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2014年12月30日
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カテゴリ:つれづれ
今日、明日で今年も終わりですね~
今年もいろいろあったな〜と振り返っている方も多いでしょう。

私は基本、過去を振り返らない、先のことを考えない人ですが
何だか最近、昔は私はこうだったなあ
と懐かしく思いだしていました。
そして、2014年を振り返ってみると
そういう過去の私がいろんな形で再び出てきて
それを手放してゆくプロセスになっていました。

私の周りでは、この2014年は、大きな変化変容の年になっている人が多いです。
結婚、離婚、出産、転居、転職、別れなど、その人の人生にとって
大きな出来事が今年あったという人もけっこう多いし
また大きな出来事ではなくても、自分のこれまでの価値観や生き方が根底から
変わるような意識の変化を体験されている方もいます。
これはたまたま私の周りやクライアントさんに多いだけなのか
それとも全体的に多いのかはわかりませんが。

そういう変化のプロセスの最中は、けっこう苦しいのですよね~。
もちろん離婚や別れなどの変化は、ストレスになることは多いですが
例え、自分が前からやりたかった新たな仕事を始めるにしても
その前にはいろんな葛藤があったり
結婚や出産といったハッピーな変化であっても
人によっては、結婚式や新たな人間関係でのストレスだとか
不妊で悩む時期だとか、妊娠中も思い描いていた状態で過ごせなかったとか
必ずしもいつも楽でハッピーとはいかないこともあるわけです。
もちろん、それらもすべてマインドの作り上げた困難や苦労なので
そこから抜け出せば、楽に生きれるのですが。

私も今年を振り返ると、充実して楽しかったけど
今から思えば、けっこう苦しかったこともあったなあと。
特に2月のエジプトの旅の後と、5月の日本の後。そして
キネシプロ養成講座の後の11月の始め。
これは、身体的にも、食中毒やぎっくり腰などデトックスが起こったこともありますが
何よりも、精神的なデトックスが大きかった。
私はこれまで自分がやりたいことだけやってきたし
それはとっくに手放したと思っていた
「人を救わなければ、世界を救わねば、慈悲と共感と使命感」の意識が
まだ強く根付いていて
それを再び、手放してゆくプロセスとなり
私にとっては、たぶん10年ぶりぐらいの大きな変化になりました。
古く慣れ親しんだものから抜け出す時というのは、何らかの勢いが必要で
それが身体からのサインだったり、ヒーリングだったり
旅だったりするわけですね。

そのおかげで、一昨年、去年よりも、大幅に休みの日は増えて
一昨年の月に休みは1、2日しかない状態から考えると
ここ最近は週に2日休みを取っても、ギルティ感は全く感じないし
今年から長期での休みも取れるようになって
来年も2月から2ヶ月間ハワイに滞在して
1ヶ月間は仕事としてリトリートを開きますが
残りの1ヶ月は完全バケーションという
ここ20年ぐらいできなかったこともできるようになりました。

そして、今年はおさむとの関係におけても様々な変化がありました。

ここ1、2年、おさむがキネシオロジストになってからというもの
私とおさむは、毎日毎日、片時も離れず一緒にいるようになり
さらに深くつながっていって、それに従って
たまに、どこまでが私でどこまでがおさむなのか
よくわからなくなってしまったところがあり
そのあたりの境界線を、最近あらためて意識することになりました。

そして先日、おさむが私にセッションをしてくれたのですが
その目標の一つが「おさむから自立すること」
これまで自分のやりたいことを自由にやってきたものの
ここ1、2年、私がおさむに対して過保護になっていたというか
どこかに、おさむを一人前にしなきゃ、みたいな気持ちがあったなあと。
例えば、おさむがしばらく仕事が少ない時期があった時など
心配はしていないけれど、どこかで気になっているというか。
以前はおさむを置いて一人旅などもやっていたのに
ここ最近は一人で何かをやりたいという気持ちが全く湧いてこなかったわけです。
やりたいと感じることだけが、魂の方向とは限らない
ということを先日も書きましたが
これからおさむから離れて何かを行うことも
再びやってゆく時期に入ってきたということなのかなあと。
「このセッションは俺からのクリスマスプレゼントだよ」
とおさむは言っていましたが、彼が私の中のこういう要因を
引き出せるようになったということが
すでに次のステージに来ているというサインなのですね。

