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2011年09月05日
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カテゴリ:つれづれ
 
先日「感情地図」という本を読みました。

この本は思考と感情、態度、信条、認識、エネルギーといったあらゆる要因と
病気との関係を解き明かしたものですが
その中で感情について、
「感情は内なる自分のバロメーターであり、人生を救う」と書かれてあります。
もし私たちが感情を感じないとしたら、
身体や潜在意識からのメッセージを聞けなくなってしまい
軌道修正できなくなってしまうわけですね。

この中から一部抜粋してみますね。

感情は様々なものがあるように思われがちですが
実際には、恐れと愛、この二つのどちらかに分かれます。

恐れは、怒り、激怒、脅威、心配、反抗、復習、腹立ち、憤慨、悪意、短気
嫌悪、否定、悲観、危惧、臆病、不安、疑い、逃避、裏切り、
無感動、拒絶、批判、不満、屈辱、苦しみ、悲しみといった
あらゆるマイナスの反応の根源です。

一方、愛はあらゆるプラスの感情の根源です。
そこには、喜び、至福、勇気、希望、受容、慈悲、親切、献身、幸福、
満足、歓喜、感謝、許し、効用、安心、敬愛、快感、親密、恍惚、平和など
楽観的な態度と健康の根源となる感情が含まれます。


愛と恐れが脳と心の同じ場所を同時に占めることはできませんから
私たちは人生のある地点でどちらを選んで歩むかを決めなければなりません。

恐れがまったくない人は存在しませんが
ほかの人より物事をより恐れる人はいます。

心配性の人はその性格のためにさらに不安を募らせる傾向があります。
一方、心配事を避けようとする人は不安など存在しないふりをしますが
体内では恐れがじわじわと広がり、新たな恐れを生み出しています。
また何事もそれについて理解しようとし、苦しんだり悩んだりしながら
努力すれば、恐れさえも克服できると思い込んでいる人がいます。
このタイプの人は、その努力は精神的な解放に続く道であり
こんなにがんばっているんだと証明するための手段として
それを利用しますが、その努力こそ実は恐れなのです。
他にも心配しすぎて身動きができなかったり、感情が先走ってしまう
生き方をする人がいます。
暗くなって外出するのが怖い
仕事を失うのではないかと心配になる
お金や時間が足りない
自分は愛されていないのではないか
そして病気になるのではないかと恐れるのです。
このタイプの人は、恐れは自分が具現化する予言だということに気がつきません。

私たちが直面する恐れには、基本的に6つの種類があります。

1)生存  2)未知 3)放棄
4)裏切り 5)拒絶 6)死

興味深いことは、私たちが生み出し経験する様々な心配事は
この6つの恐れがもとになっている点です。
変化に対する恐れは、未知に対する恐れから生じるものですし
経済的な心配事は生存にかかわること
孤独に対する恐れは放棄
病気に対する恐れは死
信頼関係に対する問題は裏切りなど
例をあげればきりがありません。


例えば、怒りという感情は、自分を認めてもらえない、大事にされていない
などという恐れから生まれるわけですね。
感情として感じているのは怒りであったとしても
その根底にあるのは恐れ。

また、ここに書かれてあるように、
経済的なことやお金に対する心配というのは
生きるか死ぬか、に関わっているため
潜在意識がサバイバルモードになっている人が多いです。
よくお金に関する問題は、チャクラでは第一チャクラに関係していると言われますが
第1チャクラが生存に関わるチャクラであることを考えると納得です。

例えば、この中で「拒絶に対する恐れ」も、多くの人が持っている恐れ。
「人に頼みたいのに拒絶されるのが怖くて頼めない」とか
「ありのままの自分を表現したら、周りの人から拒絶されるのではないか」など
これは、実際に、人から拒絶されたことが過去にあって
未来もそうなるのではないか?と恐れている場合もありますが
実際には拒絶されたことはないにも関わらず、生み出されている恐れもあります。

誰だって拒絶されてうれしい人はいないでしょうが
もし自分が相手から拒絶されたとしたら、その相手の中に恐れがあり
拒絶という形で反応しているだけであって
自分自身を否定する必要はないわけです。
でも、多くの人は、拒絶された=自分は認められていない、
信頼されていない、愛されていない
と自分を否定することにつながるため、相手の反応に傷つきます。
なので傷つきたくない、という恐れから、自由な行動ができなくなってしまうのですね。

話は変わりますが、アニメっこの私はひよこ
2009年にNHKで放映されたアニメ「ふたつのスピカ」を、
最近見ているのですが(見られる方は、右にある第一話から)
この中で宇宙飛行士を目指している主人公アスミは
出会ったクラスメイトのマリカから
「あなたなんて、私は嫌いなのよ」とか
「馴れ馴れしくしないで」
など、最初のうちは、もろに拒絶されるわけです。

