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2021年06月21日
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カテゴリ:つれづれ

先日、近くに住んでいるKちゃんが、美しいバラを持ってきてくれました。

Kちゃんの彼女が、お花屋さんなので、彼女からのりこさんに、と言って

渡してくれたのだそう。なんと優しい。

しばらくバラの香りに包まれて過ごしました。




さて、話は変わりますが

先日のセッションで「使命感」というのが出てきたので

そのことについて、しばらく思いを巡らせていました。

30年来の友人、Kちゃんとよく

「のりこは、昔は、人生暇つぶし、ってよく言ってたな~」

と、当時の思い出話をしたりするのですが

確かに、当時は、本気でそう思っていて

何かやりたいことを見つけて、それに向かっていく人生ではなく

今この瞬間瞬間を楽しむ人生にしたい、という思いがあって

使命感なんて感覚は、私の中には、かけらもなかったなあと。

というより、そう言うものを、4、5年前まで

無意識に避けてきたことに改めて気づきました。

私は今でも「人生暇つぶし」の感覚はあって

人生を寝て過ごそうが、何かを頑張って人に貢献しようが

その人の価値は何も変わらないというのが

意識のベースにあります。

例えば、いくら頑張ったり、人に尽くしたとしても

もしそれが苦しかったり辛い人生なら、そういう苦しいエネルギーを

周り(集合意識)に与えているわけで

それなら、例え、何もしなくても、楽しく暮らしているのなら

そちらの方が、ずっといいわけなんですよね。

これは、多分、私の母からの影響も大きいなあと。

昔から、私の母は、例えば、私が何か報告すると

必ずと言っていいほど「楽しかった?」

と聞いてくるのですが、私が

「楽しかったよ」

と答えると

「それはよかったね~」と、そこで、全ての話は終わります。

母にとっては

「楽しければ、全てがよし」なのです。

母の父、つまり私の祖父は、市会議員であり、神主で

祖父が脳梗塞で神主ができなくなった後は

母の母、祖母が後を引継ぎ、神主となり

人々のために尽くしてきた人だったわけですが

私が子供の頃、祖父母を見ていても、幸せそう、楽しそう

には見えなかったわけで

だから、母も、きっと、そう言う両親を見ていて

自分は人生を楽しんで生きたい、と言う思いが強くなったのだろうなあと。

母は、普通が一番、平凡が一番とよく言って

ある意味、その普通を全うした人生だったわけです(まだ生きてるけど)

そう言う母の意識の一部が、私の意識の一部となって、引き継がれていて

何か使命に生きることに対する抵抗感みたいなものは

思い返せば、もう10代の後半ぐらいには、私の中に芽生えていたなあと。

で、この前のサクラちゃんのセッションで、面白かったのが

最初の方で、さくらちゃんが

『「私はスピリチュアル的存在からの不満を手放します」

と言う文が、アファメーションブックから選ばれているのですが

何か心あたりありますか?』

と聞いてこられたので、

え?どう言う意味?と、よくわからず。

自分自身に対しても、人に対しても、不満や不足と言う感覚は

私の中には、感じられなかったので

最初は、ピンとこないアファメーションだったわけです。

ちなみに、ここでの「スピリチュアル的存在」というのは

「スピリチュアルな自分の人生や生き方についての信念を

私たちが世界に投影している部分」のこと。

通常、多次元キネシで、ピンとこない情報が上がってきたら

まずはブロッキングを疑って調べるわけですが

これは、ピンとこないけど、ブロッキングではない

という言うことは、何となくわかるんですよね。

で、その後、さくらちゃんが、筋反射で年齢退行して

「2017年」

という年を挙げてきて、そのあたりから

少しずつ、その文の意味するところが見えてきました。

2017年というのは、私がクンダリーニ症候群になった年で

その時の体験から

ああ、宇宙系遺伝は、こんなに私たちに影響を与えているのだというのが

実感として理解することになり

そこから、さらに研究や調整を重ねて

これを多くの人たちに広めて行こうという強い思いが生まれ

ある意味、それが使命感、につながったわけです。

だから、2017年は、私にとって人生の大きな転機の年で

それが2019年への離婚へとつながったのだなあ

ということは、何となく思っていました。

そして、私の意識に

「使命に生きれば、個人の幸せは諦めなければならない」

みたいな感覚がある

ということが、見えてきたわけです。

ああ、これがスピリチュアルな信念が、世界に投影している部分だったのか。

その意識があるから、それが私の現実として投影されているという。

思えば、「アルクトゥルスから地球人へ」の本の中に

サナート・クマラだったか、使命のために、愛する人と別れて暮らした

みたいな記述があって

アルクトゥルス人にとっても、使命と個人の幸せを両立させることは

テーマである、などと書かれてあって

「アルクトゥルス星人でさえそうなんだから、人間の私たちが

両立するのは難しいよなあ」と思ったわけです。

ああ、でも、それが、無意識に私の信念体系となり

その意識で世界を見ていたとしたら?

例え、アルクトゥルス星人にとって、それが本当にテーマだったとしても

私もそうであるとは限らないわけで

そんな信念体系を持って世界を見ていれば

それがまさに私の現実となってしまうでしょう。

なるほど~
不満という感覚ではないけれど
満たされない部分、ということで捉えれば
納得するアファメーションで面白い。

さて、そのセッションの翌々日。

その日は、雑誌社と合同で行うワークの内容を提出する
締め切り日だったのですが

ギリギリになっても、やはり抵抗感があって

取り掛かろうとしない自分がいたので

あ~これはまた自己調整するしかないか、と

筋反射で情報を拾って行ったら、最初に出てきた文章が

「私は仕事に関して、さらなる責任を引き受けます」

というもので、え~~~と思わず、唸りました。

なるほどな~。

私は、もうこれ以上、責任を引き受けたくないと感じていたのは

これ以上、引き受けたら、個人の幸せのための時間やバランスが

取れなくなってしまうような気がしていたんですね。

何だか、ガイドから

「ぐちゃぐちゃ抵抗してないで、いい加減、覚悟を決めてやらんかい!!」

と喝を入れられたような気になりました。

は~~。。。ほえー

了解です。

私が負う必要のない責任は手放して、使命と個人の幸せは両立させて

責任をさらに引き受けてゆくことは、楽しみま~す泣き笑い






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最終更新日  2021年06月22日 13時49分33秒
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