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カテゴリ:つれづれ
去年のエジプトの旅では、どこに行って何をするか 今回のアイルランドの旅では いくつかのストーンサークルを選んだときに ガイドに聞いたこと以外は ほとんどガイドやマスターからの アドバイスを求めず、筋反射も使わないで、流れのままに 和美ちゃんと相談しながら、自由に決めました。 和美ちゃんが 「今回は、のりこさん、マスターやガイドに 全く聞かないのね」 と言った時に、そのことに改めて気づきましたが アイルランドでは、学ぶ必要があることもないし アイルランドにいるだけで幸せで どこに行って、何を見たとしても良かったので ガイドやマスターたちにアドバイスをもらおう という気持ちにならなかったのです。 むしろ、今回、訪れたストーンサークルやドルメンの ほとんどは、和美ちゃんが見つけてきて 「ここに行ってみる?』と教えてくれたところで 和美ちゃんに勧められるがまま、訪れていました。 でも、それがすべて結果的に 私自身にとってベストのところに行くことになったわけで あの過去世が出てきたゴールドウェイの アイリッシュバーでさえ 和美ちゃんが検索して見つけたところだったし もちろん、これは、その時々の 自分が主導権を取り、選択することが必要な時と 周りの人に委ねることが必要な時と 両方があるなあと思います。 最初に訪れたこのドルメンも、和美ちゃんが探してくれたところ。
常に私の自由な選択を受け入れてくれています。 でも、ここぞと言う時には、いろんな形で メッセージをくれることが多いので その時はありがたく そのメッセージに従うことが多いです。 それは、私がどこかではわかっていても 頭では全く意識しておらず 突然のように言われるまで 気づかなかったこともあれば 何かがちょっと気になって 私からそのことを質問して尋ねる時もあります。 例えば、このようにブログをアップする内容も ざっと思いつくまま書いた後 何も考えずにアップする時もありますが ふと気になって、ガイドに聞いてみる時もあって そう言う時は大抵 「この部分は削除」とか「ここの部分は変更」とか 出てくるので なるほど〜、と納得して削除、修正します。 この「ふと気になって」と言うのが すでに大切なメッセージなんですよね。 そして、それは、いつも多次元的に起こっているので これが正しい、と言うものも何もないんです。 例え、それが自分の真実を表す言葉でないのに それをアップしたとしても。それはそれでいいと言うか またいつか気づく時がくるでしょう。 例え失敗しても、上手く行かなくても トラブルがあったとしても 全て自分にとって、必要なプロセスだと言うことが 根底にわかっていれば いつも安心して選択することができます。 ただ一方で、わざわざ不要なトラブルや困難を 招くような道を選ぶ必要はないので そこはしっかり見極めることも必要だなと。 だから、ここぞと言う時には これはイメージですが マスターやガイドのような高次元の存在にとって 私たち人間を見守り、導いてゆくプロセスは 親が子供を見守り、導いてゆくプロセスと 同じなのだなあと。 親は、子供のどんな選択も、またその選択からの失敗も受け入れ 子供自身がそこから学び、気づいてゆくプロセスを 見守ってゆく でも、本当に必要な時には その子が本来あるべき方向へと進んで行けるように 導いてゆく
そんなプロセスを見てゆくにつれて 親が子供をどう育ててゆけばいいか、とか
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最終更新日
2022年10月09日 05時30分35秒
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