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2021年12月04日
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カテゴリ:つれづれ

皆さんは、1日の中で、どんな時に幸せ感を感じるでしょうか?

何が幸せだと感じるのかは、人それぞれですが

でも、案外、幸せ感って、似たようなことに感じているじゃないかなあと。

先日、MVPを取り、今やMLBの顔になった大谷選手が

「朝、コーヒーを飲みながら、チョコをつけたパンを食べる時に

ささやかな幸せを感じます」

と言っていたのが印象的でした。

そういうささやかな幸せって

1日の間に、誰でも何度も感じることができることで

そこに何かを達成したとか、どんな能力があるかは

全く関係ないですよね。

昔、私の母が、美味しいものを食べている時に

必ずと言っていいほど

「あああ~~幸せ~~ハート(手書き)

と、心の底から幸せそうに言っていたのを思い出します。

私も、美味しいものを頂く時は

必ず幸せ感になるのは、母からの影響が大きいです。

ちなみに親が幸せ感を抱いていれば
子供はそれだけで自己価値が高まります。
親が幸せでないと、子供は、それが自分のせいではなくても
自分の無力感を感じ、自分の存在の価値を見失ってしまうのです。
だから、お父さん、お母さんは、自らが
幸せに生きることが、子供のための最大のギフトだと私は思っています。

美味しいものを食べなくても

私は、朝、起きて、外が晴れていたら

それだけで、幸せです。

(もちろん、雨が降っていたら、不幸になるわけじゃないですけどね)


ニューヨークって、本当に青空が綺麗というか

特に私の住んでいるエリアは、高い建物がないので

空がパーッと広がっている感じなのです。

これは、私だけでなく、何人もの人が言ってることなんですが

ニューヨークの空の色は、クリアで、明らかに日本の青空とは違います。

このニューヨークの青空は、間違いなく、私の幸せの要因の一つで

だから、こんなに長く住むことになったのかもしれないなあ、なんて

思う時があります。

そして1日の中で、例えば

観葉植物が生き生きした新芽を出しているのを見つけた時とか、

午後近くになってお腹が空いて、その日の初めての朝食を頂く時も

そして、仕事の合間に、アーモンドとコーヒーを頂く時も
部屋や物の断捨離をしたり、小さな模様替えをする時も

夜、寝る前に、ベッドの上で、こうしてブログをアップする時も

ささやかな幸せ感を感じています。

特に、夜寝る時に、幸せ感に包まれて、眠りにつくことって

大切だなあと思います。

幸せ感に包まれて寝ると

幸せ感とともに、目覚めることができるからです。

私にとって、朝、目覚める瞬間が、とても大事であることに

特に最近、思うようになりました。

朝、目覚めた瞬間というのは、まだ思考が働いていない時なので

経験や思考を超えたいろんなアイデアや

インスピレーションが降りてきやすいんですね。

ああ。そうか、こうすればよかったんだ~と

目覚めた瞬間に、問題が解決したり

ストーンと納得したりすることが

以前より、さらに多くなりました。

もちろん、人との関わりの中では、喜びや楽しみだけではなく
いろんなトラブルや問題も起きたり、心痛んだりすることもありますから
そういうことがあった時に、できる限り、その日のうちに調整したり
浄化したり、癒したりします。

それを見ないように、感じないようにして

やるべきことに追われて暮らしていると

日々のささやかな幸せ感も感じれなくなってくるのです。

だから、ヒーリングやキネシオロジーは

誰にとっても、必要なケアじゃないかなあと。

ちなみに先日、ご紹介した天使の本の281ページに
紹介されている、大天使ミカエルの祈りの言葉、

この言葉、とってもいいです。

これ唱えると、天使がワサワサとやってくる感じがして
(実際に、唱える前と後で、部屋にいる天使の数を数えてみた~ウィンク

幸せ感の中で、眠りにつくことができます。


で、そう言った、毎日、何度と感じる、何気ないささやかな幸せではなく

もう十分すぎる幸せ、というのがあって

それが、私にとっては、人との繋がりから生まれる幸せ感です。

先日、近くに住むKちゃんに音楽のデータを渡しに行ったのですが

私はテキストの作成などで、時間がなかったので

データを渡して、すぐに家に戻ったのですが

Kちゃんが、帰りに

「ここで食べてく時間がないなら、これ持って帰りなよ」

と言って、たらの西京漬けと卵焼きやお浸しが入った

手作りのお弁当を渡してくれました。

こうなると、もうささやかな幸せではなく

なんという幸せなのだ、と泣けてくるぐらいの幸せ感です。

これまで数えきれないぐらいたくさん感じてきた

人との暖かなつながりの中で感じる幸せ感は

以前は、誰にでも普通にあるものだと、思っていたわけですが

ヒーリングやキネシオロジーを始めてから

いろんな人にセッションをする中で

必ずしもそうではない、ということがわかってきました。

ささやかな幸せを感じることができない要因は

インナーチャイルドやいろんな要因はあるけれど

やっぱり、遺伝的な性質と思考が大きいと思います。

レプティリアン遺伝が活性化している状態では

いつもイライラしたり、一つのことが頭から離れなかったり
落ち込んだり、パニクったり、緊張したり
いつも落ち着かない状態だったり
また冥王星遺伝が強ければ、人生は厳しく

人のネガティブな面や過去にばかり意識が向かいがちで

気分は重くなります。
いくら幸せな状況にあったとしても
幸せ感を感じることが難しくなってしまうんですね。
またグレイが活性化していれば、人を信頼できず
何でも被害的に捉えてしまいがちなので
人との繋がりからの幸せ感を感じる事は難しくなります。

