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カテゴリ:つれづれ
先日、Brooklyn でアーユルヴェーダサロンを開かれている ひとみさんが家に招待してくださって 彼女の婚約者セーラとおさむと4人で楽しい時を過ごしました。 ひとみさんは、少し前に北インドのジャイサルメールから戻って来られたのですが そのお話を伺っているうちに、インドに行ってみたくなりました。 私はシバ神やガネーシャやラクシュミなど、 インドの神々は昔から大好きなのですが なぜか、これまでインドに行こうという気にならず インドにはご縁がないのかも、と思っていました。 一つには、インドは、人が多くてゴミゴミしている、というイメージだったので 人が多いところではなく、自然の中で過ごす旅をしたい というのもあるかもしれません。 でも、ひとみさんのお話を伺っていると、ジャイサルメールはよさそうだなあと。 ジャイサルメールは、パキスタンに近く ゴールデンシティと呼ばれる美しい街だそうで セーラは、その近くに農園を持っていて、 来年から二人でアーユルヴェーダ農園とリトリートを開かれるとのこと。 野外で満天の銀河を眺めながら寝て 太陽が上がってくるのを感じながら目覚め 砂漠でラクダに乗ったり、アーユルヴェーダを受けたり 夜は音楽のライブや踊ったり う~ん、ぜひ来年には行きたいなあ。 興味がある方は、ぜひご一緒しましょう~ さて、セーラは、北インド出身のとてもスピリチュアルな方。 そのあたりは、ヒンズーではなく、モスラムなのだそうですが 彼の父親はスーフィーで、音楽家一家なのだそう。 彼自身も様々な楽器を演奏し、特にカタールという かまぼこ板みたいな板4枚を使って鳴らすカスタネットみたいな楽器の演奏は (貧弱な描写でごめんなさい) ほんと素晴らしかったです。 彼は、スーフィーやモスラムのみならず、OSHOのアシュラムに行ったり、 タントラもマスターのもとで長く学んだそう。 それでいて、セーラはひとみさんと一緒に書道を学んだり お茶のセレモニーに行ったりして、日本文化を深く知ろうとされているのも素敵♪ 彼を見ていて、つくづく感じたのが 本来宗教というのは、こういうあり方がもっとも自然なのだなあということ。 モスラムだからと言って、それ以外のものは受け付けないというのではなく 様々なものを学び、受け入れてゆく。 この神だけが救われる、とか、このフィロソフィーだけが最高だとか もうそういう時代は終わりであって それぞれの素晴らしいところを取り入れ、それらを自分の中で統合してゆく。 ドランヴァロも世界中の70人の宗教やスピリチュアルな指導者や賢者から 学んだそうですが、だからこそ、あらゆる視点から世界を見て 完全に二元性を手放されているのでしょうね。 (ドランヴァロの場合は、一つの学びをあっという間に 終えてしまうのがすごいのですが) さて、話はちょっとはずれますが、よく日本では スピリチュアルなサイトやヒーリングのサイトに 「こちらはあらゆる宗教とは一切関係ありません」って書いていますよね。 こんなことをわざわざ書かなくてはいけない国って、一体何なんだろう、 と感じます。 他の国では、宗教持っていない=精神性を重んじない人 と見なされますから、特定の宗教は持っていなくても 目に観えない大いなる存在(それを神を呼ぼうが、宇宙と呼ぼうが) は信じている、ということを伝える必要性を感じることがあります。 以前、レイキマスターになったばかりの頃、 アメリカのレイキマスターはどんな風にレイキを説明するのかなあと あちこちの講演や説明会に参加したことがあります。 こちらのレイキマスターは、レイキの創始者臼井みかお先生のことを 禅の僧侶だとか、キリストからレイキのヒントを得たとか 説明していることがあるのですよね。 それは、本当の事実とは違うのですが、こちらでは宗教もやっていないのに 精神性が高いはずがない、という捉え方があるのだなあと。 たぶん、世界中で、宗教を持つことを特別視する民族って 日本ぐらいでしょう。 そもそも私たち日本人は、古くから神道や仏教と深く関わってきました。 日本人でお寺や神社に行ったことがない人なんて ほとんどいないでしょうし 神社で結婚式やお葬式はお寺のお坊さんに来てもらったり 様々な形で関わってきています。 八百万の神、自然のすべてに神を見出してきた日本の魂は 私たちすべての日本人のDNAに埋め込まれているのではないかしら。 それなのに「神棚に大麻奉る」と わざわざ報道される国というのは、ほんと不思議な国だなあと。 日本では、宗教=盲目的に何かを信じて、他の考え方や価値観を受け付けない人 と見なされてしまうということなのですね。 だから、 「スピリチュアルなことを宗教と見なされてしまうことへの恐れ」 を日本でヒーリングやスピリチュアルなワークをされている方が多く 持っているのだなあと。 実際、以前、私の知り合いでクリスタルボールの演奏家の方が 家族や親戚に「そんな宗教やめないと縁を切る」と言われていたそう。 クリスタルボールでさえ、そう思われてしまうなんて、 私のやっていることは、宗教うんぬんより、かなり頭おかしい人になるのかも (先日、おさむが私の日記を見ながら 「のりこ、これ普通の人が読んだら、何書いてるかわけわかんないと思うよ」 と言われたのですが)←わかんなくてもいいんだもん、と開き直る私。 とはいえ、最近、加速して人々が変わってきているのを感じます。 これまでそういうのを一切受け付けなかったような方が、 天使大好きになったり、超スピリチュアルな世界に入ってゆくのを 日々見ていると、これからどんどんスピリチュアルとそうでないものの 境がなくなってゆくなあと。 考えてみれば、私の母の両親、つまり私の祖父母は 神社を経営していて、二人とも神主だったのですが 私の母は、全くそういう意識がない人で、 私が記憶する限り、ただの一度も家で祝詞をあげたことがないのですよね。 だから、祖父母のいる田舎に行った時だけ、私たちも神社で祝詞をあげるのですが 今思い出すと、私は小さな頃から何か そういう目にみえない世界にとても惹かれていたのだなあと。 だから、大人になって何十年ぶりに祝詞をあげた時、 何かがピンとつながったような感覚がありました。 と、最近はすっかり祝詞はあげなくなってしまったのですが 本来はスピリチュアルと宗教性(宗教ではなく)は同じものだと思うのです。 目に観えないものを敬い、尊重する心。 そう、あらゆるものすべては、エネルギー。 スピリチュアルなものとそうでないものの違いなんて 本当はないのですから。 さて、今日は満月ですね。 ニューヨークの夜空にも美しいお月さまが輝いていました。 これから私も満月の遠隔レイキのお時間です~ みなさま、どうぞ素敵な満月をお過ごしくださいね。 私の描いたガネーシャの中で気にいっていた作品。 先日、素敵なヨガの先生が購入してくれて、私の家から旅だってゆきました。 どうか祝福を広げていってくれますように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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