人生に失敗はない
「人生に失敗はない」私が何度もこれまで書いてきたテーマなのでまた〜という感じもありますがでもこれを頭での理解でなく腹で理解している人は、少ないなあと感じます。私たちは人生の中でいつも選択や決断を行っています。結婚するかどうか、仕事をやめるかどうか、子供を生むかどうか新たなビジネスを始めるかどうかなど、その決断によって大きく人生が変化するような時だけでなく人生はあらゆる瞬間において、選択の連続です。キネシオロジーのセッションの中でこの選択や決断が苦手な人を見ていくと最もあがってくる感情が「失敗することの恐れ」です。失敗への恐れがある、ということはこれまでの人生での選択に何か失敗があった、と感じているということです。そして、その根底には、人生には到達するべき目標や何かがあってそこにすぐに到達しなければ、失敗だと認識する、ということを意味します。ですが、人生はすべてプロセスです。例えば、ある人が今、Aの仕事にするか、Bの仕事にするか迷っていたとして本当の問題はどちらを選ぶか?ということではないのです。もしその人が迷ったあげく、Aの仕事を選んだとしてそれが上手くいかなかったとしたら「やっぱりBを選ぶべきだった」と後悔するかもしれません。その後悔を経験をすると、次はなかなか決断できない人になってゆきます。でも、実際は、もしBを選んだとしても上手くいかなかったかもしれないしAを選んでやってみたことで、そこから何かを得て新たにCという道が見えてくることもあるのです。上手くいかないことから学ぶことは、とても大きいのですが多くの人は最初から上手くいくことをよしとしてしまいます。自分の天職や使命を知りたい、という人は多いですが人が最も喜びに満ちてできる仕事を天職と呼ぶとしたらその天職にたどりつくために、他のことを学ぶ必要があることもあります。これも何度か以前に書いてきましたが今のヒーリングやセラピーの仕事は私にとっての天職だと思っていますがここに辿りつくまでにシンセサイザーのデモンストレーターや楽器の営業職やホステスや塾の講師やバーテンダーやウエイトレスなどいろんな仕事を経てきました。それらの仕事をやっている時に、これが天職だ、とは感じていなかったですがそれでもベストを尽くしてきたし、最大限に楽しんできました。何よりそれぞれの場所での人間関係やコミュニケーションから学んだことは今の私のヒーリングの仕事にすべてプラスになっていてそこでの学びがなければ、今の私はなかったと思うのです。もちろんこれは、ヒーラーになるためには、いろんな仕事を経験しなければということではありません。人によっては、一足飛びにヒーラーやセラピストへの道を歩む人もいるでしょうしそれはそれでその人にとってベストの道なのです。例え、今あなたが何をやっていたとしてもそれはあなたの人生で必要なプロセスです。ですから、決断できない人の問題は、どちらを選ぶか、ではなくなぜ決断できないか?ということにあります。例えば、AかBか迷っていて、サイキックや占いの人にあなたは「Aですよ」と言われて、Aを選んだとしても自分で決断できないことの問題はより深くなります。私のキネシオロジーのセッションで、その人の魂レベルではどちらを選択したいか?ということを身体に聞いていくこともありますがそれと同時に、その決断を防いでいるものが何かを見てそれを手放し、決断できる人になることが何よりも大切だと感じます。さて、決断できない人は本当の自分はどうしたいのか?が見えていないつまり前回書いたように内観の力の弱さとともに自分の選択を信頼することができない人が多いですが少し前に「自由でいたいという意識」のところで書いた他の人の感情にまで責任を取ろうとしている人も他者との関係において、決断力が弱くなります。会社で今後の新たな方針を決定する、などの大きな問題でなくても例えば、友人と食事に行くのに、自分がレストランを選ぶともしそのレストランの料理がおいしくなかったら困るなどと感じ、自分では決断できずいつも相手に任せるとしたらそれは、不要な責任を負っている、ということです。そういう人は相手がレストランを選んで、例えおいしくなかったとしてもいいのですが、自分が選んでおいしくなかったら責任を感じてしまうのでその責任(実際は負う必要がない)から自由でいるために、自分で決断できないのです。親が子供に対して、子供が失敗しないようにといつも気を使っているようなケースでは子供の決断力は弱くなる傾向にあり大人になっても決断できない人になってゆきます。親は、子供に対して「あなたは何をどうやっても大丈夫よ」と信頼し例え、上手くいかなかったとしても、あたふたせずにそれはそれで経験できてよかったね、というスタンスでいれば子供は失敗を恐れなくなるし、自分で決断することができるようになります。一方、キネシオロジーのセッションを受けて、多くの人たちが言われることの一つに「もっとこれを早く受けておけばよかった。なぜもっと早くこのヒーリングに出会わなかったのかしら?」ということがあります。すべてはベストのタイミングで起こることをよく知っているおさむでさえ「俺がもし子供の頃にこのヒーリングを受けていたとしたら小学校からずっと苦痛な学校生活を送る必要はなかったのに〜」と半分冗談、半分本気で言っていました。ですが、やはりヒーリングやセラピーを受けるタイミングもすべて完璧であって失敗はないのです。