺され、そのフィナーレは、彼の遺稿も参考にして友人フランコ・アルファーノが補筆しましたが、その大部分は世界初演時の指揮者トスカニーニが冗長と見做してカットしたため、その短縮した版が今日用いられています。


コンクールに通らなかったオペラ「妖精ヴィッリ」のあらすじはドイツの黒い森と呼ばれる地帯が舞台になっています。婚約したアンナとロベルトを村の人たちが祝っているところから始まり、伯母の遺産を受け取るために旅だたなければならないロベルトにアンナは不吉な夢の話をします。それをふり切って旅立ったロベルトは妖婦の誘惑に落ち、帰りを待ち続けたアンナは死んでしまうのです。黒い森の伝説によると、乙女を裏切った男は妖精ヴィッリに復讐をされるとのこと。アンナの父 グリエルモはヴィッリたちに復讐を頼むのです。妖婦に捨てられ、後悔にうちのめされながら、ロベルトがグリエルモの家の前に立つと、身体がいうことをきかず、アンナの声が聞こえ、恨みをいいながら、彼を招くのです。ヴィッリたちが取り巻きロベルトは逃げられず、ついに踊りながら息絶えてしまうのです。

このロベルトのアリア 「ここがあの家」~を 4月12日(土)渋谷エレクトーンシティでエレクトーンの伴奏で内村寛治が歌います。プッチーニ生誕150年 プッチーニの数あるオペラであまり知られていないものがたくさんあります。どれもいい曲です。なかなかそういう曲を聴く機会がないのが残念ですね。


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最終更新日  2008年03月07日 15時49分08秒
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