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2013年03月08日
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カテゴリ:つれづれ

日々、いろんな方の問題やテーマを聞いていますが
コミュニケーションや人間関係、自己表現というのは
たぶんナンバー1のテーマじゃないかなあと思います。
これまでの人生でコミュニケーションや人間関係が全く問題なかった
なんて人には、まだ一度も会ったことはないですが
コミュニケーションは、仕事でも家庭でも恋愛でも友人関係でも
ほとんどの人の人生の上で大きなテーマとなっている問題です。

まず、多くの人が持っている問題として
「自分が本当に感じていることを相手に率直に言えない」
または「言わない」ということ。

このことによって、どれだけ人間関係が面倒なものになっているでしょう。
もちろん、例えば大人が子供に向かって
そのままを話しても子供は理解できないように
相手の理解度が同じ意識レベルまで達していなければ
今は言わないでいる、ということもありですが
相手に受け入れられるために言わないでいる、となると
どこかで歪みが出てきます。

でも一方で、自分の思いを伝えるために、相手を責めることになれば
それはまた新たな歪みを生み出します。

つまり、人間関係で最も大きな弊害となっているのが「正当性」です。

「こういう時にはこうするのが、当たり前でしょう?」とか
「あなたが~~しないから、こうなったのよ」
などという「これが正当である」という表現方法は
実は自分の本当の思いを伝えていることではなく
自分の本当の気持ちを見ないようにしていることなのです。

この「正当性」は、時に、愛という仮面をかぶって現れるので要注意です。

「こうするのが人としての愛じゃない?」とか
「こういう時に〜〜しないなんて、愛がないってことよね』などという感じです。

愛は行為ではありません。
でも、多くの人にとって、愛=行為になっていて
その人の行為によって、愛の深さを計ろうとします。
そして、人それぞれ、その愛と行為のバロメーターの度合いが違うので
Aさんにとっては、その行為は愛があることであっても
Bさんにとっては、その行為と愛とは関係なければ
Aさんから見ると、Bさんは愛がない、という価値判断になります。

例えば、Aさんがあることで困ったことがあって、BさんとCさんに
「〜〜にヘルプに来てもらえない?」とサポートを求めたとして。

Bさんは、本当は行きたくないのだけど、Aさんの願いを断れば
Aさんから冷たい人だと思われるのが嫌だし
それが他の人にもそういう風に広まっていくのも嫌なので
まあ仕方ないか、とそれを引き受けることにしました。

Cさんは、Aさんを助けてあげたいという気持ちはあるのですが
このところ、仕事も忙しくて、ゆっくりする時間もなかったので
「申し訳ないけど、今回は行けないわ」と
お断りして、家でのんびり過ごしました。

行為としてだけみれば
BさんはAさんを助けた、けれどCさんは助けなかった
わけですから、Bさんの方が愛がある
ということになるわけです。

でも、そこに流れているエネルギーは、Bさんの場合
自分を犠牲にしているので、必ずどこかで歪みが出てきます。
その歪みが、例えば、思いのほか、Aさんから感謝されなかったから
不満が残って、それを夫に対して当たってしまう、ということになるのか
または、自分の体調が悪くなる、ということになるのかわかりませんが
自分の感情を抑えたり、言いたいことを言わないでいれば
必ず、何かしらのバランスは崩れるし
それは全体として見れば、愛の行為ではないのです。

また、もし、ここにDさんがいたとして
Dさんは、そのサポートをすること自体がとても好きな人なので
「ぜひヘルプさせて」という風になれば
もちろん、それは双方にとって、ベストなわけですが
なかなかいつもそういう状況になるとは限りません。

では、人には簡単にヘルプを頼めないわ、となりがちですが
困った時にヘルプやサポートを求めるのは、誰にとっても必要なことで
Aさんの行為自体には何も問題がないのです。
ただ、もしAさんが、自分の願いを相手が引き受けなかった時に
「なんと非情な人なのかしら』とか
「自分は受け入れられていない」とか「大事にされていない」
という思いやエネルギーを持っていれば
問題はさらに深くなってゆきます。

