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2022年11月26日
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カテゴリ:つれづれ

先日、友人と会った時に

その友人はリトリートも受けてくれているのですが

彼女が

「リトリートの動画の視聴を見直していて

一番心に残ったのが、のりこさんが言った

『シンプルに生きることが大切』と言う言葉だったの」

と言っていて、

私は、いつそんな話をしたのか

どう言う話の流れで言ったのかも、全く覚えていないのですが

その言葉が彼女の心に響いたことは、意外でしたが

嬉しいことでした。

私がシンプルに生きることに、意識をむけたのは

もう随分前のことなので

多分、このブログでも、言葉を変え
色々と伝えてきていることだと思うのですが

シンプルと言うのは、いわば

心(感情や精神)と身体と魂が一致した状態

と言えるかなあと。

人間と言うのは、シンプルには行かない生き物で

例えば、やりたいと思っているのになかなかやれない

とか、こんな仕事をやりたくないのにやっている、とか

相手に優しくしたいのに、できないとか

そう言う複雑さを抱えているわけです。

もし、私たちが、シンプルに生きることができれば

自分がやりたいことを自由にやって

他の人とも愛で繋がってゆくことができるわけなのですが

多くの人は、なかなかそうシンプルには生きれない。

つまり、ヒーリングは、自分をよりシンプルに生きるために

変化させてゆくもの、と言えるなあと。

私は、人にセッションを行う時に、最初にその人の

シンプルじゃない部分を見つけ出すと言うことを

常にやっているわけなんです。

人によっては、がんじがらめに絡まった毛糸のように

複雑なことになっていて

その絡まった糸を紐解いていく必要があるわけです。

ちょうど、ここ最近、行った二つのセッションで

二人とも多次元のクラスを受けられていて

同じような問題を抱えていたので

びっくりしたのですが

一人は、病気がなかなか治らない理由を探っていって

出てきたのが

病気が治らないのが、怖い、と言う思いと同時に

病気が治ったら怖い、と言う思いでした。

病気ば治らないのが怖い、のは理解できますが

病気が治ったら怖い、と言うのは

シンプルじゃないわけですね。

それで話を聞いたり、調べて見てわかったのが

彼女は病気が治ったら

ヒーリングを人にも行いたいと思っているそうなのですが

旦那さんがそれを反対している、とのこと。

彼女は、旦那さんが失望するようなことはやりたくないし

そのことで揉めたくはない。

それで、彼女の無意識が感じていたのは

病気が治ったら、旦那と上手くいかなくなってしまう

と言う恐れで

だから、病気が治ったら怖い、わけなんです。

で、この無意識のプログラムを解除するためには

旦那さんを失望させるのが怖いと言う恐れを手放し

人に振り回されず、やりたいことを自由にやる自分に

変化させることが必要と同時に
「病気が治る」→「ヒーリングを行いたい」
→「旦那と揉める」
という複雑になっている思考パターンそのものを
変化させるということです。