と、これからの変化もまた楽しみですが
そのセッション後のデトックスとして、クリスマスに映画を見に行った時に
私はおさむのちょっとした態度に腹を立てるという一幕がありました。
ま、私は怒ったらがまんしたりせずに、思いっきり出してしまう人なので
帰りにはもう怒りは消えて
「あ~私ってなんて幸せ~♡」となっていたのですが
怒っている時の私の感情としては
「いつもおさむはそうだった。私はずっとがまんしていた」
と、おさむを責める気持ちが吹き出てきました。
私は出来事の記憶力が悪いこともあって
過去のことを持ち出して文句を言ったりすることは苦手なのですが
この時ばかりは、昔からおさむはこうだった~
という恨みつらみを言いたい気持ちが止まらないわけです。
ブンブン怒りながらも、これはどこから来ているんだろう?と
感じているのですが、感情というのはどうにも止めれないわけですね。

さて、その要因を再びおさむに見てもらったら
「楽しい時に一緒に盛り上がらない人への怒り」というのが出てきました。
クリスマスの日におさむのテンションが低かったので
私が怒りを感じたのですが
おさむは基本、いつも淡々としていて、盛り上がらない人であることは
20年近くつきあってきてよくわかっているし
これまで、特に気にもならなかったのに
何で今更、そんなところに反応してるの?
と自分でもよくわからなかったのです。

筋反射で見てゆくと、これは、私の「いつも人と感動を分かち合いたい」
「パーティや祝いの場では最大限に楽しみたい」
という思いから来ていて
おさむだけでなく、みんなで楽しんでいる時などに
一人テンションが低い人がいると
気にしないようにしていても、居心地が悪くなるし
酒を飲まない=盛り上げれない=喜びを分かち合えない
の図式もまだ残っていました。

根本要因は、もちろん私の両親からの影響。
母は、とにかく楽しいことが好き、みんなで盛り上がるのが好きな人で
そういう場で盛り上げれない人はおもしろくない
まじめな人はつまらない、とよく言っていたし
父は一緒に酒を飲まないやつはだめなやつだ、という信念で
その両親から育てられ
また大学時代に酒の場で盛り上げることを叩き込まれ
当時から、私が酒をとことん飲んだり、盛り上げる人だったので
先輩や上司やオーナーから、かわいがられた記憶、があり
私の中では、酒飲み=自己価値、にまでなっていたわけですね。

しばらくお酒を飲まなかった時代もあるので、自分ではもうとっくに
手放してきたつもりでしたが
たぶん、一昨年のギリシャやイタリアへの旅あたりから
ワインを飲まない食事なんて、人生楽しめない
という思いが強くなってきたのだなあと。

こういうプロセスって、けっこうあるのですよね。
例えば、子供の頃に責任感や義理人情が強くて
20代、30代は、そういうのから抜け出して
やりたいことだけを自由にやってきたのに
40代になって、再びもともと持っていた責任感や義理人情が強く出てきて
そして、最終的にそれらが最も適切な形で統合される、というようなプロセスで
極端から極端に移った後で、中庸になる、という感じです。
私はこの極端から、その対局の極端に移るパターンが
人生でとても多いということに気づきました。

