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2010年12月13日
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カテゴリ:キネシオロジー
 
これまで何度か書きましたが、
IHキネシオロジーのプロトコル(その問題に関わっている深い要因)として
「不要な誓い」というのがあります。
これは、例えば、結婚の誓いで「この人をずっと愛し、ともに人生を過ごします」などと
神や周りの人たちの前で誓って、それが最終的に離婚などということになった時に
その誓いはもはや不要となっているのに、潜在意識の中に残ってしまっていて
知らず知らずのうちに、それからの人生の支障になってしまうというようなことです。

でも、いろんなセッションの中で感じるのは、
離婚した人が結婚の誓いを潜在的に引きずっているケースは、
それほど多くはないなあということ。
これは、離婚する際に再び心の中で
「この人とはもう二度ともとに戻らない」などと誓っているからかもしれませんねウィンク

これまで私がセッションを行った中で多かったのは、
神の前や周りの人たちに誓っているケースより
自分自身に誓っているケース。

例えば、子供の頃に辛いことがあって
「自分は幸せになる価値がない」と強く想ったことが
その後の人生で、ずっと幸せになることをどこかで拒んでいたり。
または、おさむのケースのように
「父に認められるような素晴らしい音楽家になる」
と子供の頃に強く想っていて、それがあったから、練習をがんばってきたのだけれど
いつのまにか、その想いが、父に認められなければならないというプレッシャーや
父の好きな音楽をやらなければならないという罪悪感につながり
それが彼が自由に音楽を表現していくことへの妨げになっていたり。
もちろん、本人はそんな想いを持ったことさえ、忘れているケースが
ほとんどです。

つまり「不要な誓い」というのは、強い「想い」と言えるのです。
長く残っている誓いには、必ず強い感情が伴っています。
一度、強く想ったことが、年月を経て、もうその想いを手放していい時になっても
まだ潜在意識の中に残って、いろんなことに影響を及ぼしています。

この誓いを持続させる人、強い想いを持ちづづけている人
(けして本人は自覚していないのですが)の中には
何度も誓いが出てくる人がいて
おさむの場合も、今生でもこの不要な誓いが何度か出てきたし
今生ではない時(前世?)にも、これでもか~と誓っていました。

でも、私はこれまでセッションを受けた中でも
また自分自身に対してセッションを行ってきた中でも、
他のプロトコルは出てくるのですが、この「誓い」は出てこないのです。
「どうして、のりこは、誓いが出てこないの?」
とおさむに聞かれるのですが
もちろんこれまでの人生の中では、
これからこうするぞ~と心に誓っていることは
よくあったものの、誓った端からその誓いを破ることも多いし
(先日のヨガの誓いも早速NG
それに対して、全く罪悪感を抱いていない自分がいます。

おさむは、私のそういった面をいつも見ているので
「ほんと、のりこはいいかげんやなあ」
とあきれられることも多いのですが。

だから、自分が強く想ったことを実行し、それを長く持続させてていくような
強い意思力のようなものを持った人というのは、
一つのことに対して追求していく力を持っていて、素晴らしいのですが
一方で、人生の中で流れが変わってきても、その最初の想いに忠実すぎて
それにとらわれてしまうこともあると言えるのかもしれません。
どんなにこうなりたい、という強い想いがあったとしても
それがすべてではないですから、それがもはや違うと感じたら
方向転換することも必要と言えるかもしれません。
いいかげんな人、と言われるぐらいがいいかも?
(とこれは自己弁護?あっかんべー
そして、古い感情や想いは、やっぱり手放してゆく必要があります。

自分自身への誓いは、いわば自分への約束。
「約束を破る」というと、どこか罪悪感を感じるかもしれませんが
「約束を変える」と捉えると、罪悪感を感じにくいですよねウィンク

そう考えると、そもそも、
何かに対して誓ったり、約束したり、強く願ったりすることって必要ないとも言えますが
一方でその誓いがその人の成長のために必要だった期間もあったのですから
一概にそれを否定することはできません。

先日、ヒロイックエイジというSFアニメを見たというお話を
書きましたが、その中で、宇宙の創造主が設定した誓いに
翻弄されて、自分の望む生き方ができなくなった人類
(というより宇宙人)が「こんな誓いなんてなければいいのに」と思い苦しみ
最終的に、その誓いは破られるのですが
そこに至る過程の中で、大きな学びや収穫があるというお話でした。
う~ん、日本のアニメって、やっぱり奥深い♪

誓いも強い想いも願いも約束も、いつかは必ずそれが必要なくなります。
この世のすべてのことは変化してゆきますから。
今、その瞬間瞬間の自分の感覚に忠実に生きてゆくこと。
そして、こうすればよかった~と思うような
後悔の念を残さない生き方を選ぶこと。
そうしないと、また来世でその想いを叶えるための
人生を歩かなければなくなるかもしれませんしねウィンク

そして、これからも「もはや不要となった誓い」は、
ばんばん解いていこうと、誓った私でしたグッド






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最終更新日  2011年10月08日 05時54分31秒
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