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2016年01月25日
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カテゴリ:つれづれ
今日はここ最近、何人かのセッションで出てきたオーソリティ•イシューに関して
私のメモとして。

Authority Issue オーソリティ•イシューとは、直訳すると「権威的な問題」ですが
アメリカ人のクライアントさんに「今日のテーマは、Authority Issue だと
身体が言っています」とお伝えすると、だいたい、すぐに納得されますが
日本ではあまりなじみがない概念だなあと感じます。

オーソリティ•イシューは、例えば警察や政府、と言った
社会的な権威としての抵抗や恐れ、怒りといったものから
自分の親や上司、先輩、先生、目上の人など
自分にとっての権威的な立場にある人に対する葛藤など
幅広くあります。

その要因を調べてゆくと、前世、または集合無意識などのエネルギーとして
権威に対する抵抗があるという方も少なくはないのですが
多くには、その方の子供の頃の父親との関わりが大きく関連しています。
父親というのは、家族の中では権威的な存在を象徴するものなので
その父との関わり方が、その人の人生での権威との関わりに深くつながってくるのです。

例えば、お父さんが怒ると怖い人で、子供の頃、怖かった、とか
お父さんに認めてもらえなかったというのは
権威への恐れや抵抗、怒りにつながりますが
一方で、父親が頼りなくて、指導してくれなかった
というのも、問題として上がってくることもあります。

私の子供の頃、友人が、友達のようなお父さんだと言っていたのを聞いて
当時の私の父はとても厳しく、まさに権威そのものだったので
友達のようなお父さんっていいなあ、と思ったことがあったのですが
今、クライアントさんの身体の声を聞いていると
そういう友達のような父親が、その子にとってバランスが取れる
ということでもないということがわかります。
父というのは、男性性の象徴であり、権威の象徴ですから
父親が友達のようであると、男の子にとっては
頼れるリーダーを必要としているのに、それを得られなかったという思いが残り
大人になって、人をリードしたり、守ってゆくという男性性を持つことのブロックになったり
女の子にとっては、女性は男性に守られる
という意識の欠如につながってゆくのです。

ですから、、女性性、男性性の観点から見ると
オーソリティ•イシューというのは、明らかに男性性の問題であって
上司に認められるとか、社会で認められている、という
仕事やキャリアなどの問題に関わってきます。
もちろん、女性でも男性性はありますから
オーソリティ•イシューはあります。

ちなみに、オーソリティ•イシューに関わらず
認められたい、というのは男性性の問題であり
愛されたい、というのは女性性の問題であると私は捉えています。
ですから、例えば、女性が愛されたい、と美しさを追求したり、彼に甘えるのは
問題がないのですが、認められたい、という意識が強く、例えば
「こんなに私は育児をがんばっているのに」とか
「私はこんなに仕事をやっているのよ」と
彼やパートナーに認めてもらおうとすればするほど
パートナーとの関係が上手くいかなくなるケースが多いのです。

おさむが以前
「のりこには、全く認められたいという意識がないよね〜。どうしてだろう」
と言っていたので、そうかなあと見つめ直してみると
全くないわけではなかったですが
たぶん、これも私の父親との関わり方にあったのだなあと。

私の父は、昔は頑固で柔軟性がなく、彼のやり方を押さえつける人でしたから
子供の頃から、それに対する抵抗はありました。
私はほとんど忘れていたのですが、母曰く
「あなたは、よくお父さんに反抗して、殴られて
目の下にあざを作って、学校行っていたわね~」だそうですから
かなり抵抗していたわけですが
でも、私の意識上では
父は、私がきちんと自分の気持ちや考えを説明したり
情熱を持って伝えれば、最後には必ず何かしらの理解を
示してくれたし、父の愛情深い面も感じていたので
例え殴られても、傷ついた、という認識は残らなかったのだなあと。
むしろ、尊厳のある父をとても尊敬していたので
その父と戦い、認められた(あくまでも意識の上でですが)という感覚が私にとっての
自己価値につながっていたわけです。

それもあってか、昔から、信頼できる先輩や上司やオーナーや先生と出会い
そういった立場の方から、かわいがってもらったり、認めてもらうことが多かったのは
「自分を偽らず、誠意を持って伝えれば、必ず相手に通じる」という
父との関係で生まれていた感覚と
やはり父から受け継いでいた義理堅さや忠誠心や人情が
強かったからだなあと。(それらも調整しましたが)

