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2009年10月27日
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カテゴリ:つれづれ
 
昨日、突然、大学時代の友人から連絡があって、とても懐かしくて
久々に当時のことを思い出しました。

なんでも、彼女の妹さんの友人がNYに住んでいて、私のことを
ご存知だそうで、最近、妹さんから私の話を聞いて
懐かしくなって連絡してくれたのだそう♪
その方がどなたかはわからないのですが、
世の中、狭いとはよく言いますけど
ほんと、みんなどこかでつながっているのだなあと感じます。

昔の自分を知っている人というのは、何だかとても不思議な感じです。
今の私とは性格も考え方も全く違う私を見ていたわけで、
それは私自身でさえ、もう定かではない感覚になっているのだけど
でも、たぶん、彼女の中では私というものは
今出会ったとしても、あの頃から変わらずに存在しているのだなあとウィンク
最近出会った方が私に対して感じていることと、
昔の私を知っていて、今の私を知る人とでは
私への感じ方は、全く違うのでしょうね。


先日、おさむと話していたことは、
「10年前のことを思い出すと、まるで前世の記憶のように感じるね」
ということ。

私たち二人の1年の間で起こる変化のスピードは、とても早いので
1年前とは感じ方も考え方もかなり変わっていくのだけど
特にここ10年で、私たちの感じ方や思考、性格、すべては
全く変わってしまったように感じます。
二人の関係も、以前とは全然違います。
もちろん、私たちが本来持っているスピリットは、変わらずそこにあるわけなんですが
感じ方も考え方も変わるので、当然、以前とはやりたいことも違うし
出会う人たちも変わってくるわけで、そういう意味では、
まるで違う人間として存在しているかのように感じてしまうのです。

よくリバーシングワークや、スエットロッジなどで
同じ肉体を持っていながら、rebirthー生まれ変わりを体験するということが
ありますが、まさに私たちは、この10年で、何度かの生まれ変わりを
経験して、今に至っているのだと感じます。
(それを起こしたのは、レイキだったり、大自然だったり、
様々なセラピーだったりするのでしょうが)

これが大学時代、20年前となると、
もう二つ前の前世の記憶みたいスマイル

例えば、今、モヒカンで鼻ピアスでジャンキーの人を見たら
ふ~理解できない、と一瞬はなるのかもしれませんが
よく考えてみると、当時の私は限りなくそれに近く
というより、その精神そのものであって
それは、この社会に対する怒りや反抗を表したかったのだなあということは
今になってよくわかります。
なので、当時は、音楽も社会への反抗を歌うロックに傾倒していったし
悲哀を歌うブルースに惹かれたのです。
今の私には、全くといっていいほど、その要素はなくなっているのだけど
でも、私のスピリットが経験した一つとして、
どこかに残っているのです。


もしも、前世の自分を思い出すことができたとして
例えば、前世では、戦士として戦い、大勢の人を殺した時のことを
思い出したとしたら、その時の感覚や感情や考え方は理解できるでしょうが、
でも今の自分とは違う人間なのですから
今同じ感情にはならないし、同じことをしたいとは思わないわけです。
本当は同じ魂なのに、感じていることも考えていることも違うのです。


そう考えていくと、出会う人すべてに、
自分を見いだしていくことができるなあと。

通りで酔いつぶれているおじさんにも
怒りで相手を責めることしかできないお母さんにも
自分とそれを取り巻く社会に絶望し、何もやる気がなくなった若者にも


それはすべて私の過去(または過去生)の一部であり、もしかすると
私が今までの私の道を歩いてこなかったとしたら
今、そうなってしまっていたかもしれない人たちかもしれません。

リチャードバックの「ONE」という小説は、まさに
この感覚をとてもよく表している不思議な小説で
これを読むと、他の人たちを、また世界を見る視点が変わってきます。

人それぞれは、みんなユニークな存在であり
それぞれに個性があって、全く別々のものです。

でも、一方で、今の自分とは全く違う人間であったとしても
過去のどこかで、または未来のどこかで、または違う次元で
一つのものでつながっている。
いえ、ひとつのものだと言えるのでしょう。

それを過去や未来に意識を飛ばして理解するのではなく
今、この瞬間に理解した時
それがワンネスの意識なんだなあと。


それぞれはみんな別々の個性であることを認識しながらも
究極的には一つであることを意識している
いつも、そんな感覚でありたいなあと思うのです。

だからこそ、ここにヒーリングやセラピーに来られる方々の持っている
悩みや課題は、すべて私の中のどこかで存在していたものであると、
感じることができるし
だからこそ、先日紹介したルーミーの詩で表現された
「誰でもおいで」が深くハートに響いてくるのです。


な~んてことを、大学時代の友人からメールがあって
久々に当時のことを思い出したら、
いろいろ考えてしまいました。


今、この瞬間に私が感じていることも
きっと1年後には、顕在意識からはなくなってしまうでしょうから
ここに残しておくことにします~。
(残さなくてもいいことなんだけどねウィンク


上手く伝わらなかったかもしれないけれど

読んでくれてありがとう~ハート(手書き)

10 years ago のコピー.jpg
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→ 今生(現在) ヨガやっているんだか、瞑想だかわからなくなってしまった雫





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最終更新日  2009年10月28日 11時29分45秒
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