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2015年08月29日
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昨日、おさむが主催した伊藤研人くんの講演会+サウンドヒーリングの会が
ニューヨークの28stのセンターで行われました。

研人くんに関しては、以前、何度かこのブログでもご紹介しましたが
2012年にセドナで出会って以来のご縁。
2014年にエジプトで一緒に食事をした時にも話をしましたが
こうして講演会という形で、彼の話を聞くのは私も今回が初めてだったので
そこで、新たな感動や気づきがありました。
ここでは私なりに感じたことを書いてみますが
参加された方、それぞれがあの場で、いろんな思いや気づきがあったでしょうし
そのどれもが間違いはないと思います。

研人くんは、世界各国で撮った写真をプロジェクターで見せてくれながら
なぜ、世界中旅をすることになったのか
そこでどんな体験や経験をしてきたのか
そして、そこからどんな気づきを得てきたのが
これからどういう意識でやってゆこうとしているのか
などを語ってくれました。

講演中の研人くん。
(iphoneで撮ったので、暗いですが)

IMG_0711.JPG

IMG_0712.jpg

彼の旅のお話はとてもおもしろくて、いろんなエピソードにわくわくしたり
涙でウルウルしたり
まるで一緒に旅をしているかのような感覚になりました。

実は、こういったある人の経験や気づきをみんなで聞くような講演会って
微妙だなあと、講演前には少し思っていました。
どんな経験や気づきであっても、それはその人にとっての経験や気づきであって
自分のものとは違いますし
人によっては、こういう話を聞いて
「この人はこんなに素晴らしいのに私はだめだ」とか
「私は、何も人の役に立っていない」などと比べて、自分にダメだししてしまったり
また講演した人の気づきが、人によっては、新たな信念体系を生み出してしまったり
するからです。

例えばAさん、Bさん、Cさんと同じ出来事を体験した、として
そこで感じる感じ方はみんな違っていて、またそこから得られる気づきも
人それぞれみんな違います。
例えば、子供の頃にお父さんに厳しく怒られた、という出来事があって
人によっては「お父さんが怒るのももっともだ。私が悪いのだから。
お父さんに感謝しよう」という気づきにつながる人もいれば
「私は自由でいれなかったから、自分の子供には自由にさせてあげたい」
という気づきにつながる方もいて
そのどれも間違ってはいないわけです。
感謝することで、自分の抑圧された感覚を見逃してしまうこともあるわけですから
感謝する方がいい、とは必ずしも限りません。
ですから、何が正しい感じ方、とか、どれが正しい気づき、というのは
何一つないのです。

また同じ人でさえ、年を重ねるごとに、同じ過去の出来事が
違った経験として捉えられてきます。
私自身、例えば12歳の時のある出来事を思い返した時に
20代の頃に「12歳の頃は〜〜だったなあ」と思っていたことが
30代の頃に「12歳の頃は実は私はこう感じていたのだな」と変化し
40代、50代になると「12歳の頃は、私の中で〜〜ということが起こっていたのかも」
などと、時が経つに連れて、同じ出来事に対する捉え方や
自分の感覚が変化してゆくことに気づいてきました。
だから、その体験そのものにも真実はなければ
そこで得た気づきにも真実はないわけなんですね。

そういったことを思えば、講演会などで
その人の体験やそこからの気づきを聞くことは
果たして、どういう意味を持つのかしら?
と思った時に、それが上手く言葉にできなかったのですが
この研人くんの講演会を聞きながら、はっきりと認識できたことがありました。

それは彼がサンダースの修行で得た気づきについて
話していた時でした。
彼が肉体や精神の極限まで行った時に
生かされていることへの、大きな感謝の感覚を得た、
という話をしてくれた時に
私の中に、何か圧倒的な感覚が溢れてきて
どわ〜と涙があふれそうになったのでした。
その瞬間は、どうして自分がこんなに感動しているのかわからなかったのですが
後から気づいたのは
それは、彼の経験がすごい、とか、気づきが素晴らしい
ということに感動したのではなく
彼の口から、彼のエネルギーを通して出てくる、言葉には表せないエネルギーに
私が過去に感じた、同じような感覚との共鳴が起きたからだ、ということでした。
頭で「ああ、そうだ、生かされているのはありがたいな」という感謝ではなく
ただ腹の底からわき上がってくる、生かされていることへの感謝と祝福のエネルギー。
それは、実際に私が過去に体験した、至高体験とも言える感覚の
切れ端みたいな感覚でしたが
もしかすると、それは私が体験した感覚というだけではなく
いろんな次元レベルでの感覚だったのかもしれません。
ですから、例え、これまで全くそんな感覚を持てなかった人であっても
あの研人のエネルギーに触れれば、共鳴が起きることもあり得るなあと。

だから、講演会で話を聞くというのは
話し手の伝える内容そのものが、いいとか上手いとかいうことではなく
ただ話している人の存在やそのエネルギーと
共鳴するかしないか、なのだなあと。
もちろん、その共鳴の度合いも種類も人それぞれであって
何も間違いはないのです。

