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2013年12月18日
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カテゴリ:つれづれ

本来コミュニケーションは、とてもシンプルなものですが
私たち人間は、言葉を使って行う必要性があるため
様々な問題が生まれ、複雑になりがちです。

またメールでのコミュニケーションは、直接会って話すのとは違って
相手の動作やエネルギーから相手の気持ちを読む取ることができないので
誤解を招きやすくなりますから
よりシンプルに、わかりやすく相手に伝えることが必要となってきます。

もっとも大切なのは、自分の気持ちや意向や感覚を
率直に伝えるということ。
人とのコミュニケーションでそれができない人はとても多いです。

例えばAさんがBさんに対して、あることをヘルプしようと
「もし必要なら、私が今度手伝いますが、いかがですか?」
と聞いたとします。
ところがBさんが
「Aさんはお忙しいですし、どうぞ無理をなさらないでください」
などということだけを伝えたら、
Aさんには、Bさんが自分の手伝いを受けたいのに遠慮しているのか
もしくは、助けを受けたくないのか伝わりません。
それで、もう一度、AさんはBさんに
「私の方はちょうど今は手が空いているし
もしヘルプが必要なら遠慮しなくていいですよ」
などとBさんの意向をさらに尋ねる必要が出てきて
シンプルなコミュニケーションが、ひとつ手間(複雑)になるのです。

Bさんとしては、もしヘルプを受けたいのにも関わらず
そういう微妙な言い方をしてしまったとしたら
「ヘルプはありがたい、でも相手に迷惑に思われたら嫌だ。
それだったら一人でやった方がいい」
などという気持ちがあり
迷惑になったらなぜ困るかと言うと
それによって相手が嫌な思いをするのではないか?という恐れであり
自己価値が低いから。
ですから、自己価値をしっかり自分自身が受け入れていない人は
シンプルなコミュニケーションができなくなってしまいます。

この場合、Aさんに聞かれた時、Bさんが伝えるべきことはシンプルです。
サポートを受けたいのか、今回は必要ないのか、
自分の感覚や思いや意向をそのまま伝えるだけなのです。
もちろん、例えばA さんが本当に忙しい人で
人のためにちょっと無理をしがちな方だったら
「ありがたく申し出を受けさせてください。
でも、もし急に予定が入ったり、疲れていたら
いつでもキャンセルしてくださいね」
などと相手を思いやる言葉を伝える必要も出てくるかもしれません。
(これも場合によっては、不要な気遣いとなりますが)
人に気を使う必要はなくても
人をケアする気持ち、思いやる気持ちは大切ですから。
人に気を使う人は、逆に相手にも気を使わせてしまうことになりがちで
本当の意味では相手のことを思いやることができていないこともあります。

さて、ここでBさんだけでなく、Aさんも自己価値が低かったり
あれこれと人に気を使う(思考でコミュニケーションする)
人の場合は、話は余計に複雑になります。
Aさんは「Bさんが無理をしないでください、と言ったのは
私のサポートを迷惑だと思っているからかもしれない」
などと考えたりして、サポートをするのをやめたりすれば
そこでBさんは「やっぱりAさんにとっては迷惑だったのだ」
などと思って、事態はわけがわからないことになってゆくのです。
Aさんとしては「Bさんは私のことを〜〜〜だと思っていると思っていた」で
Bさんとしては「Aさんは私のことを〜〜だと思っていると思っていた」で
お互いに相手がこう思っているのではないか?
と思って(妄想して)いるわけです。
このことは、以前も書きましたが
これを「幻想のコミュニケーション」と私は名付けていますが
相手がこう思っているのではないか?とあれこれと予想することに
何も真実はありません。
「相手の気持ちがわからなければ、率直に相手に尋ねる」
コミュニケーションは本当にシンプルなのです。

自己価値が低ければ、相手のために何かができる自分や
相手の迷惑にならない自分でいなければならなくなってしまうので
乗り気がしないなあとどこかで感じつつも、無理をして引き受けてみたり
またはBさんのように自分の気持ちを率直に伝えないことで
話が面倒なことになってしまったりで
自由でオープンなコミュニケーションを持つことはできなく
なってゆきます。
またプライドを持っている人も、コミュニケーションは苦手になります。
プライドというのは持っていれば、必ず傷つくものだからです。
ですから、無意識にそのプライドが傷つかないように
相手の気持ちを探るような遠回りな言い方をしたり
自分の気持ちを率直に相手に伝えることができなくなります。
実は、プライドがあるというのは、自己価値が低いということの
裏返しなのです。

