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2011年05月13日
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カテゴリ:つれづれ
 
悲しいことがあった時、怒りたいことがあった時
素直に悲しみや怒りを感じることって、とても大切なことだと思います。

相手の気持ちを考えすぎて
「あの人も悪気はなかったのだし」とか
「自分ががまんすればいいことだ」と
自分の感じている怒りや悲しみを抑え込んでしまうと
それは、潜在意識の奥深くに根付いてしまいます。

先日、セッションに来られた方がお話してくださったのですが
子供の頃、友達に自分の大切なお財布を盗まれたことがあって
彼女は盗まれた事実そのものより、信頼している友達がそんなことをするんだという
事実にショックを受けたそうなのですが
そのことをお母さんに話した時に
お母さんはすぐに「盗んだ友達のお母さんの気持ちを考えなさい」
と言ったのだそう。
お母さんとしては、たぶん、彼女に慈悲の心や思いやりの気持ちを
持ってほしかったのでしょうが、子供としては、
自分の感情の持っていく場所がなくなって
自分に問題があるのだ、とか、感情を表してはいけないと
いう意識を潜在意識の中に持ってしまうことになるのです。
だから、これまでの人生を通じて、例え人に理不尽に扱われたとしても、
怒りを表すことができなかったと言われていました。
もちろん、最終的には、盗んだ人の気持ちも理解しよう、となるのはいいのですが
まずは、自分が感じた怒りや悲しみをそのまま受け入れる
という過程が必要だなあと感じます。

だから、親は子供をありのままに受け入れることが
何よりも大切だなあと感じるのです。
子供がありのままに受け入れられなくて、大人になると、
ありのままの自分を認められなくなるし
いつも人からどう見られるか?評価されるかが
その人の人生を左右することになってしまいます。

もう20年近く前に読んで、長い間、バイブルだった
リチャードバックの『イリュージョン』の言葉の中に

「君たちはもちろん、学習者であり、実行者であり、教育者であって
いかなる種類の生や死を選ぼうとも自由だが
義務というものがあるとすれば、自分に忠実でなければならないということ
それ一つである」

というのがあります。

自分に忠実に生きる。

これは、難しいものかもしれないなあと。
自分の心に正直に感じたことを周りに伝えたために
拒絶されたり、批判されたり、逆に誤解されてしまったりすることがあります。
適当に相手に合わせて、コミュニケーションしておいた方が
波風はたたずにすむでしょうが
自分の中に伝えなかったという想いは残ってしまいますし
本音でつきあうという真のコミュニケーションはできないように感じます。
もちろん、相手が全くそれを受け入れられないとわかっている場合は
時期を待つことも必要かもしれませんが
私は自分の感じたことを率直に伝えることが
その人と真摯に向き合うということにつながると感じる場合は
その人を信頼して、伝えることを選びます。
信頼して伝えても、相手がまだそれを受け入れる準備ができていない場合
特に相手が、何かを失うことを恐れていたり、虚栄心や
プライドにとらわれていると、それを受け入れることができず
拒絶されることもあります。
きっと大丈夫だろうと信頼して伝えたのに、
やっぱり受け入れられなかった、拒絶された、誤解された
そういう時は、やはり一瞬落ち込みますが
それもまた私が受け入れなければならないこと。

「行為を憎んで人を憎まず」
という言葉のように
例え、その行為は嫌いというのはあっても
それによって、その相手そのものを否定しないでいたいと
私は思うのですが、多くの人は、相手の言動によって、
相手そのものを否定します。
でも、例え、私の言動が相手に受け入れらず、私の存在そのものを
否定されてしまったとしても
それは、相手が悪いわけでも、私が悪いわけでもないですし
そこに癒されずに残っているものがあるというだけのこと。

先日、信頼するサイキックヒーラーの友人が
久々に会った時に、私へのメッセージと
「今、相手がわからなくても、5年後、10年後にわかってもらえればいいんだから」
そんな風に言ってくれて、思わずぼろぼろ泣きました。
彼女に具体的なことを何も話したわけではないですし
私自身もその時に、何かを抱えていたわけではなかったのですが
きっと彼女自身がそういう想いを持って生きて来た人だから
私の中に何かを感じたのでしょう。

それが本当に愛からの行為なのか、そうでないのか
それだけが伝える時の判断基準だなあと思います。

そうやってみてゆくと、人って本当に面倒な生き物だなあと。
もともと一つのものだというのに、分離の状態でいるために
あれこれ、相手はどう感じるだろう、とか考えなければならないのですから。

この一つの意識をみんなが感じることができたなら
どんな自分であったとしても、受け入れられるという
圧倒的な安心感を誰もが持つことができたなら
私たちの世界は一瞬で変わってゆくのでしょうね。





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最終更新日  2011年05月16日 11時12分51秒
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