だから、ささやかな幸せ感や

人との交流の中で感じる暖かな幸せ感を

日々の生活の中で。感じることができている人というのは

もうそれだけで、ラッキーな人生だと言って過言ではないのです。

さて、ささやかな幸せや、人との関わりの中で感じる幸せ

とは、全く違った種類の幸せ感があって
それは、何かにチャレンジした結果、生まれる喜びや幸せです。

どちらかといえば、母のように
ささやかな幸せで、完全に満足してしまう傾向にある私は
これまで、ガイドやマスターたちから
もっと、大きな幸せや喜びを受け取っていのだ
というメッセージを、何度か受け取ってきました。
以前は、私は、例えば、家が欲しいとか、社会的に認められたいとか
そういう欲がないから、これ以上を求めていないのだと
思っていたのですが、本当は、そうではありませんでした。

ささやかな幸せや、人との関わりの中で感じる幸せには

リスクは伴わないのですが

この大きな喜びを得るには、リスクがつきものだったので
そのリスクを(無意識に)取らないようにしていたことに
少しずつ気づいてきたのです。

今年の9月に訪れたエジプトの旅で受け取った祝福や喜びは

私にとって、人生のギフトで、こんな体験をさせてもらえたことに
ただ感謝しかないのですが

その喜びを受け取るためには、その前に

エジプトでちゃんと配信できるのかどうか
また行うワークを私自身やったことがないので
どうなるのかわからないという状況の中で

参加希望者を募り、そのための準備するという

リスクを取る必要がありました。

実際、灼熱の太陽の下で、一人で配信したり

友人と共に、エジプト人と交渉したり

群がってくる人を遠のけて、配信したり

場所がよくわからない状態で出発したり

いろんな問題やリスクと向かいあったからこそ

この喜びも祝福も受け取ることができたのだなあと。

今から思い返すと、毎年のようにハワイでリトリートを開いたり

多次元キネシオロジーのクラスをスタートしたりする中で

毎回のように、様々なリスクを考えると

「あ~私は毎日、こうして

セッションやってるだけで、十分、幸せなんだし

こんな大変な準備をしてまで、クラスなんてやらなくてもいいのに

なんでこんな事やろうとしているのかな~」

なんて、気持ちが、いつもどこかにあったなあと。

でも、いつも終わって見ると、そこにはやる前には

想像もしていなかったような、喜びや祝福があって

「あ~本当にやってよかった~。また次もやろう」

という次へのモチベーションへとつながっていました。

ユニバーサルリトリートをスタートすると決める前も

8月に初めてのオンラインアチューメントを行った

アルクトゥルスメソッドクラスを決める前も

いつも、そのリスクと共に、若干の躊躇があったのです。

そして、今回のベーシッククラスは

初めてのオンラインでのベーシッククラスですが
これまで、いつもどこかで感じていたその若干の躊躇が

全くないということに気づきました。

これは、やはり、9月のエジプトの旅で手放すことができたもの

そして得たものが大きかったのだなあと。

もちろん、このクラスを開催するにあたっても

全くリスクがなかったわけじゃないのです。

例えば、音叉のこと。

クラス開催を決めたのが、ギリギリだったので

それからすぐに参加者が、イギリスに音叉を注文することができたとしても

果たして、この配送状況があまり良くない時期に

クラスまでに配送が間に合うのかどうか?というのがありました。

もし音叉が間に合わなかったら

クラスの初日から何もできない状態になってしまうからです。

でも、イギリスのメーカーの方が最善を尽くしてくれたこともあり

音叉は、参加者のほとんどの人が受け取ることができました。

少し前に、まだ何人か受け取っていない方がいらっしゃったのですが

先日、まさに朝の寝起きの瞬間に

「あ、そうか、もし万が一、間に合わなければ

二人1組のどちらかが持っているわけだし、

セッションで相手の音叉を借りればいいんだ!」

と気づきました。

対面のクラスじゃないから、相手の道具は借りれない

と思い込んでいたのすが

オンラインでも、相手の音叉を画面越しに選ぶ事はできるし

それを相手に鳴らしてもらえばいいわけですから。

これまで、いろんなリスクや問題を一つずつ乗り越えてくると

だんだん、もはやリスクでも問題でもなくなってくるのですね。


ささやかな幸せを得ることができるだけでも

とてもありがたいし、満たされているけれど

でも、この自分として生まれてきた人生は1回きりなのだから

例え、リスクを負っても、上手く行かないことがあったとしても
またチャレンジし続けてゆきたいなと。


私にとって、さらに幸せなことに
音楽制作という、もうどこかで諦めかけていた喜びも
1年半前のKちゃんとの再会によって、またチャレンジできていることです。
最近、またプロジェクトを進めているのですが
一つの作品が出来上がるまでの幸せ感は、何者にも変えがたいなあと。
これは、ヒーリングにしても、音楽にしても、絵にしてもそうですが
新たな創造のプロセスは、私にとって、いつも最高の幸せです。


ということで、クラスまで残り、3日間。

参加者の方たちも、またさらなる大きな喜びや祝福のために

それぞれに何らかのリスクを負って

クラスにチャレンジされた方も多いのではないかなあと。

あのユニバーサルリトリートに参加してくださって

一緒に感動を分かち合った方たちが、筋反射クラスを経て

このベーシッククラスに参加される
そのみんなに会えるというだけで

もう「ささやかな幸せ」ではなく、十分すぎる幸せ感です。


これまで日本で開催したベーシッククラスは

クラスで初めてお会いする人の方が多かったので

そうはなりませんでしたが

今回、クラス開催前に、もうこんな幸せ感を感じているのは
初めてのケースかも。

どうかみんなも幸せでいてくれますようにハート(手書き)
(いえ、例え元気がなくても、それもまたシェアしてゆければいいんだけどね)






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最終更新日  2021年12月06日 13時51分34秒
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