ところが、一方で、女性としては
認めてもらおう、とすればするほど
女性は愛されなくなる、というのが、10代後半から感覚的にわかっていたこともあって
彼に対しては、できない自分、だめな自分を無意識に出していたこともあり
愛されたいはあっても、認められたいという意識は全くなかったわけです。
昔、つきあっていた彼に経済的にも完全に頼っていて
家事も気が向いた時にしかやらず
毎日、彼のお金で飲んだくれたり、遊んでいるだけの時期があったのですが
その彼に「のりこは、ほんと何もできないんだよなあ」
としみじみと愛おしく言われたことがあって
その時に「何もできない(やらない)私なのに、愛されている〜〜」
とものすごく、うれしかったことをよく覚えています。
私が自分でやる、とか、経済的に自立する、ようになったのは
おさむとつきあい始めてからで(もちろんこれはサバイバルモードですが)
ここ2、3年で、ようやく、その二つの極端なあり方の
バランスを取ることができるようになってきたかなあと。

あ、これはちょっとオーソリティ•イシューから話がずれました。

一方で、私もオーソリティ•イシューは
40代中盤まで抱えていて
それは、子供の頃に権威であった父親と闘ってきた(という意識)に加え
前世的な要因から、権威=抑圧するもの、自由を奪うものの
という認識であり、それに対する怒りや抵抗はいろんな形で現れていました。

私の権威との戦いは、中学校から、信頼できない先生の言うことに従わない
という形で現れ、高校でも、当時の彼との交際を学校と親から禁止されて
反発して学校に行かない時期があったり
大学に入っても様々な問題がありました。
大学の頃、嫌いだった先生の個人授業で、バイオリンの練習をしなかったので
「すぐにここから出ていけ〜お前は学校始まって以来の恥さらしだ」
などと怒鳴られたりしていたのですが
そのことで落ち込まないどころか、むしろ
当時の私にとっては「権威に服従しなかった」という誇りであり
周りのロックミュージシャンの友人たちに話しては
「さすがのりこだね〜」などと共感されて
さらにそれは加速していったわけです。
まあ、ありがちなロック少女で
その当時から、人に認められようとする、ことや、人の期待に添うことは
私にとっての心地よさに反するものであったわけですが
今思うと、そんな私をいつも無条件で受け入れてくれる友人たちに恵まれていたからこそ
人への信頼やつながり感を持ち続けていられたのだなあと。

大学を卒業し、会社に入ってからは、会社が
私にとっての権威の象徴となりました。
例えば、当時、帽子事件、というのがあって
その頃、私は帽子が好きで、室内でも被っていたのですが
会社内で、私が帽子をかぶったままでいる、ということが問題になり
帽子を脱ぐように上司から言われたことがありました。
まあ、ごく一般的なマナーを言われているだけなんですが
その当時の私は「私が何を着ても、被っても自由」
などと、頑として帽子を脱ごうとしませんでした。
「それでクビになるなら、どうぞ。そんな会社はこちらから辞めよう」
ぐらいの気持ちだったなあと。
(あ〜「おまえは、ほんとめんどくさいやつだな〜」と
ニャンコ先生から当時の私に言ってやってほしいウィンク

で、結局、私が帽子を脱がないことで、私の直属の課長が処罰される
という事態になり、義理堅い私としては、それはあり得ないと
帽子を脱ぐことになったわけです。
当時の私にとっては、その一連のことが
まるで権威からの抑圧のように感じていたわけですが
もちろん、実際に抑圧されていたわけではなく
私の抱えていたオーソリティ•イシューがそういった形で
現れていただけで、そこに投影していたわけですね。
オーソリティ•イシューは、必ずと言っていいほど
「自由」に関わる意識が関連していて
抑圧される、自由を奪われることへの抵抗や恐れ
というのが、根底に潜んでいます。

で、そんな私のオーソリティ•イシューは、さらに
政府や警察への怒り、という形で現れてきて
30代の私にとっては、政治や闇の世界の真実を知ることや
原発などの問題に関しては、つねに最も大切な問題でした。
政治や何らかの反対運動などをやっている方の多くは
このオーソリティ•イシューを様々な形で抱えているのではないかなあと。

それがスピリチュアルなことに意識を向けるようになってから
徐々に顕在意識の上で抜けてきていたのですが
潜在意識レベルでほぼ完全に抜けるきっかけとなったのが
今から思えば、2011年にマトリックス•エナジェティクスのクラスを受けて
カウアイ島に行ったあたりから。
IHでも何度か前世的な要因は出てきたので
調整をしたこともありますが
マトリックス•エナジェティクスは、非二元的(ノンデュアリティ)な
意識の変容なので、善と悪、抑圧するものと抑圧されるもの
という二元的な物の見方が抜けたということもあるのかもしれません。

