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2010年12月28日
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カテゴリ:つれづれ
 
今回は、ちょっと昔のNYの思い出話など。

私が初めてニューヨークに来たのは1990年の冬。
何だかんだでもう21年なんですよねびっくり
その間、2、3年間は、日本に帰っていた時期があるので
合計すると18年間ぐらいですが、それでも随分と長くなりました。

NYに最初に来た時、私は誰もNYに知り合いもおらず
所持金が全部で確か500ドルぐらいだったと思うのですが
それを持って、生まれて初めての海外であるNYに、旅行ではなく、
いきなり、引っ越してきたわけですから
今から考えると、それは若さというのか、無謀というのか、、
あまり深くは考えていなかったことは間違いなさそうですあっかんべー

1990年の頃のNYと、今とでは、かなり変わりました。

NYに最初に到着したのは、夜だったのですが
当時のJFKは、今から思い出すと、混沌とした印象で、
やっとのことで、荷物をピックアップし、防弾ガラスが重々しいイエローキャブに乗って
これまた混沌としたイーストビレッジに着いた時には、
「ひゃ~何だか飛んでもないところに来ちゃったなあ」
なんていう気持ちになりました。

当時は、たくさんのホームレスが通りにいましたし
娼婦やドラッグを売る人たちも、イーストビレッジの家の外に1歩出れば
ごろごろしていました。
(そういった方たちを通りに見なくなったのは、ジュリアーニ市長になってからです)
今の安全な雰囲気のNYとは、まるで違っていて
私は、最初にNYに来た時には
『お財布を持って外に出ないように』
と、知り合った人にアドバイスしてもらいました。
地下鉄の切符売り場やその他のところで
お財布を取り出すと、お金を持っているとみられて襲われるからです。
お財布さえ持てないなんて、なんというところじゃ~と思いつつ、
そのアドバイスに従って、それからお財布を持つのをやめ
万が一、襲われた時に手渡すための現金20ドルは、いつでも持つようにして
(お金を少しでも渡さないと殺されると言われていたので)
いつもポケットに直接、お金をいれていました。

実際、その当時のNYは、危ないこともたくさんあって
私がNYに住み始めて、ちょうど1ヶ月後に
私のアパートの上の階に住んでいた人の家に強盗が入り
その方が殺されたり、私も通りで変な人に追いかけられたり、
帰り道に襲われて、バックをひったくられたり
といろんなことがありました。

当時のNYでは、車の中に何か一つでも物を置いていたら
車のガラスを叩き割られて、それを盗られるので
いつも通りには、叩き割られたガラスのかけらが残っていました。
当時の私の友人で車を持っている人たちは
どんな小さな物でも車内に残さないようにしていましたし
それでも夜中に叩き割られていることはよくありました。

なので、常に周りの状況に気を使うという習慣が
ここで暮らしている間に、すっかり染み付いてしまって
やっと安心して、街にお財布を持って出かけることができるようになったのは
それから何年も後のことです。
今では、地下鉄内で、ノートブックのコンピューターを
開いている人もいますし、ニューヨークは
本当に安全な街になったなあとつくづく感じます。

それでも、その頃にしみついてしまった
周りへの警戒心みたいなものは、無意識レベルで残っているのか
時々、シャスタなどにいって、車に鍵をかけるのを忘れたりすると
一瞬、ヒェ~となったり
ニューヨークでも、常に自分の持ち物への意識などはあるのですが
でも、昔は地下鉄でうたた寝するなんて、あり得なかったのに、
ここ近年は、地下鉄に乗れば、大抵、身体のどこかにレイキしながら、
うたた寝しています眠い..
もちろん、あまり安心し過ぎてはいけませんけどねあっかんべー

wait のコピー 1.jpg

さて、初めて、日本からNYにやってきた時
私はNYでの仕事だけは、すでに日本で決まっていたので、
初めて着いたその日に、JFK空港から、直接、仕事場に向かい、
早速、その日の夜から働きました。
(それもけっこうむちゃくちゃな話ですが)

その仕事というのは、クラブでのキーボードの演奏。
そのクラブは、生バンドが入っていて、
そのバンドのバックでお客は歌うことができるということが売りのお店でした。
私は夜7時から朝の4時まで(実際は朝6時すぎまででしたが)
そのバンドのキーボーディストとして、演奏するという仕事。

という話で、雇われたはずだったのですが
実際、NYにやって来てみると、キーボードの演奏の合間に
バーテンダーとしての仕事があり、むしろ、そちらがメインでした。
もともと、お酒はむちゃくちゃ強かったし好きだったので、バーのお客と話ながら、
毎晩、浴びるようにお酒を飲み、ほとんど前後不覚になりながら演奏してわからん
朝方には、そのまま店のみんなとカードでのギャンブルにあけくれ泣き笑い
昼間になって眠るというほえー
本当に今から考えると、あり得ない日々を過ごしていました。
(こんな私が今や、ヒーラー、セラピストだなんて
人生ほんと何でもありですねあっかんべー

3ヶ月ぐらいそういう生活を送って
ある日、ふと鏡を見るとゾンビみたいな顔の自分がいてショック
「ああ、こんなことを続けていたら、早死にするなあ」
なんて思ったことを覚えています。