そして、その気づきは、研人くんの講演が終了した後
みんなで輪になって、おさむが誘導瞑想をした時に
さらに認識することになりました。

最初、おさむが地球への祈りと感謝を捧げるために
「それでは、地球に感謝します。
感謝の意識と共鳴してください」などと
誘導瞑想を行ったので、目をつぶって、感謝の意識になろうとしたのですが
どこか空々しく違和感を感じている自分に気づきました。
「ああ、感謝のエネルギーって、言葉で言われて
出てくるものではないなあ」と。
水があるから生きていける、食べ物の命を恵みを頂いて生かされている
そんなことは、頭ではよくわかっているし、そのことに関して感謝はできますが
あの圧倒的な感謝のエネルギー
ー実際はそんな「感謝」という言葉では、到底表せないような感覚ー
とは、全く違うものでした。

もちろん、それはおさむの問題というわけではなく
これまで私も何度もやってきた誘導瞑想というもの自体の限界でも
あるのかもしれません。
また、この瞑想の言葉は、おさむが彼自身に向けて言っている言葉なのだなあとも
感じていました。
約2週間ぐらい前に行ったおさむへのセッションで
彼の身体から上がってきた問題となる要因の一つに
「感謝できない」というものがあったからです。
その後、彼は自己ヒーリングを行い、彼自身のエゴを見つめた
と彼のブログにも書いていましたが、それが
あの瞑想の言葉として出てきたのかもなあと。
(まだ彼にはそのところは聞いてませんが)
もちろん、人それぞれみんな気づきや受け取る感覚は違うので
あの誘導瞑想が心に響いた人も中にはいるかもしれません。

その後、おさむが輪の中心に入って、ギターで伴奏しながら
みんなが声を出して合わせていきました。
それは、まるで子供の頃に大勢で合唱した時の喜びと一体感のように
私自身は、シンプルに気持ちよかったのですが
その場にいた人たちのエネルギーを感じてみると
人によっては、やはり違和感を感じていることにも気づきました。
でも、その違和感や分離感を感じる、ということが
また一つの気づきのプロセスであるとも言えるので
やはりそれはそれでいいわけなんですね。

IMG_0720.JPG

それから、みんなが床に横になって
おさむのギターとクリスタルボールのサウンドヒーリングを聞きました。
ただただ美しい彼のギター。
音楽に言葉は要らないし、言葉がないからこそ、伝わるものが大きいと
言えるのかもなあと。

ということで、研人くんの話に戻りますが
今回、研人くんは、日本人の持つ素晴らしい和の精神が
これからの世界に必要であり、日本を世界を変えてゆく大きな鍵である
という話をしてくれました。

実は、私は全く違うアプローチから、セッションを行うケースが多いのです。

人を思いやる
人の気持ちや立場を考える
人を気遣う
人に尽くす
調和を大事にする

そういった日本人の和の精神は、プラスになることもあれば
マイナスになることもありますが
私のセッションに来られる方の約80〜90%に
そのマイナスの要因が出てくるのです。

人に遠慮して、自分の率直な思いを伝えれない
人に対して気遣ってしまうので、人といると疲れる
人が喜ぶことばかりやろうとして、自分が何をしたいかわからなくなる
調和を乱さないように、自分の願いは抑えてしまう
すぐに人に同情、共感して、自分の感情が不安定になる
人のことまで責任を負おうとして(無意識に)負担になる

例えニューヨークにいる日本人であっても
(いえ、アメリカ人や他の国の人であっても)
そういった人たちはとても多く、日々の生活の中で
自由さを失ってしまっています。
ですから、それぞれの人たちの身体の声に従ってセッションを行ってゆくと
一見は、和の精神とは逆のアプローチになってしまうわけですが
でも、最終的に目指している方向は同じなのだなあ、ということも
今回、感じました。
一人一人が自分軸で生きて、自由な自己表現ができてこそ
日本人が本来持っている和の精神が生かされてゆくのではないかしらと。
この和の精神というのは、日本人の多くは遺伝子レベルで持っているものですから
個人レベルでは、それぞれの個性を生かしたり
人のことは人に任せたり、という意識を持つことで
バランスが取れてくるのだなあと、感じるのです。

人と人とが共鳴し合うということ。

それは、それぞれの考え方や思考を越えたところにあります。
一体感や共鳴すること、感覚を分かち合うこと自体は素晴らしい感覚ですが
一方で、一体感や分かち合いを求めてしまえば
自由さを失い、本来のそれぞれの魂が望む方向からはずれてくることもあるのです。
そのことに最近、私とおさむとの関係を通じて、あらためて気づいてきたのですが
その話は長くなるので、また次回ということで。

ということで、今回、けんとくんの講演を聞くことで、またいろんな感覚や気づきがあって
(その気づきも、今後また変化してゆくのでしょうが)
本当によかったです。
また次回の彼との再会が楽しみ〜♪





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最終更新日  2015年08月30日 11時17分17秒
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