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2015年07月12日
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カテゴリ:つれづれ
私のキネシオロジーのセッションで
「人の話をまともに受け取りすぎる」「人の言葉に左右される」
という問題がクライアントさんの身体から伝えられることがよくあります。
人の話をまともに受け取りすぎる人は
コミュニケーションが大変になってしまったり
自分本来のあり方を見失ってしまうことになったりするのですね。

「人の話は話半分(に聞く)」と言う言葉(格言?)がありますが
私が子供の頃に母がよく言っていました。
それは例えば、友人が「夫と上手くいっていないの」などという悩みを相談してきたので
それに対して「大丈夫かしら?」と同情したり、心配したりしていたら
しばらく経って、その人に会ったら
すっかり問題も解決していて、幸せそうで
「なんだ、あれこれ心配していたのに」となったり
または反対に友人が「うちの息子はこんなに素晴らしいのよ」などと言っていて
それはよかったね~と思っていたら
しばらくすると、その息子さんが不登校になった、などという話を聞いた
など、人の話は、その時々で変化したり、誇張が入ったりするものだから
まともに受け取らず、半分は聞き流しておきなさい
という意味です。

これは母自身が、人の言葉によって一喜一憂したくない
ということから、そう言っていたのでしょうが
この「人の話は話半分」というのを私なりに解釈してみると
もちろんこれは、人を信頼しない、ということではなく
人の言葉を疑うということでもなく
人は移り変ってゆくものなので、その時はその人はそう捉えていても
変化するかもしれないから
人の話は、ただその時の話として受け取っておく、ということ。
そもそも言葉を使ったコミュニケーションは制限があって
言葉の定義自体が人それぞれ違うし、その人が使う言葉が
その人の本当の気持ちや感覚を正確に伝えているわけではないことも多いです。

「人の話を話半分」に聞けない方は
基本的には生真面目な方が多いので
「人と約束をしたら、必ず守る」とか
「言ったことは実行する」という性質も持ち合わせていることが多いです。
そうなると、自分では当たり前のことであっても
相手がそうでなければストレスになったり
また自分自身もがんじがらめになって、生きづらくなってしまうのです。
人が発した言葉は「この人は今、そう感じているのだな~」
とか「その人にとっては、それがいいのだな」と受け取ったり
またはその言葉そのものではなく、その人が発しているエネルギーで
何を伝えようとしているのか、感じたり
という柔軟性が、楽なコミュニケーションのために必要なのですよね。

私の場合、そういった(いいかげんな?)母の影響なのか
おさむから以前は「のりこは言っていることが、ころころ変わる」
と言われて
確かに、若い頃から友人にもそう言われることが多かったなあと。
その時は、本気でそう「思って」いたのだけど、変化した
ということもあるし
自分が感じていることを言葉にした後に
しばらくして、いや実はそうではなくて
私はこう感じていたな、と言葉を置き換えることもあったり。

実は、このブログを書こうと思ったのも
先日、おさむが「のりこはみんなから信頼されているから
のりこの言葉をまともに(自分のものとして)受け取って
翻弄されてしまう人もいるわけよ」
と言うので、なるほどな〜と。
信頼してもらうのはとてもうれしいことですが
セッション以外での、私の話は話半分、に聞いてもらった方がいいなあと
今日は、この内容でアップしているわけなのですけどねウィンク

私のセッションの中で、クライアントさんの身体から発せられた言葉は
それはクライアントさん自身の心の声、身体の声、魂の声なので
それはまともに受け取ってもらった方がいいですが
それ以外のところでの私の言葉は(このブログの内容も含めて)
すべての人にとって当てはまるわけではないし
(人によっては、全く逆のことが必要だったりします。例えば中には
「人の話をきちんと聞く」ことが必要な人もいますから)
また私自身がどんどん変化するわけですから
前に書いた私の感覚も、今になってみれば違うな~と感じることもあります。
だいたい数日経つと、もうその時の感覚と違っていたりするんですよね。
(なので、私の過去のブログを今、全部読んでます、なんて言われると
ひぇ~となってしまうわけですが)

さて、まじめな方がやってしまいがちなのは
成功者や何かを達成している人の話や体験を
まともに受け取って、それが正しいやり方だ、という信念体系になってしまうことです。
これはどんな分野でもありますが、成功者はその人がどうやって成功したか、ということを
その人の体験として話しますが、確かにその人にとってはそうであっても
また一部の人にとっては有効でも
すべての人にとって有効な方法とは限らないのです。

そして、最近多いのが、スピリチュアルな教えや本の言葉をまともに受け取ることで
自分の新たなる思い込みになってしまっているケースです。
まともに受け取る、というのは、実は頭で考えて(理屈をつけて)受け取る
ということで、本質とはずれていることも少なくありません。