つまり、私が経験した、と感じている
オーソリティ•イシューに関するあれこれは
いわば、私の意識が作り出したストーリーにしか過ぎず
真実とは全く違うのです。
このあたり、詳しく説明しだすとまた長くなってしまうのですが。

そのことを再認識することになったのが
去年、フランスに行った後のある日
おさむが「俺はのりこに対して、オーソリティ•イシューを投影させていた」
と言い出したことにありました。
最初は「へ?どういう意味?」とすぐには理解できませんでした。

つまり、私がおさむにキネシオロジーを教えたり
伝えてきたこともあって、おさむにとっては
ヒーリングという分野でのオーソリティが私であり
私に認められたい、という意識が無意識に強くあったということです。
それで納得したのは、私のちょっとした言葉やアドバイス
例えば「これはこうやったら?」などという言葉に対しても
おさむにとっては「俺は認められていない」と抵抗感になっていたのだなあと。
一方で、私の認識としては
私は、彼のキネシオロジーの実力も充分認めていたので
だからこそ私が感じていることを率直に伝える、という意識だったわけですから
私から見ると、なぜ?こんなに認めているのに、となるわけですね。
もちろん、これは彼の父親との関係から生まれていたオーソリティ•イシューを
私に投影させていたから起こっていたことで
それをおさむは、自己ヒーリングで認識したということでした。

は〜私としては女性として
「のりこは何にもできないやつだな〜」などと言われつつ
ダーリンにいろいろとやってもらって甘えたかったのに
男性性の最も象徴であるオーソリティとして、見られていたんじゃ
こりゃ女性として守られないわけだよなあと泣き笑い

おさむ曰く
「のりこはあまりわかっていないけど、俺だけでなく
のりこに対して、オーソリティイシューを投影させているヒーラーや
セラピストは、けっこう多いと思うよ」ということ。

なるほど、今まで、そういう風に見たことはなかったのですが
そういう視点で見てみると、いくつか思い当たることがありました。
私をとても慕ってくれていたのに
例えば、私が何かのお誘いを断った、というようなちょっとしたことであっても
私がその人を認めなかった、と勘違いして、いきなり疎遠になってしまったり
傷ついた〜と言われるようなことが、何度かあって
なぜそんなことに相手が大きく反応してしまうのか
その時の私は単に、被害者意識が強く傷つきやすいのだなあ
と捉えてしまっていたのですが
それは、私に対して、オーソリティ•イシューを投影させていたからなのかもと。
私は相手そのもののエネルギーは見ていても
相手が私をどう見ているか?には意識を向けていないことが多いので
そこに気づかなかった(気づかないようにしていた)のもあるなあと。

このオーソリティに抵抗していた私自身が
今度はオーソリティとして投影されているなんて
ほんと人生っておもしろい。
もちろん、それは投影している本人のオーソリティ•イシューの問題であって
私の問題ではないわけですが
一方で投影されるということ自体も
やはり私自身が無意識に持っている「何か」のエネルギーであるわけです。

それから、キネシオロジーで調べてみると、やはり私がつながっていた
オーソリティとしての前世やら何やらが出てきて
そこで、またいろんな気づきがありました。
あ〜だから、なぜか昔から「民衆=無知」みたいな意識がどこかにあって
「民衆」という言葉から来るイメージがどうも嫌いだったなあ、などという
こともわかったし、また昔から先生という立場になることが多かったのに
一方でリーダー的な立場になることへの抵抗もあり
そういったことの根本要因も去年の暮れになって、いろいろ見えてきたわけです。
そういう風に見ていくと、私は権威に関して

ある次元では、権威への抵抗や怒りがあり
ある次元では、権威への忠誠や義理があり
ある次元では、権威そのものであり

これだけを取っても、いろんな関わり方があったわけで
人は、ほんとうに多次元的だとも言えますが
実際はそこに何も実体はないわけだなあと。
(いや、単にめんどくさいやつ、というだけなんですが)

と、いうことで、今日はこれまでの私のオーソリティ•イシューの物語でしたが
これからの人生、権威に対する抵抗も、また権威そのものとして投影されることもなく(?)
生きていけるいいな〜とひよこ
ま、このあたりは、私の頭で考えて選択できることではないので
また何か出てきたら、それはそれで完璧なのですけどね。





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最終更新日  2016年01月26日 05時51分18秒
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