自己価値をしっかりと受け入れていれば、どんな時でも
「心から自分のやりたいと感じることだけをやる」
ことができます。
私はプライベートでつきあう相手は、自分にとって
本当に楽しくて心地よいと感じる人だけです。
また例え、いくら大好きな人であっても
その時に他にやりたいことがあって
今回は大切な友人とのつきあいよりも、そちらをやりたいと
感じれば「今回はやめておくわ〜」とか
一度約束していたとしても「ごめん〜やっぱり明日はゆっくり休むことにします〜」
などと自分の感覚を優先します。
私が断ることによって、その方との信頼関係は
揺らぐことはないとわかっているからです。
ですから、私が断ったことで傷ついたり
余計な気を使ったりする必要がある人とは
友人としてつきあうことはなくなります。
(もっとも、基本、酒を楽しく飲むことができる人なら
誰でも大丈夫だったりするのだけど)←結局それかい!パンチ

どんな時でも相手に無理に合わせたりせず
自分が本当にやりたいと感じたことだけをやる。
そのためには自己価値をしっかり受け入れ、人と共鳴しながら
自分の今の気持ちや感覚を率直に相手に伝えること。

本来とってもシンプルなことなのに複雑になってしまうのは
人それぞれ様々な要因があります。
そういっている私自身も
ここ数年感じているコミュニケーションの問題があり
それはまだ調整していないのですが。

もともと私は、基本的にオープンな人なので
ほとんどの人には出会ってすぐに
何でも自分の感覚を伝えることができていたし
コミュニケーションに関しての問題というのは
感じていませんでした。

が、これはキネシオロジーを初めてからの職業病に近いのですが
例えば友人と話して、友人から何かを相談されたとしても
それに対してただ話を聞いたり、何かアドバイスを伝える
ということができないのです。
筋反射を取って、その人の(頭で考えている問題ではなく)本当の問題や
本当に何が必要なのかを見てからでない限り
私のアドバイスが、その人の道に添っているかどうかわからないし
場合によっては、そのアドバイスが、友人のブロックになることもあり得る
ということが、よくわかっているからです。
普通、友人同士では、何か悩みなどがあっても
お互いに話をするだけで満たされたりしますが
私の場合、プライベートで何か悩みを話されたりすれば
その問題は、一体どこから起こっているのかしら?
となって、カフェで筋反射を取り始めることにもなりかねないし
そうなると、プライベートでも仕事モードになってしまいます。

また、これまで何千回もセッションをやってきたこともあって
筋反射を取らなくても、会って話をすれば
「あ〜原始反射があるなあ」とか
「インナーチャイルド、かなり残っているなあ」とか
「これは脳神経の問題がありそうだなあ」などと
ある程度は見えてくるので、そうなるとさらにセッションをしなければ
何も変わらないということもよくわかるので
セッションをせず、ただ友人の話を聞いている、ということが
もどかしく感じてしまいがちです。
毎日のセッションでは、人と深いレベルで共鳴することができても
プライベートで人とつきあう時には
たまに、無意識に第6チャクラを閉じているような感じになり
なるべく相手の本質的な問題を感じないようにしてしまう傾向が
ここ数年できているのも、よくわかっています。
(なので、私が酒を飲んで酔っぱらっていれば
相手の本質的な問題は観えてこないので、楽なのよね〜あっかんべー
友人の中でも、私のセッションを何度も受けていたり
ある程度、本質的なものが癒されている人だと
そういう意識を持つことなく、楽につきあうことができるのですが。

もちろん、どちらにしても、私にとって心地よい人としか
友人としてはつきあえないのは確かなことですが
例え、その人のことが好きであっても
職業柄、つい問題の本質的な要因を追求しようとしてしまったり
それがどこから来ているのか、わかりすぎてしまうために
プライベートでのコミュニケーションが面倒になってしまう
というのは完全にマインドの問題ですから
これは私の意識を変化させる必要がありそうだなあと。
楽でないもの、シンプルでないものは私たちの本質ではないですから。

ということで、コミュニケーションは癒されれば癒されるほど
さらにオープンに、さらに自由に、さらに楽に、なってゆくのです。
 





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最終更新日  2013年12月19日 23時27分23秒
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