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カテゴリ:キネシオロジー
今年に入ってのキネシオロジーのセッションは、脳に関する調整がいくつか続きました。 脳に関する調整と一言で言っても 例えば、集中力や記憶力、判断力、オーガナイズ’力、文章を書く能力 話す力、聴く力(理解力)などのコミュニケーション力全般 感覚と論理をつなげて表現する力、グラウンディング力、安定、安心感 適応順応力、ストレス対応能力、などいろいろなテーマがありますが その中で、右脳活性のための調整が、ここ最近の間に3回ぐらい続けてありました。 ご存知のように、左脳は過去と未来、右脳は今現在に関する意識を司ります。 右脳が活性化されていないと、意識はいつも過去か未来に向けられますから ネガティブ思考というのも、そこから生まれます。 今この瞬間に意識があれば、過去に向けての意識がなく 未来への不安もないので、ネガティブになりようがないのです。 よく、あの人はあの時こういうことを言って自分を傷つけた などと過去の出来事が、頭から離れないような方や 未来のことをいつも不安に感じている人は 右脳が活性化されていない可能性が高いです。 (もちろん、実際に過去に起こったことからの要因もあります) 右脳の活性化に関しては、よく遺伝の影響が出てきます。 そういう方は、必ず、両親のどちらかに、考えすぎや心配性の傾向があります。 そういうDNAを、あるストレスの状況下において、オンにしてしまうのです。 実は、私は最近まで、自分のことをずっと左脳優勢の人だと思っていました。 以前から、直感力はあると思うのですが もともとは左脳優勢で、音楽や絵やヒーリングを通じて 右脳も活性化されてきたので直感力が身についた、と捉えていたのです。 それは、子供の頃から数学などの理論的なものがとても好きだったことや 小さな頃から「理屈っぽい」と言われることが多かったからです。 (本当は、数学は右脳的であり、直感的な力を要するのですが) 私の父は、論理的な思考を大切にする人だったので 子供の頃の私は父の論理性、思慮深さというのをとても尊敬していました。 一方、母親は全く論理的ではなくて、思慮深くもなく その場その場の思いつきで生きているような人で 私は小さな頃は、そういう母を「なんとアホなんだろう」 と心のどこかで思っていて(ごめんなさい〜) それを素晴らしい特質だとは思っていませんでした。 でも、だんだんと大人になるにしたがって 気がつけば、私は母の特質を大きく受け継いでいることに気づきました。 これは昔からそうなのですが、私は過去や未来のことにほとんど意識が向かないのです。 過去に起こった出来事は、どんなことであっても大抵すぐに忘れてしまうし 未来の心配をしたことも、これまでほとんどない。 先のことに対する不安がないので、例えば老後のことを考えて貯金しなければ という発想自体浮かんで来ないのです。 それは性格的なものや物事の捉え方の問題だと思っていたのですが 右脳優勢だったからだ、ということが、最近クリアにわかってきました。 私の子供の頃からの「理屈っぽさ」は、過去や未来のことを「考えて」いるわけではなく 自分の感じたことを言葉に変換して理解するのが好き、ということだったのだなあと。 ですから、感覚人間=右脳が活性している、というわけではないのです。 感覚人間であっても、いつも意識が過去か未来かにむいている人は 右脳が活性化されていないのですね。 一方、論理的思考ができる人であっても、右脳が活性化されていれば かつ直感的でもあって、今に意識がありますから ハッピーに生きることができます。 直感力やクリエイティビティも右脳が活性化されていることが大切。 右脳が活性化されていないと、意識を今に向けることができないので 瞑想なども苦手になる人が多いです。 こういった右脳の活性やDNAの調整が 初回のセッションで優先テーマとして出てくる人はこれまでになく 何度もヒーリングセッションを、受けられている方に出てくる調整です。 数回キネシオロジーのセッションを受けたぐらいでは 遺伝の問題はなかなか出てきません。 なぜかというと、身体は遺伝の問題より先に インナーチャイルドの問題や、脳の統合や 扁桃体や魂の統合など、自分自身の脳の問題や 精神的なトラウマや思い込みを調整するように言ってくるからです。 そういったものが解決された後で、魂は遺伝の問題を解決するように 伝えてくるのです。 