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2016年08月14日
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カテゴリ:つれづれ
カナダから戻ってから、しばらくニューヨークはとても涼しかったのですが
昨日、今日のニューヨークは、とても暑いです。

みなさま、夏を楽しんでいらっしゃるかしら〜?

私は毎日、夜になると、ダーリンとサンセットパークに出かけて
ゴザの上で寝転んで涼んでいます。
いつもダーリンは、アーキュトニックのチューニングフォークを持ってきて
私の背中や足のツボに当ててくれるのですが
その間、私はほぼ爆睡状態。
私はカナダから戻ってから、セッションが終わった後も、テキスト制作やなんだかんだと
ほとんど休みなく忙しい日々なのですが
オサムが毎日、美味しい夕食を作ってくれるのと
このひと時の公園&トリートメントで
なんとか元気でいる感じです。

ということで、カナダのクラスで気づいたことや、ここ最近の
クライアントさんから頂いた感想や
セッションでの気づきなどシェアしたいな〜と思っていたのですが
今日は、とりあえず、今朝頂いたメールの中で

「5月、6月のブログ ”栄光と達成していない感”と
”やりたい事を先延ばしーー”で触れられている
目標とビジョンの違いに関してブログでお話し頂けますでしょうか?!
このブログ以来、目標とビジョンの違いがなんなのかどうしても分かりたくて
私なりにあれこれ感じ取ろうとしていたのですが
とうとうメールをしてしまいました」


というものがあったので
それについて書いてみようかなと。
基本、私は話すことは「その場限り」の人なので
「ビジョンと目標の違いについては、またいつか〜」
などと書いておきながら
質問されるまで、そんなことを書いたことさえ、すっかり忘れていたわけなんですがあっかんべー
こうして私が何気なく書いたことが、誰かが何かを感じるきっかけになっている、というのは
それはそれでいいのだなあと。
こういったことは
言葉の定義も意識も、人それぞれ違うわけですから
「正解」なんてものは何もないのですが
今の私の感覚を言葉にしてみる、という意味でやってみますね。

さて、「目標」は、例えば「試験に合格する」とか
「このプロジェクトを成功させる」とか
あるいは「ピアノでこの曲が弾けるようになる」など
何かができるようになったり、またはやり終えたり、といった
「達成すべきもの」であり、それによって何かを得る
(または得ることができると感じる)ものですが
ビジョンは、自分、または自分を含む全体の方向性として
自然と「観えているもの」であり
それによって何かを得ようとするものではない、ということだと
私は捉えています。
(結果的に何かを得たとしても)

これまでいろんな方を見てきた中で
この『ビジョンがない』というのが問題というのは
身体から伝えられることが多いものの一つです。

ビジョンがない状態で、目標を持ってやり続けていると
例えその目標が叶っても、叶わなくても
いずれ情熱やモチベーションを失うんですよね。

例えばよくある例で言えば、「この大学に入るのが目標」と頑張って、勉強していたとして
合格したら「目標が叶った」ので、大学に入ってからは、勉強せずに
ただバイトや遊びに明け暮れた、とか
仕事で次々と、プロジェクトを「達成」してきて
あらゆることをやり尽くしたけれど、最近はもうやりたいことがなくなってきた
などといったことが起こるわけです。

また「ヒーラーになることが目標」とか「ギターが弾けるようになることが目標」とか
「デザインの仕事をするのが目標」
などと最初の頃は、それを目指して頑張っていても
もし何か上手くいかないことが起これば
モチベーションを失うということにもなりがちです。
何かを目指して頑張ったけれど、途中でやる気がなくなって
やめてしまったという経験を持つ人はけっこう多いと思います。

でも、ビジョンがある状態での選択であれば、何があったとしても
情熱もモチベーションも失われない
ということが、なんとなく観えてきたわけです。

例えば「アーティストになることが目標」というような目標を持っている方に
「では、どうなったら、その目標が達成された、ということになるのですか?」と尋ねれば
かなり曖昧な答えが返ってくることが多いでしょう。
アーティストに限らず、何かの仕事に就くことが目標になっている方の場合
ビジョンがないということが多く
なので、目標自体も明確でないものになっていることがあるのですよね。

私の例で説明すると、私は自分のことを説明するのに
とりあえず「キネシオロジストです」とか「セラピストです」
と言うことにしていますが
でもキネシオロジストやセラピストになることを目標にしたことは一度もなく
いつの間にかやっていた、わけです。
キネシオロジストが「筋反射を使ってヒーリングを行う人」
という意味では、最初に筋反射を学んだ瞬間から、と言えるかもしれないし
筋反射である感覚を掴んだ、という意味では
1000回ぐらいセッションを行った後ぐらいから、と言えるかもしれないし
キネシオロジーを使って、お金を稼ぐという意味では
最初のクラスが終わって2週間後から、と言えるかもしれないですが
どちらにしても、いつの間にかキネシオロジーを仕事としていた、わけで
セラピストやヒーラーということになれば、さらにいつからなのかわかりません。
つまり、キネシオロジーやヒーリングは私にとっての
ビジョンの中での一つの道ですが
それが目標ではなく、何かが達成されるかどうか?というところに
意識がなかったので
例え何があったとしても、挫折感を味わうこともなければ
情熱もモチベーションも失われなかったのだなあと
今になって、思うわけです。

