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2014年07月09日
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カテゴリ:つれづれ

私のキネシオロジーのセッションの中で
クライアントさんの身体から、女性性の問題がテーマとして上がってきた時に
その人にとって、女性性のどういった特質が欠けているのかを
筋反射で調べていて、よく反応するのが
「甘えること」です。

女性性の特質は、感じる力や情熱、人との親密さなど様々なものがありますが
甘える、という特質も女性性の一つです。
これが女性性のブロックの一つとして出てくるということは
甘えることが苦手である、ということ。
それでクライアントさんに伺ってみると
「どういう風に甘えたらいいかわからないんです」
というお返事がよく上がってきます。
また「どういう時に甘えたらいいのですか?』とか
「甘えることによって、何を得るのですか?」
などと質問してくる方もいます。
そういう質問が出てくること自体が
物事を目的や結果の論理性で捉えるという男性性の特質であり
女性性が弱いことを意味しているわけですが
私にとっては、それは例えば
「どういう時に笑うのですか?」とか
「何のために笑うのですか?」という感じに聞こえます。
つまり、笑う時はこういう時、と決まっていないように
甘えたい気分の時に甘えるわけで
笑うことに目的がないのと同じで
(目的をもって笑う場合もありますが)
甘える理由や目的を上げるとしたら、それが楽しいからであり
甘えるというのは、男女間において、愛を高める遊びの一つなのです。

そもそも「甘える」という言葉を辞書で引くと
「かわいがってもらおうとして、まとわりついたり、ねだったりする」
という表現としての甘える、というものと
「それではお言葉に甘えて、頂きます」などというように
相手の厚意を受け取る、お願いするという行為としての甘えるがあります。
行為としての甘えるは、男性にも必要であって
人からのサポートを(申し訳ないと言う気持ち抜きにありがたく)受け取る
ということにつながります。
そして、相手からサポートを受け取れない、お願いできない
わがままではいけないと思っている女性は
表現として甘えることも苦手になります。

また、なぜ男性に甘えれないか?をクライアントさんの身体に聞いてみると
「男にこびる感じで嫌」とか「負けた気がする」とか
「フェアじゃない」「プライドが許さない」
などという言葉が上がってくることもあります。
特に女性性を受け入れていない上に、(不要な)正義感が強い人は
その傾向にあります。
男性と対等意識というか、男女は同じでないといけない、という思い込みや信念体系が
男女の本質的な違いを理解することや自分の内なる感覚をブロックしてしまっているのです。
ですから、甘えることが苦手な女性は同時に
人との親密さや感じる力も弱い傾向にあるのです。

笑い方にいろいろあるように、甘え方にもいろいろあり
普通は女性は、自分の母親が父親に対して甘えていたやり方で
無意識に甘え方を学んでいます。
母親が父親に全く甘えない人だったり、または自分自身が子供の頃に
親に甘えられなかったりすると、甘え方がわからなくなってしまうわけですね。

私はおさむによく甘えていますが
例えば、1日中、仕事をした後、あ〜今日もよくやったな〜
おさむに話を聞いてほしい〜
などという時に、おさむが自分の音楽制作やギターの練習に
打ち込んでいる、というような状況があります。
そういう時、わがままはいけない、と思っている女性は
相手のじゃまになってはいけないから、と
自分の話を聞いてほしい、という気持ちを抑えてしまうのです。
気持ちや感情を抑えれば、それは不要なエネルギーとして
溜まってゆくので、何かの時に怒りや不満という形で出てきます。
私は甘えたい気分の時には
例え、おさむが何か自分のやりたいことをやっていても、とりあえず
「かまって〜〜ピンクハート」と(ハートマークを飛ばしながら←ここが肝心)甘えます。
すると、おさむは自分のやっていることを中断して私に構ってくれる時もあれば
そうではなく、とりあえずハグして
「どう、どう、どう」と(馬をなだめるように)私をなだめて
「後で相手してあげるからな」などと言って、彼がその時やっていることに
さっさと戻ることもあります。
それはその時々の二人のエネルギーのよって変化しますが、どちらにしても
私の甘えたいという気持ちは彼に受け取ってもらえたので
私は満たされるわけです。
私にとっては、絶対におさむに構ってもらわないと困るというようなことではなく
甘えるという行為を通じて、その瞬間
私のエネルギーとおさむのエネルギーを交流させるという
彼とのコミュニケーションにおける遊びの一つだからです。