マリカは、小さな頃から誰からも愛を与えてもらえなかったので
どうやって人からの愛を受け取ったらいいのかも
愛を受け取ってもいいということもわからないので
そういう態度しか取れないわけで、まさにそれは愛の欠如であり、恐れからの反応。
ところが、アスミは、そのマリカの拒絶に面しても、全く動じないのですよね。
(最初は名字で呼んでいたアスミは)
「今日からマリカちゃんって呼んでもいい?」とか
「マリカちゃんも一緒にやろうよ」とか、
いくらマリカからひどく拒絶されても、
けしておびえたり、卑屈になったりせず
まっすぐにマリカを見つめて、自分の愛を表現する、
相手の反応によって、相手への気持ちや自分の対応が変わらないのです。
これはほんとうにすごいことだなあと。

例えば、自分の言動が意図せず相手を傷つけたり、
相手の気分を害してしまって拒絶されてしまった場合
みなさんなら、どういう態度や意識状態になるのかしら?

これまでの人生で、私から誰かを拒絶したことは、一度もなかったと思うのですが(たぶん)
相手から拒絶されたことは何度かありました。
その場合、できる限り、自分の意図を伝えようとはしますが
それでもわかってもらえなかった時には、
「去る者は追わず」
それ以上、こちらから深く相手に関わることはやめていました。
相手を責めず、自分のことも責めない、
ただ、相手の反応を受け入れるという態度。
ですから、これまで、そういう自分に恐れは見出していなかったのですが
でも「(自分はやるだけのことはやったのだから)もうこれ以上は必要ない」
と、それ以上、拒絶されることへの恐れを隠していたのかもしれません。
このアスミのように、相手から拒絶されても、
全く変わらない意識でいることができたなら、
それは本当にすごい強さであって、愛の状態。
きっと本来の私たちの天真爛漫のままだったらできるでしょうが
私たちは大人になるに従って、いろんなものをくっつけていますからね~ウィンク

この本の中で「恐れのまったくない人はいませんが」と書かれてありますが
確かに一般的には少ないでしょうが、全くいないわけではないですよね。
ドランヴァロぐらいになると恐れなんてないでしょうし
(なんといっても、この宇宙の始まりからの記憶をすべて持っているお方ハート(手書き)
またインドのヨギとか聖者とかシャーマンなど、
大いなる存在と常に意識がつながっているような人たちは、
やはり恐れは超越しているでしょう。

どんな人であっても、私たちすべてが最終的に目指すところは、
恐れが全くない状態。
つまりは愛そのもののになること。
(といっても、もともと愛そのものの状態で、この世界にやってきたのですから
結局、もとの私たちに戻ってゆくだけなのですけれどね)

ですから、その過程で、自分の中の恐れに気づいてゆく必要はあるわけです。
けして恐れと戦ったり抵抗するのではなく。
バシャールの言うように
「恐れを持ってもいいが、恐れることを恐れてはいけない」
例えば、舞台で何か発表したり、人前でスピーチしなければならない時
「緊張してはいけない。落ち着かなければ」と思えば思うほど、
緊張してしまった経験ってありますよね~。
むしろ「よしよし緊張してもオッケー」
と恐れることを自分に許してあげる方が、ずっと緊張から解放されます。
恐れを否定すればするほど、それはより深く根付いてしまうのですから。

また恐れがあることを無視してみても、必ず何らかの問題が出てきます。
例え、感情としての「恐れ」を感じていなくても
何か、心にひっかかるものがあって、その感覚のもととなっているものを
よくよく見てゆくと「あ、これは~~に対する恐れだったんだ」なんて
いうことはよくあります。

例えば、日々、こういうブログを書き続けていくというのも
自分の中の恐れに気づくチャンスになっているのかもなあと。
思いつくまま、好き勝手に書いてつもりでいて
ふと「こんなこと書いたら、誤解されるかも?」とか
「こんなこと書いたら、ヒーラー失格と思われるかも?』ショック
なんて感覚を自分の中に少しでも見つけたなら、恐れの存在に気づくことができます。
それをよく見てゆくと
たいていは「ありのままの自分では人に認めてもらえないのではないか?」
という恐れだったりするのですよね~

そして、やはり、恐れ=分離だと思うのです。

だって、相手と自分がつながっている、すべての人と自分はつながっている
宇宙と一体化している
と意識レベルで感じていたなら、恐れなんてなくなります。

あのすべてとの一体感をいつも持ち続けることができたなら
何も恐れることはないのになあと。

もう分離の世界は充分経験したぞ~~
これからは愛だけの世界に生きよう~~晴れ





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最終更新日  2011年09月07日 12時35分06秒
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