さて、なぜ人は自分の正当性を主張しなければならなくなるかというと
自分のニーズ(必要性)が満たされなかったからです。
そして、それは多くの場合、自分を認めてもらえていない
とか、充分に愛されていない、などという思いから来ています。

例えば、彼女が彼に「どうして電話もしてくれないの?
遅くなるならなるって、一言電話ぐらいしてくれたっていいじゃない?」
と言うのは、自分のニーズを伝えているのではなく
正当性を主張しているだけなので
彼にとっては、自分を責められた感覚にしかならず
例え、それからは電話するとしても、
自分の意思ではないのに、彼女にやらされている感覚にしかなりません。

でもそれを「もし今度遅くなる時に、電話をもらったとしたら
とってもうれしいな。あなたが遅くなると
何か事故でも合ったんじゃないかって心配になってしまうから」

などと言ったとしたら、彼は責められている気にはならないし
彼女のニーズを満たすための愛の行為として
電話をすることができるのです。
(もっとも私もこんなかわいい言い方はしないけどねあっかんべー

もっとも、この場合、彼が電話してくれないことが
自分を充分にケアされていないという思いにつながっていれば
どこかで相手を責める気持ちが出てきます。
ですから、やはり最も必要なのは
「自己価値」なのです。
自分の価値を自分自身がしっかり受け入れていなければ
相手の行為によって、自分が認められていない、とか
受け入れられていない、などということになってしまうのです。

それぞれが自己価値をしっかり受け入れた二人が
コミュニケーションする場合は
とても楽でオープンな関係になります。
反対に、もし二人とも自己価値を受け入れていない場合は
どこまでいっても、幻想の(思考で作りだした)
コミュニケーションにしかなりません。

私には月に1、2度、一緒にご飯を食べに行く友人がいて
彼女はずっと毎月1回は、私のセッションを受けに来てくれているのですが
価値判断もしないし、自己価値もきちんと認めているので
一緒にいて、とても楽です。
これを話したら相手がどう思うだろうとか
などとは考えないので、何でも話せるし
ここで断ったら悪いなどと考えることもないので、無理もしないし
それでいてお互いをリスペクトし合えているので
とても心地いいのです。

ちなみに、念のために書いておくと
こういうコミュニケーションの内容を読んで、私のセッションを受けられた方の中には
「のりこさん、私のことを書いているんじゃないかしら?』
なんて思う方もいらっしゃるかもしれませんが
(たまに、そういう風に言われる方がいらっしゃるので)
率直に言うと、10人のうち9人は幻想のコミュニケーションを
やっていると言っても過言ではなくて
私はほぼ毎日のように、それを何らかの形で見ているので
誰がどうだったか、などというのは
ほとんど覚えていないし、私にとっては意味がないことなのです。

今日も、原始反射が残っているために
「起こってもいないことをあれこれ考えてしまう」
という特質を持っていた方がいて
私が「多くの人は、起こってもいないことをあれこれ考えているものだし
もしかすると相手の方もそうかもしれませんね」
とお伝えしたら「え〜私だけでないんだ〜」
とびっくりされていましたが
原始反射なんて、ほとんどの人が残っているわけですから
人間関係やコミュニケーションに問題があったり
スムーズにいかない人が多くても当たり前なのです。

自分の意識が変われば、人とのつきあい方も
自己表現の仕方も変化してゆきます。

相手を変えようとしないこと。
変えることができるのは自分自身だけですし
それは、いくらでも無限に変化させることができます。
そして、本当の意味での自己価値を受け入れ
受け入れられているという安心感を持った時に
幻想から抜けることができるのです。

インラケチハート(手書き)
 





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最終更新日  2013年03月09日 22時46分28秒
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