とは言え、私自身、しっかりこれまでビジョンを持っていたのか?
と言うと、全くそうではなく
どちらかと言えば、これまでの人生のほとんどは
行き当たりバッタリ、その場限りの生き方をよしとしてきたわけで
そういったビジョンがなんとなく観えてきたのは
ごく最近のことかもしれません。
それも、はっきりと言葉に表して説明できるようなものではないし
漠然としたイメージに近い感じなのです。

もちろん、ビジョンの中で、はっきりとした短期的な目標が出てくることはよくあります。
私は今、キネシオロジーのクラスを開いたり、ハワイでフィボナッチのクラスを
オーガナイズしていますが
それらもそれを目標としてきたわけではなく
流れで、いつの間にかこうなっていたという感じです。
そして、それでは今度、キネシの初級クラスを開くことになった時に
まず最初に「プログラムを考えて、テキストを完成させる」
ということが目標として出てくるわけですね。
目標なので、当然「達成するため」に動くわけですが
これは短期的なもので、いわば、大きなビジョンの中でのゲームの一つ
としてそのゲームを楽しめるのだなあと。。

ゲームは終わらせる必要があるので
目標は明確であればあるほどいいわけですが
ビジョンはここまで出来たら終わる、というものではないので
明確なものではなくてもいいし、だんだんそれが
様々なプロセスを通じて、色づいてくるものと言えるのだなあと。
ですからビジョンを持っていても
その道には、あらゆる可能性があるわけなので
実際の行動としては、いくらでも変化して’いくし
今の行動が自分のビジョンに沿ったものであるかどうか?
という行動の選択の見直しをする必要は、所々訪れるわけです。

今回、最初は、私たちがレベル2、3のクラスのオーガナイズや
カナダに行って学ぶことが、ビジョンとずれているのではないか?
という、不確かな感覚があったのですが
実際にカナダに行ってみると、むしろこれまでのビジョンが
さらにはっきりと膨らんできた感じがしました。
実際にやってみなければ、わからない部分もたくさんあります。

目標は、常に「先にある」という感覚があり
それに向かっていくものなので
そこに達成するまで、ある種の「不十分感」を同時に味わうことになるわけですが
ビジョンは、未来にも今にも(そして過去にも)あるという感覚なので
どこにも不十分感はないのです。
ですから、もしビジョンがなく、目標だけで動いていれば
どこまで行っても、満たされることはないのですが
ビジョンは満たされた感覚がベースにあって観えてくるものだと
言えるかもしれません。

目標は自分の思考であり、意図的なものから出てきますが
ビジョンは、自分の意図や思考とは関係なく
「自然に」観えているものですから
ビジョンを持つために考えたり、頑張ったりして持てるものではない
ということもわかるのです。

そして、そのビジョンを観ることを妨げるものとして
様々な信念体系や感情、それに関連した脳の問題などがあるわけですが
ビジョンを観る力として
私がもっとも大切だなあと感じているのが、これまでも説明したように
脳の「松果体」なのです。
多くの人の松果体は、様々なストレス、化学物質などから石灰化して
ほとんど機能していない状態になっています。

ですから、今回、レベル2、3のクラスの中で、惑星フォークを使った
松果体の活性化について知ることができただのは、本当に私にとって
必要な学びだったわけです。
松果体に関しては、これまでも色々やってきたわけですが
最近は、ほぼ毎日のようにクライアントさんにこの方法をやってきて
気づいたのは、これは松果体だけでなく、視床下部と脳下垂体も同時に
活性化しているということでした。
この松果体、視床下部、脳下垂体の3つのつながりは
私たちの洞察力、内観力、ビジョン、クリエイティビティなど
私たちの知性や叡智に関することに深く関係しているのだなあと
あらためて感じています。

そして、前にもお伝えしたように、フィボナッチヒーリングは
その人が本来持っている脳の青写真そのものを書き換える働きがあるので
この松果体活性を、フィボナッチを行った後に行うと
さらにパワフルなのです。
あ〜この感動は、とても伝えきれないぐらいなんですが。

と話しはソレましたが、考えてみれば、私も若い頃には
ビジョンを持てず
いつもあれこれと達成目標を探しつつ、何かに向かっていたわけなんですよね。
それに嫌気がさして20代の中盤に
「人生は暇つぶしだ〜。私は何も目標を見つけないぞ〜』と
日本を飛び出してニューヨークにやってきたわけですが
やっぱり、このニューヨークで達成したいことを見つけて
その目標に向かっていたわけです。
その頃もとても楽しかったですが、今から思えば
どこかで漠然とした不安みたいなものはあったなあと感じます。
(自分ではそれが不安だとは認識していなかったですが)
今はそういう感覚はすっかりなくなりましたが
あのビジョンがなくて、目標に向かっていた時の感覚というのは
たまに、旅の車の中で音楽を聴いていると、ふっと思い出したりして
何とも甘酸っぱい感じがするのです。
あ〜こんな感覚、他の人も持っていたりするのかしら?

と、ザザ〜と書いてみましたが、こんな説明でビジョンと目標の違いが伝わるのかどうか
わかりませんが、何となくお伝えできればいいなあと。

と言いつつ、私は自分で始めたゲームをさらに楽しくするために
ここ最近、テキスト作成に力を入れてやっているわけなのですけどねウィンク

ということで、また〜。





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最終更新日  2016年08月14日 14時32分53秒
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