でも、私がそういう風に甘えた時に、もしおさむが
「俺は今、音楽をやりたいからじゃましないでほしい」などと言ったとしたら
私の甘えたい気持ちは受け取ってもらえなくなります。
(もちろん「50を過ぎた女が構って〜はないだろう」なんて言う
化石のような古い意識の男は対象外よウィンク
また、女性の甘えをまじめに受け取りすぎる男性にも
女性は甘えられなくなります。
昔、私がつきあった男性で、私としてはただ甘えるつもりで
「今日は仕事を休んで、一緒に遊ぼ〜よ〜」と言うと
本当にいつも仕事を休んでしまって
「のりことつきあいだしてから、仕事休んでばかりだ」
なんてことになったり
何でも私の願いを叶えようとするので、うれしい反面
気軽に甘えられなくなったことがありました。
男性は、女性の甘えを受け取りながらも
場合によっては、上手く受け流すことも必要なのです。
女性の甘えはあくまでも「あなたのことが好きよ〜」という愛情表現の一つであり
そこに目的はないのですから。
ですから、女性が甘えることを受け取れない男性や
また受け取りすぎる男性に対しては
女性は甘えることは愛情表現であり、遊びの一つなのだ、ということを
上手く伝えていく必要が出てくるわけです。

もっとも、甘えるにしても、もし私が状況を全く感知せず
例えば、おさむがクライアントさんとの仕事の間や真剣なレコーディングの最中に
「かまって〜〜」と言ったとしたら
それはもう甘えるという遊びを超えてしまっています。
つまり、本当に相手にとって迷惑になることは、甘えるとは言わないわけですね。
ですから、甘えるためには、人との共鳴力が必要になってくるわけです。

甘えられない女性は、自分の欲求があると
「どうして〜〜してくれないの?』などと論理的に相手を責めることになりがちで
そうなると男性も
「俺は仕事が忙しくて疲れているのだから
そんなこと言っても仕方ないだろう」などということになり
「やっぱりあなたは私を大事にしてくれないのね」などと発展し
それでは、どこまで論議しても、男女の愛の高まりにはつながらないわけです。
そういう時に女性が
「話せなくて、さみし〜〜いピンクハート」(ハートマークは必要)と甘えさえすれば
男性も自分が責められていると感じません。
つまり女性が「彼と一緒にいたい」という思いがあるのに
一方で「わがままではいけない」という意識があれば
自分の思いを伝えるのに、自分がわがままであるということを認めない形で
それは相手に問題があるからだ、というように伝えてしまうので
話がややこしくなるわけですね。
ですから、最初から「これは私のわがままなのよ〜」というエナジーで
相手にやってほしいことを伝えると、相手にとっては
自分のやり方が否定されたことにはならず、負担にならないし
女性の気もちを受け止めてあげたいと感じるわけです。
(それでもそれを感じない男性は、調整必要よウィンク
甘えることは、甘えられた相手にとってはけして負担ではなく
むしろ愛を受け取ることであり、喜びそのものなのです。

さて、もちろん私はいつもおさむに甘えているわけではなく
日によって、その瞬間瞬間によって、私のエネルギーは変化しますから
おさむとの関係においても、さばさまと語り合う友人になる時もあれば
何かを教える先生になる時もあり、またはヒーリングをやっている時は
ヒーラーとしておさむと接するわけで、そこには、甘えるエナジーはありません。
また私たちには子供がいないので、親としての自分は味わえませんが
セドナつながりの仲間などが家に来た時などは
私たちはみんなのお父さん、お母さん的な感覚もあるので
私はおさむに対して
「おとうさ〜ん、娘が今、来ているわよ〜」
などという対応になったりします。

つまり、ここで私がお伝えしたいのは
一つの性格やキャラや立場に自分が限定されないで
その場、その場で感じるままに自分の持っているものを出していく
ということです。
多くの人は、例えば、父親として母親としての自分とか
会社の社長として、先生としての自分、などというように
自分の立場や環境によって、自分のあり方を限定してしまいます。
例えば、昔、子供が生まれる前は、二人はラブラブな雰囲気だったのに
結婚して子供が生まれたら、母親としての自分だけになってしまって
夫に甘えることがなくなってしまいました、とか
または、会社を設立して女社長としてやっていくうちに
男性に甘えれなくなってしまいました、などということになってしまうのです。
ですから、子供といる時は母親でも、旦那と二人になればパパとママとしてではなく
恋人のようであったり
また会社では社長としてとかリーダーとしての対応をしていても
プライベートでは、一人の女性として彼に甘えたりと
その場、その場で、自分のエナジーを自在に変化させていくことが大切なのです。

これは相手に合わせなければ、というようなことではなくて
相手と共鳴しながら、その環境や状況に合わせて自分の持っているものを自然と出す
ということです。
実はこれはとても楽しいことなのです。
もともとすべての人は「これが自分だ」というものは何もないのですから
自分の中には様々な自分があるのは自然なことであって
その時々の相手との関係における、自分の中のエナジーの変化を日々感じていくと
A-HA(あ〜なるほど!)という感覚が頻繁に訪れます。
ですから、人との直接会って行うコミュニケーションは
何よりも自分自身の内面を見せられるし、感じられるわけですね。

ということで、まだ書き足らない感じはあるのですが
今日の講座はここまで〜ひよこ
(もっともらしいので、何でもかんでも講座にしてしまおう)
 






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最終更新日  2014年07月10日 01時21分11秒
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