その頃の私は「今を生きる」のではなく
ただ刹那的に生きていたのでしょうね。
その当時の私の口癖は「人生暇つぶし」でしたから。

でも、その仕事は確かにハードでしたが、
あれはあれで楽しかったのは間違いないですし、
そういう時期も私にとって必要だったのだろうなあと。
いろんな体験をしたことで、
今、セラピーを行う上でのプラスになっていることは間違いありませんから。
どんな経験でも無駄なものは、何もないですね。

そして、当時のイーストビレッジには、アーティストがたくさん住んでいましたから
毎晩、店にやってくるお客の多くは
そういったアーティストたちでしたし
私はすぐに、そういう人たちと親しくなって
それまで知らなかったいろんな世界を知りました。

当時、NYで人と知り合えば、必ずと言っていいほど聞かれた質問は
『どうしてNYに来たの?』ということ。
どうして?というのは、どういう目的で、という意味です。
今では、誰でも、特に何かの目的がなくてもNYに来られますが
当時は、何かを目指していたり、何かを達成したいと思って
ニューヨークに来ているという人がほとんどでした。
そんな質問をされる度に私は
「何の目的もないです。
ただ、ニューヨークに住もうと思ってやって来ました」
と答えていました。
日本で音楽の才能の限界を感じて、NYに来た私にとっては
何かを目指すことそのものをやめたかったのです。

そんなある日「人生暇つぶしですから」
そんな風に答えた私に、バーで出会った2人のアーティストが
お互いに顔を見合わせながら
「ふふ~あなたの目はそうは言っていないよ」
と言うのでした。

そして、私に精神世界の本や哲学や科学について教えてくれました。
瞑想というものを最初に教えてもらったのも
アインシュタインや科学に興味を持ち始めたのも
才能だの何だの考えず、自分のやりたいと感じるままに
何でもやってみようと思い始めたのも
その当時に出会った人たちの影響がありました。

今から思うと、みんなではないけれど、
そこで出会った人たちは
人との出会いというものは、すべて目に観えない宇宙の采配で
大いなる存在からのメッセージであって
人生の中で何よりも大切なものなのだということを、
魂レベルでわかっていた人が多かったように感じます。
だから、初めて出会った瞬間に、古くからの親友のように
安心して自分のすべてをオープンにできる、
そんな出会いがよくありました。

そうして、私は、次第に刹那的に生きるのではなく
本当に魂の喜びを感じるような生き方をしようと思うようになりました。

今の私にとって、喜びを感じて生きるというのは、
一瞬一瞬が最高に満たされているということであって
未来のために、今を犠牲にして生きることでも、
また、自分の内なる声がやりたいと感じることをやろうとせず、
その場限りの楽しみや遊びに逃げることでもありません。
(もちろん、その場限りの遊びも日々の生活の中では必要ですけれどねウィンク

でも、その両方を体験してきたからこそ、今、そう言えるのかもしれないなあと。
刹那的に生きてみたり、または逆に自分は不足している、
もっと修行や学びが必要だと感じながら、常に何かを求めて生きていたり、
その両方の時期が私にとって必要だったのでしょう。
今では、おさむも私もスピリチュアルな学びのために
修行をする必要なんて何もない、ということを知っているわけですが
でも、これまで修行のようなことを一度もやらなかったとしたら
そうは感じなかったかもしれませんから。
「修行は必要ないことを知るために、修行をしてきた」
そんな風にも言えるかもしれません。
ブレインジムのポールデニッソンも
「がんばらないことが大切だ、ということを学ぶために
がんばって苦しんだ経験も自分にとって必要だった」
というようなことを書かれてあって、深く納得しました。
もちろん、経験しなくても、わかる人もいることでしょう。
みんなそれぞれが今、経験していることに、何も間違いはないですね。

先日は、全く逆の意味だと書きましたが
もしかすると、自由に自分の使命を求めることも
自分の使命から自由になることも
本質は同じことなんじゃないかしら?と。
(って、あくまでも誤訳は誤訳だ~パンチ

時代はどんどん変化していますし、
私たち自身も変化してゆきます。
大昔から変わらず、存在している真理もありますし
時代とともに変化してゆくものもあります。

そして、私にとって、今も昔も変わらない真理は
人との出会い、人とのつながりの大切さ。
そして、それは、きっと、これから先、
例え、何をしていたとしてもきっと変わらない部分だなあと。

なんて、今日は、とりとめもない話かも雫

どうして、こんな話をしたくなったのかしら~と、自分の内をよく見てみると

私にも何かができるかしら?とか
自分を変えることができるかしら?とか
そんな不安を持っている方々へ、いつも伝えたいなあと感じるのです。
例え、あなたが、今、どんな状態であったとしても
日々、思うように行かないことが多かったとしても
何が自分にとってのベストの道なのかわからなかったとしても、大丈夫。

何で大丈夫なの?って言われて
それを言葉で説明しようとすると、何だか嘘っぽい感じがするので難しいのですが
私の中では確信していることだから。
絶対に大丈夫なんです!(敢えて絶対という言葉を使いますが)

少しでも何かが伝わったらいいなあと願いつつ、、、

読んでくださってありがとう~ハート(手書き)

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もぐらさんは、元気で暮らしているかしら~♪






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最終更新日  2010年12月28日 16時54分36秒
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