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カテゴリ:つれづれ
NYは、春一番の暖かい風が吹いて
すっかり過ごしやすい気候になりました。 春の訪れは、ウキウキするところですが ここ最近の劇的変化で、それを楽しんでいる余裕もないぐらい この1週間で、いろんなことが劇的に変化しました。 ニューヨークの状況も目まぐるしく変化して まずは、先日17日に、NYのレストランやバー、映画館などは強制的に閉鎖となり 10人以上の集会は行わないことなど市からの指示がありました。 それで、来週から予定していた多次元キネシのベーシッククラスは サンフランシスコや日本から申し込まれていた方たちがキャンセルされたので 参加されるのは、NY在住の方のみ7名になり サポートとして、一人参加予定の人と私を含めて、計9名となったので これはクラス開催できそう、と思っていたのですが 昨日、NY州で、全ての企業が在宅勤務となり 外出禁止とまではいかないけれど 市民は出来るだけ自宅待機することと要請があり さらには、アメリカ’在住の人の渡航禁止令まで出て それを受けて、私のアパートの住民との話し合いの結果 とうとう、クラスもキャンセルせざるを得なくなってしまいました。 厳重な外出禁止ではなく、友人への面会などはオッケーとのことなので 対面の個人セッションは、これからも続ける予定ですが 例え、7、8名であっても、集団で集まることは難しく いつもは穏やかなアパートの住人でさえ こんなに恐れたり、神経質になっていることに改めてびっくり。 キネシオロジーで免疫を高めることや アメリカ政府の対応やメディアの情報を鵜呑みにしている人たちにとっては それは響かないわけです。 ガイドに、これはどうしたらいいの?と聞いたら 「他の人の問題を認識して、受け入れること」 と言うのが出てきて 一般の人たちの認識と私の認識がいかに大きく違うかも 改めて理解することになりました。 ここ最近、クラスやセッションを受けられた方達からは 「周りの人たちが恐れが強い中、不思議と私はとても落ち着いています」とか 「自己ヒーリングで、今回のコロナで感じていることを紐解いていったら 予想していなかった気づきがありました」 などというご報告を頂いたりすることが多く とても嬉しくて、よし、クラスがんばろ~っと さらにモチベーションが高まっていたところでした。 私としては、こう言う時こそ、キネシを活用して 不安や恐れを解消したり、これからの可能性を開いていったりする人たちが 少しでも増えて欲しいと願っていただけに クラスができなくて、とても残念ということとともに 一般の人たちとの認識の違いが、カルチャーショックでした。 さて、そもそも、最初にガイドがクラスをやれと指示があったから クラスをやることにしたわけで こんなことはこれまでになかったことだったのもあり 昨日は、一瞬、ガイドに文句を言いたくなり 「これって、どう言うことなの? クラスが開催できないとわかっていて、クラスをやれって言ったの?? クラスができなくなることで 「他の人の問題を認識する」ために 私は、わざわざクラスの準備を進めてきたわけじゃないよね?」 と、などと聞いたわけです。 すると 「ガイドを信頼する」 「いや、もちろん、信頼してるんだけど。 私はこの一連の流れから、何を学ぶべきだったのか知りたいのよ。 私の中のどんな問題に気づく必要があるの?』 と、わからなくなっていたのですが そのあと、しばらくして はっと思い出したのは、最初にガイドがクラスを開催しなさいと言ってきたのは 3月上旬から中旬の時期だったと言うことでした。 でも、その時は、全くこんな事態になるとは予想もしていなかったこともあり 3月上旬だと、少し準備が慌ただしくなるかも?と思って 少々、時期がずれても特に問題ないよね、と 私は、ガイドに聞くことなく、後から3月下旬に変更したのです。 「もしクラス開催が1週間早かったら、大丈夫でしたよね」 と、クラスに参加予定だった方が、メールを下さったのですが あ~そうだった、これは明らかに私の思考によって 宇宙の流れに沿わなかったからだなあと。 もちろん、すべての現実は、私の選択であることは 十分わかっているのですが、昨日 まあ、どちらにしても、NYでのクラスはまたいつでも開くことができるし 今回、クラスの参加予定の人たちが、NY在住の方ばかりだったことは 不幸中の幸いだったと言えます。 友人から 「のりこさん、海外からクラスに参加する人たちが来ていなくて 本当に良かったですね。宇宙から守られていますよ」 と言われて、本当そうだなあと、改めて感謝でした。 さて、こういうことが起こった時 私自身は、3つの観点から物事を見るようにしています。 一つ目は、私個人としての気づきや学び 二つ目は、社会的な観点からの気づきや学び 三つ目は、宇宙的視野(スピリチュアルな観点)からの気づきや学び まず、第一番目が一番大事で、これがあって、次の社会的な観点からの気づきや学びに つながるし、その二つのベースがあって初めて スピリチュアルな観点からの理解につながると思っています。 例えば、来月の家賃どうしよう?という不安や恐れがあったとして その状態で、スピリチュアル的な意味を探っていって 例えば「このコロナが起こったのは、アセンションのためです」 などいう記事を読んで、ああ、そうなのかと納得したとしても 結局、現実は不安を抱えたまま何も変わらないわけです。 自分がそれに対して何を感じているのか?
