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カテゴリ:つれづれ
一昨日、私の古い友人が、天国へと旅立ちました。 亡くなったDさんは、享年79歳。 私とは20歳以上、歳が離れていますが 友人というか、歳が離れた兄貴みたいな存在の方でした。 と言っても、もう随分長い間、連絡は取ってなくて 連絡先も分からなくなってしまったので 「お元気にされているかなあ」 「まだ得意のダンスは続けていらっしゃるかなあ」と たまに、ふっと思い出したりしていたのですが 昨日、ある方が知らせてくれて、Dさんが 5年前から肺を患っていたということを初めて知りました。 そのある方というのは、私が昔付き合っていた彼、Fちゃんで Fちゃんを通じて、私はDさんを知ったのでした。 Fちゃんは、当時、ニューヨークで仕事をしていて、取引先の人である Dさんをとても慕っていて、それで私にも紹介してくれたのだけど 私はすぐにDさんと意気投合して、3人でニューヨークのバーの梯子をしたり 時には、3人で、NY近郊の小旅行に出かけたりして、よく遊んでいました。 私は、Fちゃんとのことを相談するために Dさんと二人で飲んだことも何度かあって どんなことでも話せる本当の兄のように感じていました。 Dさんは、とてもユニークな人で、すごく毒舌なのですが 根底に人間愛とユーモアに溢れていて 彼の発する言葉の全てが面白くて、私は、いつも笑い転げていました。 どこに行っても、誰に対しても、彼は気さくに人に話しかけて仲良くなって 彼のいるところは、いつも笑いが絶えませんでした。 Dさんには、愛するとても美しい奥さんがいて いつもは毒舌な彼が、奥さんの前では、いきなり 大人しくなってしまうのも、また面白かったです。 3人で過ごす時も、FちゃんとDさんは、よく仕事の話をしていましたが 私は、二人の男性が話す男のロマン のような仕事の話を聞くのが大好きでした。 先日のリトリートで、仕事は喜びです、というようなことを 私はお話ししたのですが 私が出会った人たちは、みんな仕事に喜びや情熱を持って 私たちの脳は、自分自身が体験したことだけでなく 自分の周りの親しい人たちが体験したことも 同じように、自分の経験として取り入れます。 これまで出会った方たちの経験やそこからの感覚やエネルギーが影響して 私の意識のベースができてきたのだなあということを 当時、3人でよく遊んでいた私たちですが ある時、Fちゃんは、ニューヨークでの任期が切れて 日本に戻ることになり 私は迷った挙句、彼と日本で結婚することに決めて 一緒に日本に戻りました。 Dさんは、私たち二人の結婚の仲人をしてもらう予定でした。 でも、Fちゃんの家庭のこともあり、思ったようにスムーズにいかず 2年半かけて、結納まで行ったものの 最終的に、私は結婚することを諦めて、彼と別れ 一人ニューヨークにまた戻ってきたわけです。 で、半年ぐらい経った頃だったか、 その頃は、もう日本に帰国していたDさんが ニューヨークに出張でやってきてお会いしたのですが その時にDさんが 「のりこの選択は、全てよかった。 あいつを愛して、結婚を決めて日本に戻ったことも。 そして、結婚を諦める選択をして、ニューヨークに戻ったことも。 全てが、完璧だったよ」 そう言ってくれた時に、ものすごく救われた気持ちになったのを 今でもよく覚えています。 当時、私はちょうど、オスカーブラウンと知り合って 音楽のCDを制作したいと思っていた時で Dさんに「CD制作のための3万ドルを出資してください」 とお願いしたのでした。 後から思えば、例え出資しても 彼にとって、何の得にもならないのに そんなことをお願いした自分に呆れるのですが Dさんは、ほとんど二つ返事がオッケーしてくれて 私の人生の豊かさに関わる大切な人だったなあと。 Dさんのお葬式は、身内だけで行われるとのことでした。 Fちゃんとも、もう10年ぐらい連絡は取り合ってなかったのですが 「伝えるかどうか迷ったけど」と前置きしつつ 彼の旅立ちを私に連絡してくれたことに、感謝で一杯です。 Dさんと出会ったこのニューヨークで、私は彼のご冥福を祈ります。 彼のことだから、きっとあの世でも
ありがとう🙏
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