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カテゴリ:つれづれ
「豊かさとお金のワークショップ」の前は忙しくて
ニュースは、全く見ていなかったのですが その間に、アメリカは、ジョージフロイドの事件をきっかけに 全国的なデモや暴動など起こっていて ニューヨークでも一時期、夜間外出禁止令になっていましたが 暴動も落ち着き、昨日から夜間外出禁止令も解除されています。 私が知ったのは、ワークショップが終わった直後に ズームで飲んでいて、メンバーから聞いたのですが これは、間違いなく何らか勢力による、意図的な動きだろうねと 最初から、友人たちの意見は一致していました。 ここまで一気に、アメリカ全土に抗議デモ運動が広まったことも 平和なデモだけでなく、明らかに人種差別とは関係のない また抗議デモが行われる場所に、あらかじめ投石用のレンガが準備されていたり また、大手メディアのトランプ大統領へのパッシングなども含め 人種差別を利用した、政治的な動きとみる方が、自然な感じがします。 そういう何らかの組織が、この事件によって 過激化したデモを展開し CNNや大手メディアがその暴動を放映することで (多分、日本でもそのまま放映されていたのでしょう) 今度は、人々の、そういう黒人たちへの不信感を高めて、分断を強めてゆく さらには、トランプを大統領再選を阻むために、この事件を元に メディアが様々なデマや嘘をでっちあげてゆく (もう、このメディアの嘘には、ほとほと呆れますが) アメリカで人種差別がいつまでもなくならないのは 白人と黒人の対立が起こるように 仕掛けている人たちがいるからなんですよね。 だから、実際は、何が起こっているかなんて、わかりようもないわけで 報道されていることのどこまでが本当かもわからないなあと。 例えば、亡くなられたジョージフロイドと警察官は 警察官の奥さんは、アジア人女性だったり また、事件の一部始終を携帯で録画されていることをわかっていながら 警察官があそこまでやったのも、不思議です。 と、事の真偽は、わかりようもないのですが この騒動が起こってから、急に気になって この2年ほど連絡を取ってなかった黒人の友人である 彼は音楽プロデューサー&作曲家で 当時は、毎日のように会っていたのですが ケンカと言っても、大抵、一方的に怒っていたのは、私でしたが とにかく、オスカーは、時間を守ることができない人で 何か約束しても、2、3時間遅れるのはざら。 当時は、携帯電話もなかったので 彼と一緒にプロジェクトを進めるのは、大変でした。 でも、暖かくて、人情深いオスカーのことは大好きで 例え、ケンカしても、次の日にはまた元どおりになっていて 当時は、オスカーの家族や友人たちも含め ファミリーみたいな感覚でした。 二人でタクシーに乗る場面になると、いつもオスカーは 「のりこがタクシー拾って。僕が手をあげても、乗車拒否が起こるんだ」 と言っていました。 そういう差別は、いまだに起こっているのだということを 当時、彼を通じて知ったことでした。 一方で、黒人は、暴力や犯罪を起こす人が多い、というイメージから 傷つけられるのが怖くて、黒人を避けてしまうという人たちがいて だから、当時、乗車拒否なども起こっていたのだろうなあと。 あの頃は、ニューヨークは、まだ治安もよくなかったし オスカーのように身体がでかくて、いかにも強そうな黒人であれば なおのことそういうことが起こったのかもしれません。 (実際は、すごく繊細で優しい人ですが) 当時、オスカーはよく 「黒人へ差別をする奴ら(白人)は、すぐにわかる。 彼らは、馬鹿丁寧な話し方で僕らと話をするんだ」 などと話していました、 オスカーは、彼の両親や祖先が受けた差別の歴史を 子供の頃から聞かされて育ってきた人ですから その痛みや’悲しみをそのまま意識の根底に持ってて 相手の言葉や態度だけでなく、微妙な表情やしぐさの中にも 敏感に黒人への差別意識を感じ取っていました。 今になって思えば、差別による悲しみや怒り、抑圧は 多くの黒人が、DNAレベルで持っているものだと思います。 そんなオスカーのことだから、きっとこのデモにも参加しているんだろうな と、久々にオスカーに連絡したら、なんとコロナに 親子でかかってしまって、大変だったとのこと。 もっと早く知っていれば、遠隔ヒーリングでも 何かできたかもしれなかったのにと思いましたが 今は、親子ともに回復したとのことで、ホッとしました。 やはり、今回のデモには参加していましたが オスカーがリツィートしたのを見て 「アメリカの全ての良い警察官たちへ。 私たちは、あなたたちを愛し、サポートしています。 安全でいてね❤️」
そうなんですよね。 今回、人種差別だけでなく、警察の暴力も問題となっているわけですが 一方で善良な警察官もたくさんいるわけですから。 私は昔、警察に対するイメージが、すごく悪かったのですが、ボブという かなりそのあたりの感覚は変わったように思います。 これは以前も書いたのですが ボブは、以前、私がひき逃げの交通事故にあった時に 真っ先に病院に飛んできてくれた人で 「のりこ、ニューヨーク市のタクシーを相手に訴えを起こそう。 僕が弁護士を紹介してあげるから」 と言ってくれて、当時、ビザがなくて不法滞在だった私は 「ボブ、知っての通り、私は不法滞在なのよ。 市を相手取って訴えるなんて、無理なんじゃない?」 と躊躇したのですが 「大丈夫、そのあたりの人権は、アメリカでは守られているから」 と手続きしてくれて、彼のおかげで 私は当時かかった3万ドルほど治療代を支払うことができたわけなんです。 もともとは、ボブとは、最初は、私が彼に日本語を教え 彼が私に英語を教えるというランゲージエクスチェンジをやっていたのですが いつの間にか、ただの飲み友達となってしまい 結局、彼が日本語を話せるようになることも 私の英語が上達することもなかったのですが 彼との出会いがあったから、私の警察へのイメージは変わったなあと。 彼は、もうリタイアして、今はアメリカには住んでないのですが たまに懐かしく思い出します。 こういう人種差別にしても、警察への不信に関しても その人が、個人レベルで、どういう経験をしたかによって 全く違ったものになるんですよね。 そして、今回のデモを通じて感じたことは 「暴力を見たら、警察に通報しよう」と呼びかけている黒人のデモの人や 白人警官が「平和にデモをしてくれるのならサポートする」と 声をあげて、周りの人たちと感動を共にしている場面を見ると ああ、DSの思惑のように、白人対黒人、警察対市民という 対立を生み出そうとする試みも もううまくいかなくなる時代になってゆくのかもしれません。 (希望的な見方かもしれませんが) 私自身は、アメリカに長く住んでいて アジア人として差別されたことは一度もないですが 例え、もしこれから、そういうことが起こったとしても 「自分の現実は、自分が(無意識に)作っている」と思っているので 差別されたという認識そのもの変化させることを 選択するのだろうなあと思います。 でも、一方で、ファミリーのようなオスカーを通じて 彼らの痛みも怒りもよくわかるし、彼らの選択も尊重したいなあと。 全ては、それぞれの学びのプロセスなので どれが正しいあり方なんてないんですよね。
今回、声を’あげよう、黙ってみているのをやめよう というメッセージがよく見られますが でも、声を上げない=無関心ということではなく 声を上げる先がどこに向かうのかを見極めることが大切だし それが逆に対立を生み出す方向に行ったり 政治的な動きに利用されるような形にならないように 静かに見守って’いることも、大切だなあと私は思っています。 とても複雑な問題なので、一概には言えないこともたくさんあるのですが 今回の事件で、なんとなく感じていることを 書いてみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年06月11日 02時55分55秒
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