私たちは、それぞれが見たいように世界は見えていて 同じように見ているわけではないのです。 多くの人にとっては「このコロナがあるから、不安になった」とか 「コロナのせいで、こうなった」 と思うわけですが 実際は、このコロナが起こっても、恐れや不安の中にいない人たちもいますし 恐れにしても、不安にしても、怒りにしても 外側の出来事によって感じるのではなくて もともとその人が持っていたものが あるきっかけで出てきているのにすぎないのです。 ですから、それぞれが自分が持っている恐れや不安と向き合って それを変化させていくことしか、それぞれの「現実」 は変わらないとも言えます。 例えば、今回のことで仕事がなくなって、新たな仕事をスタートするにしても 恐れや不安ベースで考えて、新しく仕事をやるのと 喜びベースでクリエイトされた仕事をやっていくことでは そこから生まれる現実は、全く違ってきます。 さて、2番目の社会的な観点からの気づきですが 例えば、今、社会で何が起こっているのか?を見ても みんなが同じ情報を共有しているわけではなく これは、まさに1の個人としての気づきとリンクしているので その人の意識の広がりによって 先日、友人と話していて、彼女の娘さんの学校が休校になったことなどの騒ぎに関して 娘さんが「なぜこんなことになっているの?」 と聞いてきたそうで、彼女は 「子供は、本質的な問いをしてくるからすごいわ~」 と言っていましたが、この問いに「正しく」答えらえる大人は 実は誰もいないのではないかと思います。 もちろん、コロナというウィルスが発生して、それが広がらないように こう言う自体になった、という表面的な答えはできますが なぜこうなっているのか?の本当の答えは そこにはないですから。 ここで、まず問題になるのは まず、コロナ自体の危険性についてですが どの情報を信頼するかは人それぞれだし またある程度、信頼できる情報であっても それが全てその通りだとは、私は思わないのですが 今朝、見たホリエモンの動画に出ていた新型コロナウィルスについての専門家の意見 と言うのが、わかりやすかったです。 https://www.youtube.com/watch?v=xDBtQCQ6fWk&feature=youtu.be この専門家の方が言われているように コロナは、インフルエンザと同じぐらいの感染力で 重症化する確率は、インフルエンザより少し高く(特にお年寄り) 子供は重症化しない そして、コロナウィルスが変質する可能性は、インフルエンザよりも低い
じゃあ、なぜ、これまでのインフルエンザとコロナとでは これだけ政府や世界の対応が違うのか? と言う、素朴な疑問が当然、湧いてくるわけです。 私は、最初から、そこにとても違和感があったので コロナが騒ぎ始められた時 「なぜ、こんなことになっているのだろう?」 と調べだした時に、いくつかの情報が上がってきて 偶然、ジョンレノンの2分ぐらいのインタビューにヒットしました。 私はこれまで、それほど詳しくジョンレノンのことを知っていたわけではなかったので ということを、今回、初めて知りました。 それがまだ、インターネットなどが普及してない時代であること そして、彼が12歳の時に、このことに気づいたと言われていたのが 衝撃でした。 ジョンレノンは、この動画で 「イギリス政府、アメリカ政府、ロシア政府、中国政府は 偏執狂者であって、もし実際、彼らが何をやっているかを僕が言ったなら 僕が狂人だと思われるだろう」 真実を話す方が、狂人だと思われてしまう社会に 私たちは、今も昔も変わらずにいるのだなあと。 こういうものを陰謀論などで片付けてしまう人たちがいるのも知っていますが そして、メディアによって、作り上げられた世論というのが その偏執狂者の世界を助長しているということを ここ最近、さらに認識することになりました。 「狂った支配者と、愚かな大衆」という 私が昔から意識のどこかに常に持っていた感覚でした。 ここでの愚かさと言うのは、個人の愚かさではなくて 大衆としての愚かさであって それは、単に、情報に踊らされて買占めに走る人の愚かさとか そう言うことだけではなく 権力に左右されていることに気づかず 無意識にコントロールされている人々のことです。 ちょうど、このコロナ騒動が始まる前、年明けてすぐに私は友人たちに 「その感覚が抜けないのよ」と話していたところで それからまもなくして、次々とその私の中の「現実」 を見せられることになり まさに、自分が見ているように、世界が見えている ということになったわけです。 そして、同時に、これは、もう人類が何千年も抱えてきた問題だと ここ最近、私の人生において、最高レベルに素晴らしい本を 2冊続けて読んだのですが その二冊ともに、それについて書かれてあったことも 私の意識にさらに影響していることも間違いないです。 1冊は、ご存知トムケニオンの「マグダラの書」であり もう一冊はエリザベスハイチの「イニシエーション」です。 この2冊に関しては、本当に素晴らしいので ということで、これから私自身のさらなるワークは必要なのですが ここ最近、「愚かな大衆」と言う感覚は 一部は変わってきたように感じています。 こうした個人の気づきや変容とともに 今、何が起こっているのかを、紐解いてゆくと なぜ、一部の人たちが、このコロナがアセンションへの第一歩であるとか 投資家や経済に詳しい人たちが、これから経済のあり方が大きく変化し 世界が大きく変化すると言われているのかが まだまだ、書きたいことは山ほどあるのですが 来週はクラスがなくなったことで、今日から、私は時間に余裕ができたので これからゆっくり書いてゆく時間ができました。 (メールのお返事も、早急にしますね~) こういう時こそ、みんなで繋がっていることが大切だと思うので 近いうちに、多次元キネシオロジーのクラスを受けられた方たちと ズームミーティングしようかと検討中です。 明日は、アルクトゥルスの仲間たちとズーム会議し、 その後は、友人が家に来て、家飲みするつもりで とりあえず、この2、3日間はゆっくり休んで、次に備えます。 思わぬバケーションとなりましたが 今後、どんな風に世界が変わってゆくのか見守りつつ 自分自身の変容を進めて行きたいな~と思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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