朝から焼き肉を食べるような人だったのに、ある時からビーガンになって
何年間か肉も魚も乳製品も一切食べなくなり、そして今はその中庸というか
肉は特に食べようという気にはならないけど、魚は普通に食べるし
乳製品もたまに取ります。
毎日のように酒を飲んで朝まで盛り上がって、という破壊的な生活を
何年か送っていたかと思えば、ある時から、ほとんど酒も飲まず
朝から毎日瞑想、ヨガして健康的なことしかしない時期もありました。
今は、基本は健康的ですが、不健康なこともたまにやります。
物の持ち方一つにとっても、いろんな物をあれこれ持っていた時期もあれば
できるだけ物を手放して、家には冷蔵庫とコンピューター以外の電化製品は
一切ない状態だった時期も何年かあり
ここ最近は、電子レンジやテレビは持たないけど
掃除機やドライヤーなどはまた使うようになりました。
(とうとうiphoneも最近買ったし)

この両極端を体験することで
最終的には、どちらの状況も楽しめるようになるというか
物がない生活も、物があるのも楽しいし
健康的なことも、不健康なことも楽しいし
人に貢献するのも、全く貢献せずにただ受け取るのも楽しい。
その中で、バランスを取って、今はどの立場を取っていく、ということが
できるようになったのだなあと。
だから、両極端にやってみる、というのは
ヒーリングをしないでバランスを取っていく一つの方法だと
あらためて思います(時間はかかってしまうけど)

昔は、この「バランスが取る」ということさえ否定していて
極端な人や劇的人生やこだわりが強い人などがおもしろかったし、好きでしたが
どちらかに片寄れば片寄るほど、本来の私たちの自由さを失ってゆく
ということがわかってからは、いかに自分の中のいろんな面の
バランスを取ってゆくかがキーだなあと感じます。

つい先日も、おさむと、久々にオラクルカードを引いて遊ぼう
と二人でそれぞれ筋反射でカードを選んだのですが
私に出てきたカードは
「あなたはスピリチュアルティーチャーであり、
人々を光の方に導いていく役割を与えられた人です」
というカードでした。
そのメッセージを読んでいたおさむが
「そんなん、わかっとるわい!」と言ったのですが
確かに、数年前ならともかく、今はそのあたりはさすがに受け入れているし
むしろ今、そういう使命感を手放そうという時に
なぜ今更このメッセージ?と思ったのですが
そこはバランスを取っていきなさい、ということなのだなあと。
極端に走りがちな私のことなので
使命感を手放した途端「1年間セッションお休みします〜」
ぐらいのことになりがちだし
私の本質(魂とか宇宙でも)としては
そのあたりの私の役割はしっかり認識しながらも
そこにとらわれず、やりたいことを自由にやっていけ
ということなのかしら〜と。

12月は手放す時期というのか
いや、古いものを手放して新年を迎えたいという
多くの人たちが持っている無意識がそうさせるのか
この12月はけっこう苦しかった~と言われる方もけっこう多いのですよね。

私もこの2014年の終わりになって
おさむとの関係や酒のこだわりを手放すというデトックスがあり
私にとっては、酒との関わりは人との関わり方につながるものだったので
古くから持っていた意識を覆すような変化だったわけです。
もっとも最近はもうワイン2、3杯で充分満足~という
感じでお酒も弱くなっているし、昔のような飲み方はしなくなりましたが
(なぜかハードリカーはけっこう飲めるのだけど)
少なくとも、酒飲まないと楽しめない、という意識はなくなるのでしょうね。

ということで、明日の大晦日は7人で集まって
私が昔働いていたレストランにそばとお寿司を食べにいく予定です。

とことん飲むわよ〜!!爆弾

もとい!ほどよく飲むわよ〜ウィンク


新たな年もまたいろいろあるでしょうが、すべてはプロセス。
人生に目標地点はないですから
あらゆるプロセスを楽しんでゆきましょうね。

今年もたくさんの方々にお世話になりました。
ありがとうございます。
みなさまどうぞよいお年を!!





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最終更新日  2014年12月31日 02時12分19秒
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