もう一人も、同じような感じで

彼女は、謎の体調不良があって、それは忙しい時にはないけど

リラックスすると、痛みが出てくると言うもの。

筋反射で見てみると

「リラックスしたくない」と言う潜在意識の声。

なぜ、リラックスしたくないかといえば

「自分はまだまだ不十分だから、もっともっとやらなければ」

と言う声が上がってきました。

だから、リラックスすると痛みが出てくるわけなんです。

で、何が不十分なのかを見ていくと

彼女もヒーラーとして、人にセッションをやりたいと

思っているのですが「ヒーラーとしての才能が不十分」

だと感じていることがわかりました。

それで、彼女は「もしこの痛みを自分で治せたら

私は、自分のヒーリングの才能を認めることができるのに」

と感じていたので、無意識に

自分の才能を認めたいために、身体にどんどん負荷をかけて

いたわけなんです。

なんと、複雑な仕組み。

彼女の場合は、もちろん、
今の自分の潜在能力を認めると

いうことが必要だし
痛みがすぐに治せる=ヒーリングの才能がある
という先入観を手放すことも必要なわけです。

この二人に共通していたのは、自分のやりたいことのために

自分の身体を苦しめていた、と言うこと。

よく、やりたくない仕事をやらないために

病気を生み出している人はいるのですが

やりたい仕事のために病気を生み出すと言う

より複雑なパターンもあるなあと、改めて思いました。

人間関係になると、さらにこれは複雑化して

複雑な人間が、複雑な人間と

コミュニケーションしているわけですから

様々な問題を生み出し、複雑化してしまうわけです。

例えば、「私は~~に嫌われたのだ」と勝手に思い込み

それなら、もういいわ、とその人の関係を避けていて

で、一方のその相手の方も、避けられたことで

私は嫌われたのだ、と思い込み

より、関係は悪化する。

みたいなことは、日常茶飯事に起こっているわけなんです。

相手から「あなたのことが嫌いですので、連絡しないでください」

と言われたなら、それはシンプルなので

仕方ないとなりますが

そうではないのに、自分は嫌われたと思う思考が

シンプルではないわけですね。

さて、私は、比較的シンプルに生きている母と

シンプルに生きられなかった父の間に生まれたので

両方の部分を持っていたわけで

そのシンプルじゃない部分を

これまで変化させてきたわけです。

私の母は、シンプルに生きられない人のことを

「めんどくさい人」とよく言っていて

母にとって、最もめんどくさい人は、夫である私の父

だったのは言うまでもなく。

どんなことでも、最終的には必ず笑いに持ってゆく母は

父や他の人が「いかにめんどくさいか」の

「めんどくさいぶり」を

母の友人や私に、おもしろおかしく話して

笑いを取るのです。

私の弟も、父のめんどくさい部分を

かなり受け継いでいるので

母はよく

「もう、めんどくさい人なのよ~」

と弟のめんどくさいぶりを

愛情を込めて話していました。

例えば、以前、私が日本に一時帰国した時のこと

当時、弟夫婦は、京都に住んでいたので

では、私と母とで京都旅行に行こうという話になり

京都で、弟夫婦が、私たちを案内してくれたことがありました。

私の弟は、人を喜ばせたい、と言う思いがとても強い人で

それ自体は悪くはないのですが

同時に「京都のこう言う素晴らしさを見せて

(私たちを)感動させたい」

というこだわりがあって

彼なりに、どこに行くのか

綿密に計画を立ててくれたわけです。

で、本当に私も母も実際に訪れて感動したのですが

弟が行きたいと思っていた場所の一つが

時間の関係だったか、子供のことだったか理由は

忘れましたが、行くことができず

それで、彼は、そこに私たちを連れて行くことが

できなかったことで

不機嫌になってしまったわけです。

私や母が

「もう私たちはとても楽しんだし

これで十分よ」

と言っても、彼の機嫌はなかなか治らず。

元々は、私たちを喜ばせたい、感動させたい

と言う彼の優しい思いからなのですが

なぜか、最後は、私たちに気を遣わせることになると言う

まさに

「超めんどくさい人」なんですね。

私と母としては、京都の雰囲気を味わえば

それで良かったし、弟夫婦と甥っ子と

一緒に楽しい時間を過ごせれば

それで、シンプルに最高だったわけなんですが

彼の様々なことへの「こだわりの強さ」が、

そのシンプルさを妨げてしまうわけです。

この「こだわり」や「好き嫌い」と言うのは

私たちのシンプルさを妨げる要因の一つです。

最初のケースでお話しした

「特別な才能がなければ、ヒーラーとして

やってはいけない」

などと言うのも、こだわりの一つ。


こだわりは、例えば
「より良い製品を作るためのこだわり」
など、自分が本当に求めるもの、魂が求めることを
追求するためのこだわりは
プラスに働くこともありますが
その他のこだわりの多くは不要なものです。

好き嫌いは「好き」は問題ないのですが
「嫌い」という感情は
人間関係での問題を生みます。

例えば「人参が嫌いです」

など食べ物の好みを伝えるのは

多くの場合、問題はないですが

「こういう人が嫌いです」とか

相手が好きなものに対して嫌いだとか

そういう嫌いは、自分自身の問題なので

それを自覚していればいいのですが

なぜか「~~が嫌い」と言うのを自分の個性のように

勘違いしている人が多いなあと。

好き嫌いは、個性ではありません。

単にダークサイドからの遺伝的な思考や

子供の頃などからのストレスやトラウマを

反映しているにすぎないのです。

そう言った自分のこだわりや好き嫌いを

主張する「めんどくさい人」に出会ったら

とりあえず、スルーするのが一番だなと言う

結論に達しました。

私の母は、その場はスルーして

あとで笑いにする

いわば「ネタとしていじる」ことで

彼女の中で、めんどくさい人への対応の

ストレスをチャラにしているような感があって

だからこそ、夫や家族のめんどくささにも

屈することなく、自由でいられたんじゃないかなあと。

(あ〜そう思うと、私にも、そういうとこあるな〜)

私も、めんどくさい人に、いちいち

説明したり、対応していること自体が

自分の中のめんどくさい部分だと気付いて

手放しました。



昔、私が、もっと若い頃には、例えば

どこか孤独感を抱えている人とか

何かの悲しみや問題を持っている人とか

そういう人に惹かれたりすることもあった
ように思うけれど
今は、そういう人は、私にとっては

単に「めんどくさい人」になりました。

結局、そういう人に惹かれるのは、

自分の中の孤独感とか

満たされない想いがあって

それを見ないで、相手の孤独を癒すことで

自分の満たされない想いを満たそうとしていたに

過ぎない、ということがよくわかったからです。

その人の孤独感や問題は
周りがいくら埋めようとしても

その人自身が向かい合うことでしか

なくならないことは、間違いなく。

たまに、セッションでも、そういう方の

恋愛に関するセッションを行ったりしますが

自分自身の傷や孤独感を癒し
シンプルな思考や感覚に変化してゆくと

わざわざ、問題のある人、めんどくさい人に惹かれて
苦労をすることも
なくなってゆくのです。

シンプルであればあるほど

より楽に幸せに生きることができるし
人からも愛される。

そのことを時が立つごとに実感しています。


あなたの周りにも、めんどくさい人いるでしょうか?

(というより、あなた自身がめんどくさい人?泣き笑い

愛すべきめんどくさい人たちへ。

自分のめんどくさい部分と向かい合って
どんどん手放して

シンプルに生きよう〜ハート(手書き)

(と、私もまだ自分の中にめんどくさいとこあるんだけどねウィンク






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最終更新日  2022年11月27日 07時41分19秒
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