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カテゴリ:つれづれ
明日、ノンデュアリティの大和田菜穂さんとサットサンでお会いできることになり
とても楽しみです。 さて、ノンデュアリティで 「誰もがそれぞれの物語の中で生きている」と言われていますが まさにそうだなあと感じます。 これまでキネシオロジーで、自分が無意識に作っていた意識(物語)を見つける度に 「なんだ、こういう物語が(無意識レベルで)できていたのね」と わかって、とても面白いのですが 私たちは、そう言った物語を無意識レベルで作り上げて あたかも、それが真実であるかのように感じてしまっているわけで それが物語だ、とはわかっていないんですね。 例えば、20歳の時に、10歳の頃の自分を振り返って 「私はその頃、父の言葉で傷ついていました」 と感じたとしても、40歳の頃に10歳の頃を振り返ると それはまた違った感覚となり、自分の中の捉え方や意識 誰もが経験したことがあるのではないかしら? 特にキネシオロジーのようなヒーリングを受けていると 真実だと思っていたものは、あっという間に物語へと変わってゆくのです。 とはいえ、私自身も まだ物語はたくさんあって、それが出てくる度になるほどな~と 例えば、一つ例を挙げると、これは、東京に出発する直前のことですが 東京でのクラスを開催するサロンスペースとのメールをやり取りしていて マッサージベッドを10台の有無を再確認したのですが 驚いたことに、担当者からの返事で、マッサージベッドは6台しかなく スペース的にも、10台置くのは無理、という返事が返ってきたわけです。 ここは、最初に友人が見つけてくれた場所で 彼女がこのサロンとのやり取りしてくれていて 私とおさむは直接ここに連絡していなかったのですが 彼女がこのサロンと話をした時には、10台大丈夫と’いう話だったので すぐに料金を支払っていたのですが 一体、これはどうなっているのかしら? とすぐにその友人に連絡したわけです。 その時は、もし、ここに10台置けないということになれば 別のところを探すか、それとも人数を分けて2回、クラスを行うか という選択だな、と思ったのですが これから、10台借りれるところは見つかりそうになく またクラスを二つに分けると、さらに6日間は東京での滞在が延びてしまうので 福岡の実家に戻って、ゆっくり過ごすことともできなくなるわけで どちらにしてもハードになるなあ、と覚悟したわけです。 でも、これが物語である、ということはわかっていたので とにかく、これは一体何が起こっているのかしら? と、その夜、おさむにキネシオロジーのセッションをやってもらいました。 すると、出てきたのは、波乱万丈で、困難な前世や リーダーとして責任を負った前世などで 私が持っていた物語としては 「いつどんな緊急自体が起こるかわからない」 「何かが起これば、例え、自分が大変になってでも責任を取る」と’いう 無意識の感覚でした。 で、それをワークしてもらったのですが おさむが音叉を鳴らしている間、私はそのまま眠ってしまいました。 そして、数時間後に目覚めた時には 全ては解決していたわけです。 私がセッションを受けている間に、友人がサロンと連絡を取ってくれていて 実はサロン側の勘違いであって、10台用意できるということと スペースも、最初に設置してあるテーブルと椅子を置いたままでは 10台置けないという意味で、テーブルを横にずらせば、置くことができるのこと。 つまり、最初から何も問題はなかったわけですね。 これはおもしろいなあ、と改めて ノンデュアリティで言われている 何も起こっていない、とか、起こることが起こる、ということを わかりやすく伝えてもらった感じでした。 つまり、私の無意識レベルでは 何か緊急事態が起こって、それを何とか乗り越える というストーリーができていたわけです。 何か「問題」が起これば、それに対して対応する、 というのが、私たち多くの人が持っている感覚だと思うのですが 実際は、外に向けて対応する必要なんて何もないわけだなあと。 それがどんな物語であれ それが、物語だとわかっていれば 面白いし、楽しいものです。 子供の頃、不思議の国のアリス、とか 秘密の花園とか、オズの魔法使いとかガリバー旅行記とか 不思議なストーリーや冒険物語が大好きで 毎日のように、いろんな物語の本を読んでいましたが でも、それが本の中での物語だとわかっているから、ワクワクしたり でも、それが物語だとわかっていなければ 「私はどうすればいいのだろう?』などと考えたり 多くの人たちが「数々の困難を乗り越えて、最後はハッピーエンド』 みたいな物語が大好きです。 それは、物語としては面白いわけですが でも、その物語の中にいることに気づかないでいると 「今は辛いけど、いつか幸せになりたい」という意識で ずっと困難な人生になってゆくのです。 お金がなくてやりたいことができない、とか 夫と通じ合えない、とか、彼に気持ちをわかってもらえない、とか 会社が忙しくて、休めないので仕方ない、とか 子供が学校で勉強についていけなくて心配、とか 友人が病気になって大変、とか それが自分が無意識レベルで作り上げている物語だとは 気づくことなく 様々な物語の中で生きているわけですね。 そう言った意味で、キネシオロジーは 無意識にはまっている物語に気づいて、それを手放すプロセス とも言えるかなあと。 ストーリーは自由にクリエイトしていくことができれば 最高に楽しいものなのです。 ふふ、これもまた私が作っている物語なんですけどね
前置きが長くなってしまった。 また続きは後ほど~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年11月03日 23時30分02秒
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