例えば、私もよく使う言葉ですが、スピリチュアルでよく言われる
「流れにゆだねる」ということに関して
その言葉だけ受け取って、それを信念体系として組み込んでしまうと
本当の魂の流れには、ゆだねられない現実が生まれてきます。

例えば、仕事場をくびになって辞めた、ということがあったとして
そのくびになった本当の要因を見ようとしないで
「この仕事を辞める時期だったね」と「流れにゆだねて」
同じことを繰り返してしまっていたり
また仕事を得るための活動をする必要があるのに
「(モチベーションが上がらないのだから、モチベーションが
上がるまでやらないでいようと)流れにゆだねて」
行動せず、先延ばしにしていたり
または、例えば、会社や人から、本当は自分はやりたくないことを求められた時に
「流れにゆだねよう」と引き受けて、無意識のストレスになっていたり
また、本当は仕事のやり方を変えるのが必要なのに
お金がなくなったのは、もうこの場所から移るということだな
と「流れにゆだねて」問題の本質を見なかったり。

本来は「流れにゆだねる」というのは、何も行動しないということではないし
やってきたものを断らないということでもないのですが
そういう方は
「流れにゆだねる」ということが「考え方」「信念」になっていて
その時々に
「流れにゆだねる」ための思考の意味付けをしているので
本当の自分の感覚に従って生きれなくなってしまうのですね。
その他、スピリチュアルで言われている中で
「人に与えること」とか「ポジティブに捉える」
「今の自分に満足する」「感謝すること」
「ありのままの自分を受け入れる」「わくわくすることをやる」
なども、信念体系になりやすい言葉です。

また「人の言葉をまともに受け取って」しまっているために
その人本来のクリエティビティが発揮されないこともあります。

例えば、ヒーリングを学んだ中で
そのヒーリングの創始者や教えた先生の言葉を信じきってしまって
それ以外の可能性や自分自身の創造性を発揮できないでいる方もいます。
私はキネシオロジーの上級クラスを開いていますが
クラスの参加者にお伝えしているのが、私のやり方にもとらわれないで
それは一つのやり方として受け止め、自分なりのクリエイティビティを
発揮してゆくということです。
これはあくまでも、私自身の何千の臨床から
導きだされたやり方であって
もちろん可能性はこれだけではないし、また私自身も変化していくので
また新たな方向に向かうかもしれないからです。

さて、人の話は話半分、の私ですが
少し前に、おさむが私のセッションをやってくれた中で出てきたのが
「忠誠心」


『へ?忠誠心?一体、私、誰に忠誠しているの?」
それで、おさむが私の身体に聞いて出てきた答えが
私が忠誠しているのは人ではなく
『クライアントさんの身体からの声」でした。

ふむ。確かに。
以前「司令官との会話」という内容で書きましたが
クライアントさんの身体からの声は、私にとっては絶対服従。
ほんのちょっとした身体からの反応も、すべて聞き逃さないように
全神経を集中させているし
一つのメッセージを導きだすのにも
ありとあらゆる角度から質問してゆきます。
だから、導きだされたことに、絶対的な信頼があるし
例え「あ~こんなこと、私個人としては言いたくないな~」と
思うような内容であったとしても、躊躇することなく伝えることができるわけです。
もちろん、だからこそ、変化も大きく起こりますが
私の場合、問題だったのは
クライアントさんの身体からの声を正確に読み取る、というのが
一つの信念体系にまでなっていて
1回のセッションで徹底的に聞いてゆくため
セッション時間が(尋常ではないレベルで)長くなってしまうわけですね。
(もっとも、セッション時間が長くなるのは、忠誠心だけでなく
やっていることに夢中になりすぎる、集中しすぎる
という要因も大きいのだけど)

ということで、少し話はそれましたが
その人の身体からの声を聞くことなしに
人にアドバイスすることなんて、できないなあとつくづく思います。
(つい、見かねてやってしまう時もありますが)

実は、少し前に、おさむのセッションを行った時にも
おさむの身体から「人の意見に流される」というのが出てきたので
誰の意見に流されているのか?と思って身体に聞いてみたら
「私の意見」でした。
は〜泣き笑い
で、(あくまでもクライアントの身体の声に忠実な私は)
おさむに「私の意見に流されるなって、おさむの身体は言ってるよ」
と「何だか微妙だな〜」と感じつつ、伝えることになったわけです。
セッション以外の時に、私が何気なく
「こうしたらいいんじゃない?』などと言った
適当な思いつきやアイデアに
おさむが惑わされてしまうこともあったわけですね。
(最近は、大丈夫になったようです)

ということで、また話が長くなってしまいましたが(これも夢中になる傾向なのだけど)
「人の話は話半分」というのが信念にならないように
ブログの内容は話半分、に聞いていてね。
(何が言いたいか意味わからん? ああ言葉って難し~~マラソン





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最終更新日  2015年07月13日 20時52分53秒
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