おさむは、その辛い子供時代を過ごしてきてヒーリングでそれらの抑圧された感情や思い込みを手放して人とコミュニケーションを楽しむ自分に変化したことでより今の喜びを感じることができるしそして、それは彼がセラピーをやっていく上で同じ問題を抱えた人たちの要因がどこにあるのかが見えてきます。(その問題を抱えたままでは、何も見えてきませんが)そして、私はそのおさむを通じて人とのコミュニケーションが上手く取れない人たちの問題に気づくことができるのです。例えば、自分への深い信頼、ということにおいて私はこれまでの人生で、何かができないから自分はだめだと感じたことは、たぶん一度もないように思います。キネシオロジーのセッションを始めたばかりの時も当然、筋反射を上手く取れないこともあったし、目標設定が上手くできないことも何度もありましたが、私にとってはそれはそういうもので、いずれ見えてくるだろうと思っていたので、どんどんセッションを重ねることができたしだからこそ、今、ここまでやれるようになったわけです。一方、おさむは、今は変わりましたが以前は、簡単に落ち込む人ですぐに「おれはだめだ〜」になってしまう人なので私はよく「ひゃ〜また落ち込んでる〜(エネルギーがよどんでいるので)近寄らんどこ〜」などと冗談で言っていました(←慰めないひどいやつ?)彼の場合は、何かが上手くできないということが自分への不信頼につながるのです。おさむだけではなく、簡単に落ち込んだり挫折する人は多いです。例えば、ヒーリングのクラスなどで新たな技術を学んできて実際に家族や友人にやってみると、クラスの中では簡単にできたことが上手くいかない、などということが起こります。そして、何人か続けて上手くいかないと「私にはこれは向いてない」とやめてしまう人が多いのです。たった3人ぐらいで挫折する人が多いので「3人挫折パターン」と私は呼んでいますがそういった人たちの何が根本的な問題なのか?例え、私自身の経験からはわからなくても、おさむや他の人たちを通じて、見えてきます。人はその1回の人生では、すべてを経験することはできません。ですが、出会う人たちを通じて自分が学んでいないものに気づくことができます。先日、クライアントさんで「夫と価値観が違うのですが」と言われた方がいらっしゃったのですが私から見ると、最初から周りの人たちと全く同じ価値観だなんてなんとおもしろくない人生かしら?と思います。違う価値観、違う人生経験、違う考え方、だからこそ自分が気づかなかった意識を知ることができて人生はより深く、豊かになってゆくのですから。一方で、また話がちょっとずれてしまうかもですが「人生に失敗はない」のは普遍的な真理ですがかといって「人は経験から学ぶ」とは限らないということです。苦労や辛い経験を超えた人が、何か真理を学んでいるわけではありません。ここを理解していないと、苦労自慢する人になったり困難を乗り越えなければ人として成長しないなどという歪んだ信念体系ができあがります。人は時にその経験から学ぶべきこととは、全く違うことを「学んで」います。あるクライアントさんでその方は、以前、自分がわくわくする分野で得意だと感じていたことを学んだ後それを仕事をしようとあらゆることをあれこれやってみたけれど結局、上手く行かず挫折して今は他にやりたいことを探しています、という方がいました。その方は、自分はさんざん努力してもだめだった、もう他には道がなかったと「その経験から学んだ」と思っているのですが身体の声を聞いてゆくと、要因は別のところにありました。上手くいかなかったのは、その人が、人からのサポートを得ることをせず自分だけの頭で考えて、あれこれやってきたことにあったのです。人が自分で知っていることなんて、ほんのわずかなものですがいろんな人の力やアイデアを得ることができれば自分の得意な分野でそれを生かしてゆく道が必ずあります。その人がその経験から学ぶべきことは「その仕事は自分には向いてない」ということではなく「自分一人でやらず、他の人とつながって人からのアイデアや力を得る」ということでした。でも、例えその方が今、キネシオロジーのセッションを受けなかったとしてもいずれ、あれこれと他の仕事を探してみて、結局、自分にはこれしかなかったということに気づくかもしれません。それが何年先か、今すぐか、の違いだけです。そして何年先になったとしても、そのプロセスもまた必要ということです。キネシオロジーは、その人の人生での学びのプロセスを加速させると私は感じています。時には、その人が何年もかけて気づいてくることをたった1回のセッションで気づくことにもなります。もしも、おさむが子供の頃にこういうセラピーを受けて人とのコミュニケーションを楽しむことができたとしたら全く違う人生になったことは間違いないですが結論から言うと、どちらでもいいのです。ゲームのステージ1からスタートするのもステージ7からスタートするのも両方のよさがあります。人生はすべて自分の選択の結果だとも言えるし、その選択するということも含めて人生はすべて運命で決まっている、とも言えます。ですから、小さな子供の頃にセッションを受けてもそれはそれでベストのタイミングです。わざわざ苦労や困難を経験してから、それを癒すというプロセスを経てゆく必要はありません。子供の頃からこういうセッションを受けていればより楽に人生を歩くことができますがまた別のレベルでの学びが必ず待っていますから。困難から学ぶ、というあり方ではなく喜びから学ぶというあり方です。人生は何かを達成したら終わりではなく、永遠にプロセスです。ですから、今、あなたがどんな場所にいても完璧であって何を選択したとしても、何一つ失敗はないのです