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カテゴリ:映画&映像
久々に映画を見てきました。 「マトリックス・レザレクションズ」 昨日の午後、一息ついた時に と急に思い立ち 友人に連絡したら、一緒に行くよ~、と言ってくれて 見に行ってきたのですが、行ってよかったです。 評価は、賛否両論、真っ二つに分かれるようですが 私は、単純に楽しめました。 新しいアクションや、これまで見たことのない映像や 劇的な展開を期待している人たちにとっては 期待外れだったかもしれませんが 私にとっては、これは、もうシンプルに、ネオとトリニティの愛の物語であって それ以上でも以下でもなく。 それを見たかった人にとっては、十分満足なのです。 最初のマトリックス3部作の、しびれるようなかっこよさや 圧倒的な迫力はないものの 年を重ねた二人だからこそ、出すことができる表現の美しさがあって ちょっと切なく、味わい深く。 ケアヌリーブスも素敵でしたが、トリニティ役のキャリー・アンモス 若い頃は、クールで超かっこいい女性でしたが 今回、美しく年を重ねた、彼女の知性や穏やかさが滲み出ていて 素敵だなあと。 この映画の中で ケアヌリーブス演じる、トーマス・アンダーソンは マトリックスという世界的なヒットとなったゲームを作り 今は、ゲームと現実との区別がつかなくなってしまう それこそが、マトリックスで見せられている仮想現実であり マトリックスのポッドから目覚めるわけです。 だから、映画の最初のしばらくの間は、私たち見ている観客も そこから彼の目覚めのプロセスまで、一気に引き込まれてゆくのですが 面白かったのは、彼がネオとして目覚めた後も 以前の、いわゆる「The One 」としてのオーラみたいなものはなくて まるで、今の若者についていけてない過去の中年スターのような雰囲気。 目覚めたものの、自分の力もまだよくわかっていない感じで 事はどんどん進んでゆくんですね。 最後、ネオとトリニティが、二人で、ビルから飛ぶのですが ネオの方は、飛んでは見たものの、最初は飛ぶことができず 「え?トリニティ、君は飛べたの?』みたいな表情とか、面白い。 レザレクションズ、と複数形になっているところを見ると 二人ともなんですが 「え~、実は、トリニティがThe One だったの~?」 と一瞬、思わせるような映像でした。 ネオが、バックスや他の人から話を聞き トリニティは、ネオに出会い、何度か表面的に話をしただけで そのあたりも、女性本来の感性の高さを描いているのかなあと。 きっと、なんのこっちゃわからない難解なストーリーだろうけど ストーリーは、以前の3部作のストーリーを理解していれば (もちろん、前作3作を見ていた方が楽しめますが 映画の途中、なぜ、エージェント・スミスは、 精神分析医を攻撃して、ネオとトリニティを助けたのか? 後から、調べて見ると、こちらのサイトに 「精神分析医は、前回、ネオとトリニティを死から蘇らせ それと同時に(ネオと対としての存在である)スミスも生き返ることになり 精神分析医は、スミスを、ネオをマトリックスに留めておくための監視役として プログラミングしていた。 そして、今回、ネオがマトリックスから目覚めたことで スミス自身もそのプログラムから自由になり その自由を守るために、ネオたちを助けた」という事が なるほどな~と。 このサイトの他の記事もざっと読みましたが マトリックス5の可能性、などまで書かれてあって 面白かったです。 マトリックス3部作は、これまで何度も見ましたが 久々に、またマトリックスの第1作目の映画を見たくなりました。 やっぱり、第1作目が一番好きです。 最初のマトリックスが1999年だそうですから そこから23年も経つのですね。 マトリックス世代である私と同年代の人たちは このマトリックス4にワクワクされた方多いんじゃないかなあと。
私にとって、最初のマトリックスの映画を見たときに 何が強烈に印象が残ったのって もちろん、当時としては画期的な映像やアクションなどもありますが やっぱり、何よりも、例の赤いピルを飲んで 「眠らされていた世界から、目覚めて本当の現実を知る」 というコンセプトだったなあと。 誰もがこれが現実だと思っていたことが、 実は、単にそう思い込まされ 眠らされていただけであって 世界の真実は全く違うところにあったというコンセプト。 「赤いピルを飲もう」というのは、 この映画がリリースされてから、今日まで どれだけたくさんの人たちが引用してきた言葉なのでしょう。 それだけ、世界中で、このコンセプトに強烈に魅せられた人たちが たくさんいたということですね。 この映画の公開から2年後に、あのワールドトレードセンターの 911が起こったわけで それが起こったことで、「目覚めた」と言われる人は多く 私もまさに、当時、赤いピルを飲んだ気分になりました。 真実は知らないまま、偽の現実の中で眠っていた方が幸せかもしれない だから、トリニティがどちらを選んだとしても それを受け入れると言うネオ。 う~~わかるなあ~。 最近、思うのは、意識のどこかでは感じてはいても そのまま青いピルを飲み続けるという選択をする人もいるし または、一旦、赤いピルを飲んだのにも関わらず 飲んでないふりをして、幻想の世界で生きることを選択する人もいれば または、自らは赤いピルを飲んでも 赤いピルを飲んだ人たちと、青いピルを飲んだ人たちと 両方の世界の中で、揺れ動きながら、生きる選択をする人もいるし この世界は、映画のように、目覚めた人と、眠っている人と 完全に二つに分かれているわけではないんですよね。 この映画の製作者の意図がどうであれ 作品は、それを見た人がとう捉えるかは自由だなあと思うのです。 ここ最近、友人たちと話をしていますが 今、まさに、社会が混乱とともに 未知なる世界へと向かっており、その中で、私たち人間が マトリックスから抜けるかどうかの 大きな分岐点にいるんだなあという気がしています。 そして、また、別の観点では もし、私たちが、自分自身を「多次元的に」見るのなら また違った「現実」にいる事が、観えてくるわけで それは、また私たちが無意識に作り上げたマトリックスとも言えるわけで そこからの「目覚め」のプロセスも、また興味深く。
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