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カテゴリ:つれづれ
「受け取ること」これが苦手な方って、多いですね~ 人から何かをしてもらったりすると、すぐにお返ししなければ、とか、 申し訳ないと考えたり、人に頼み事ができなかったり、甘えれなかったり。 これまでキネシオロジーのセッションで 「喜んで受け取ります」などという目標で、 潜在意識を調整したことは何度がありましたが 「人に与えます」なんて目標が選ばれたことはないところを見ると 受け取るより、与えることの方がずっと心地よくできる人が多いようです。 かくゆう私も、最近はかなり受け取れるようになってきたものの 以前は、やはり受け取ることができず。 これは私の父が本当に受け取れない人で 例え、自分にお金がなくても、人には惜しみなく出すような人だったし 人の世話になることもできない人でしたから 私もその影響をもろに受けていました。 父は3年前に脳梗塞で倒れてから、歩いたり、一人で食べたりするまでには 回復したものの、母の助けがないと生活できないようになって 今、愛を受け取るレッスンをしているわけなのです。 人生の中で、あまりにも受け取ることができていないと 受け取らざるを得なくなるようなことが起こったりするのですよね さて、前にレイキを学んでくださった方から たまたま一昨日「ロミロミをぜひのりこさんにやらせてください」 とメールがあって、以前だったら、こちらからお金を支払って受けるセッション以外は さりげなくお断りしたりもしたのですが 最近は、ありがたくお受けしようと たまたま昨日の3時以降は予約も入っていなかったこともあって 受けさせて頂きました。 彼女は日本ではロミロミをされていたそうですが、 NYではマッサージの資格がないとできないとのことで なかなかする機会がないのだそう。 彼女は、きれいなハワイの服を着てロミロミをやってくれて 90分のセッションの間、それはそれは心地よく、ハワイのエネルギーを感じながら ほんわか温かなエネルギーに満たされていました、 人にケアしてもらうのって、本当に心地いいなあと ありがたくて、セッションが終わった後、お礼をお伝えしたら 彼女が「セッションの間、ハワイとつながることができたと感じたのです。 だから、セッションの終わりに涙が出てきてしまって」 と言ってくださって、また感動 やっぱり、受け取ることは、与えることと同じだなあと。 「与えるばかりで受け取らない」というのは つまりは、相手に与えるチャンスや喜びを与えていない ということにもなって、相手とその喜びを共有していないのです。 受け取ることが、与えること、でもありますよね。 また、物や行為だけでなく、人からの褒め言葉を受け取れない人も 日本人には多いですよね。 そういう私もあまりにも褒められると(少々はオッケーなのよ) うれしい気持ちと同時に ここまで褒められていいのかしら?なんてちょっと居心地悪くなったり。 相手がそう感じているのですから、自分がどう感じていようと それをありがたく素直に受け取ればいいわけなのですが 自分の内をよくよく見ていくと 相手が自分を過大評価して、いつかがっかりするんじゃないかしら? なんて想いがあったりするのですね。 例え、相手が自分を過大評価していたとしても、それは相手の問題であって 私の問題ではないわけなのですが そこにギルティを感じてしまうわけです。 また、そんな風に自分をよく見られると、またこれからも その期待に答えなければならないんじゃないか、 なんていう思いが出てきたりもします。 それも全くの幻想であって、相手は褒めたからと言って、 何かを期待しているわけではないし 例え期待していたとしても、自分がそれに答える必要はないですから。 自分がいつもありのままでいることさえできていれば、 相手がどう評価しても大丈夫なのです。 ということで、日々、褒め言葉を受け取るレッスンも、ありがたく頂いています。 どんどん受け取り上手になろう、と。 (あ、ちなみに、けなす言葉を受け取るレッスンはやっておりませんので、 褒め言葉だけでお願いします~~←逃げる図) その点で言えば、おさむは本当に受け取り上手。 というか、受け取ってばかりでいいんかい!と時々つっこんでいますが。 「インラケチ」 以前にも書きましたが、私の好きなマヤ語です。 マヤでは、挨拶の言葉として使われたそう。 意味は「私はあなたです」 日々の挨拶の言葉として「私はあなたです」なんて使うのは素敵ですよね。 最終的には、受け取ることも与えることも、同じこと。 受け取ることが苦手、というのは分離の意識なのです。 だって、私はあなたなのですから お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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