そうやって見てゆくと、 私は母の右脳優勢を受け継ぎながらも 父の論理性もある程度、受けつぐことができて、ラッキーだったのだなあと。 もし反対の性質、父の考えすぎの性質と 母の論理性が全くない性質を受け継いでいたら? と思うと、論理的ではないのに、過去や未来のことを考えすぎる、 という状態になっていたわけです。 たぶん、これが一番大変な状態です。 あれこれ考えていても論理的ではないので 頭が疲れてしまったり、不安になってしまうだけだからです。 もちろん、もし私がそうなっていたら、それはそれで別の学びがあったというだけで それを越えるための学びをしていくだけですから 結局は何を受け継いでいてもオッケーなのですけどね。 おさむが「誰よりも偉大だったのは、のりこのお母さんだね。 お母さんがいなければ、今のキネシオロジストとしてのNoricoもいなかった」 と言ってくれるのですが、もちろん母だけでなく、父の存在も含め すべてのことが、今、この瞬間につながっているのだなあと。 また、私の長期記憶の悪さというのも、私の意識にあったということが クリアになってきました。 私は短期記憶はとてもよくて 例えば、講演会などを聞いた後、その内容をほとんど覚えている とか、少し本を読んでそれを丸暗記する、などは 昔から得意だったのですが、長期記憶が異常といえるほど、悪いのです。 この長期記憶の悪さは、大学時代から周りのみんなにあきれられるほどで 「のりこ、そんなことも覚えていないの〜?」 と驚かれること数知れず。 特に悪いのが、出来事を記憶する力。 起こった出来事、人の顔や名前、そういったものは見事に忘れますし こういうブログを書いていても、自分が書いた内容もよく忘れています。 (だから、何度も同じこと書いたりするのよね〜) たぶん、セラピストとしては、あまりよい特質とは言えないと思うのですが 私のセッションに、あるクライアントさんが2、3回来られたぐらいでは 顔も名前も覚えていないことが多く 外で会っても全くわからないこともあります。 例え、そのセッションの間、私の全存在をその方と共鳴させて、 一緒に感動の時間を味わっていたとしても セッションが終わると、すっかり忘れてしまうのです。 だから、セッション中に身体が反応したことをメモしておかないと 次に来られた時にまた同じ質問をしてしまうことがよくあります。 その出来事記憶の悪さはどこから来ているのだろう?と思いつつ、なぜか それを調整したいとはどうしても感じなかったので、これまでほっておいたのですが 「意識を過去に向けない」という私の脳の仕組みが 過去の出来事は、自然と忘れるということになっていたようです。 例えば、ワークショップで勉強したことなどは、前のことであっても はっきりと覚えているので、自分の「今」にとって、必要だと感じたことは 記憶するけれど、出来事に関しては今の自分に必要ないので忘れてしまう ということだったのだなあと。 (とはいえ、ここまで忘れると、これでいいのかしら?という気にもなりますが) 一般的には、短期記憶=左脳、長期記憶=右脳 と言われているので、私は左脳優勢だと思っていたのですが そういう単純なことではないのですね。 さて、おさむは昨日「人の話を聴く力」を調整しました。 彼曰く「人によっては、その人が時々何を言っているのか よく聴こえなくなったりする、 特に周りの音がうるさいと集中力が途切れてしまう」とのこと。 私から見ると、昔から彼は人の話を聞いてない、 さっき話したばかりなのに、そのことに関する質問をする という感じだったので、以前から 「人の話を聞け〜〜〜」 とつっこんでいたのですが 今回の調整でようやくどういうことだったのかがはっきりしてきました。 セッションをやってみて出てきたのは もともと遺伝的に人の話を聞けない体質の上に 小学校に入った時に、学校の勉強についていけなかったので その時に「理解できない」「人の話を聞きたくない」という意識が生まれてしまい 人の話が聞けない体質になってしまっていたということ。 おもしろいことに、脳がそう認識すると、実際に聴覚も悪くなってきて 人の話が聴こえなくなってしまうのです。 ほんとううに脳の仕組みは奥深くて、おもしろい。 これからは私の話もしっかり聞いてもらえるかしら〜 (って、もう充分に聞いてもらっていたけどね) ということで、休みの日もやっぱりキネシです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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