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カテゴリ:独り言
お正月も 終わって 一月も 残す 所 約 一週間となりました 二月は 逃げる 三月は 去ると 良く 言われて おります この分だと アット 言う間に おわりそうですね~? アラ還としたら 思い起こせば あっという間でしたね あの死ぬほどの苦しみ 旦那の浮気に 金銭問題のどん底 良く切り抜けてきたものだ 貧乏で『お金もないのに 腰を痛めて 働けなくて 家に居た私に 今月分は まだかと 催促された 鬼婆 義父 他界した時も 家族会議には入れてもらえず いきなりの 仏壇買うから 数十万 入れろと そして 毎月の仕送り 勝手に決められ 小姑は こんなものだと 面と向かって言われて とても 辛い思いをした。 電話がかかって来た時は お金の工面ばっかりでした まっ 確かに血の繋がっていない 連れ子 連れて 結婚したから 少しは 負い目があったのは 確かだったし~ 二度と失敗はしたくないと言う 一心で とても つくし続けた 朝夕 仕事に行ったこともあり 相変わらず 宴会親父だから 部下を連れては 毎夜毎夜の スナック通いの 大判振る舞い 米代も 飲み代と 変わった事は しばしば それでも 実家の母に借りたりで 大変 迷惑か掛けてしまった 姉も 何かと 私の子を 子ども同然に 世話してくれて 季節季節には 着る服を やまほど 買ってきてくれた ショーウィンドー覗くたびに 可愛くて 着せたいと思ったそうです? その姉も 母の面倒を見て独身だったから 私の子が 可愛くて 可愛くて 良くしてくれ そんな大好きな 姉兼 母親みたい存在で~ すくすくと 育ててもらいました。 そんな 大好きな 姉が 肺がん亡くなって 働き過ぎも 有ったのと 精神的に 疲れたのもあったのか? 結婚することに成りました 環境の変化 嫁ぎ先への いらん気を使い 結婚して 一年足らずで 他界しました その間 母と 女2人で 数十年 爪の垢をともすように貯金や 十分の保険を 掛けて 将来に 備えて いた ものの 見事 一銭残らず 結婚した 相手に 取られました 残ったのは 捨てる 下着ぐらいでした 姉は ミナミんお店で 仲居さんをしていて ミナミ歩けば お客さんに 何人も 追うほど 結構 名が通っていた 一緒に歩いてたら 一宿 頭を下げて 通ったのを 覚えてる 結婚した 旦那には 何一つ して貰ってないし~ それよか 結構な 着物や 貴金属 ミンクのコートなどなど アッチ 家族に 形見分けされたようだ やっと 亡くなって 二十年の月日が・・・ 苦しさも 薄れてきて 語れるようになった 看病 母は 毎日 病院に付き添いに行って その苦労と 心労とで 姉が亡くなったあくる年に あっという間に亡くなった。 姉の一周忌と 四十九日が 一緒だった ずっと 姉と母は 一緒に苦労っして 一卵性の親子だったから~ 姉が 寂しいから 呼んだのだろうね それで 私は むしろ良かった 天国で 幸せに 仲良く一緒に居ると 思うから~ 寂しくないよ~
道がそれちゃったけど 鬼婆が 風のうわさで 亡くなったらしい? 少しは 寂しく思う事があるけど 涙は 出ない!! 何一つ して貰ったこと話ないし~ だんだん 自分も いい年になって来て いつ お迎えが来るかもしれない? 悔いはないし σ(-_-)ワタシごと1人いなくても 悲しいのも 物の三年ぐらい 後は 自然に 薄れて 来るもの 順番だし~ 葬式も なにもいらないし~ 何の欲もない~ 天命を 静かに待つだけ~ やることは (*^^)v v(^^*) ヤッタネッ! ちょっとやそっとのことでは めげません 殺しても 死なないかも? o(*^▽^*)oあはっ♪
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