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2023年06月04日
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カテゴリ:つれづれ

まだ残りのエジプトの話もしたいなと思いつつ

なぜか、先日、始めてしまった恋愛ストーリー。

昨日のブログアップの後、ファンレターを頂きました。

ありがとうございます❤️

ちょっと補足的に書いてみようと

そのレター一部をご紹介すると

ここ最近ののりこさんの恋愛話にすっかり釘付けです👀

のりこさんの人生は愛に満たされているのがよくわかります。

本当に素敵です。

女で生まれたことの祝福なんて素敵なんだろう。

私ね、母が料理が好きだからってことで、

それに甘えて何もしないでこの年で。

恥の冥王星がででんと鎮座しているんですが

のりこさんのセッション受けられた方への言葉に

めっちゃウルウルきちゃいました

そーなんかー、そんなことが許されていいのかーと。

しっかり調整に活かします。ありがとうございます❤️

でもほんと、今回のお話はワクワクします!

この年まで何も浮いたお話がひとつとしてない私さえ

希望を感じられるくらいに。

愛とかときめきとか大事なんだなあと

ヒシヒシ感じています❤️シェアありがとうございます🙏

そうなんです、実は、母が料理が好きだと

逆にやらなくなったりするんですよね~

私が思うに、料理って「誰かに作ってあげたい」と思うから

これ作ってみようとか、もっと美味しく作りにはどうしたらいいかな?

とかなるのであって、家族に料理が好きな人や上手いがいれば

その人にお任せした方がいいとなるから

自分で料理する気はなくなってしまうわけなんです。

だから、これは逆の発想なんですが

もし、誰かに料理を作ってもらいたい、とか

誰かに何かをやってもらいたい、

と思ったら、自分は上手くできない方がいいわけで

私、実は、この「できないふり」

が昔から、得意だったと言うことに気づきました。

(私の母は、料理は好きで上手いけど

できないふりも得意)

よく、夫が家事をしてくれない、とか

子供が手伝わない、とか言われる方は、

自分がなんでもできちゃうし、やってしまうからなんですよね。

自分がどうしたら、少しでも楽になって

本当にやりたいことだけにフォーカスできるか

は、できるできないに囚われている人は難しいのです。

だから、今、自分が料理に興味がないのなら

料理が好きな母に任せればいいし

「できる」と言うこと自体には、何も意味はなくて

むしろ、やりたくないことができたって

苦労が増えるだけですから。

もし、いつか誰か料理を作ってあげたい人が現れたり

料理したいという気になれば、その時にやったらいいし

相手が料理好きで、作ってくれる人かもしれないし

どちらにしても、今やりたいことにフォーカスしていれば

それでバッチリです。

>愛とかときめきとか大事なんだなあと、ヒシヒシ感じています❤️

ときめきを感じてくださって、嬉しいな~

私自身も4年間、そのときめきを

すっかり忘れてしまっていました。

ちなみに、このメールを送ってくださった方は

ムッチャ可愛い人で

男性に愛される人であるのは、間違いないし

これまで「浮いた話が何もなかった」のは

潜在意識で、恋愛やパートナーシップに抵抗している

からである事は、明白なので

そのあたりの抵抗を手放して、これから

現実の恋愛で、ときめいていって欲しいなあと思います。

ということで

ここからは、幸せなラブストーリーではないので

共鳴力が強い方(昨日のブログで幸せ感を感じた方)は

今度は、辛くなったりするかもだけど

あくまでも過去のストーリーだからね。

過去の私と共鳴して、辛くならないでよ~

(念を押しておこう😉)



⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️


さて、Fちゃんと二人で

ニューヨークから日本に戻り、

同じ福岡出身だったこともあり

いつでもすぐに会えるので、結婚するまでは、とりあえず

お互いの実家に住もうと言うことになりました。

その時は、二人とも、すぐに結婚して

一緒に住むことができると思っていました。

まず、私は、彼のご両親に

引き合わせてもらうことになりました。

彼の父は、会社の社長で、彼の母も

理事長だったか会社の経営に関わっている方である事は

事前に知っていましたが

あまりそのことについて

そこまで深くは、考えてはいませんでした。

でも、Fちゃんのご両親に会って

最初の第1声に聞かれたことが

「私たちの会社のことを、どうお考えですか?』

という質問だったことに

軽い衝撃を受けました。

彼のご両親との初対面で

まだ何の話もしていない最初の質問で

まるで、入社試験の面接みたいな質問をされるとは

夢にも思っておらず、焦りました。

もし、正直に答えるならば

「何も考えていません」

でしたが、いくらバカ正直な私でも

流石に、その答えがまずいことはわかったので

「会社の事は、Fちゃんからよく聞いていますし

Fちゃんは、すごく頑張っているのを見てきました。

彼と会社の成功を応援しています」

と言うような事はお伝えして、それは本当でしたが

そんな質問を最初にするご両親が

そんな答えで、満足するはずもなく

私は、すぐに

『会社を引き継ぐ息子の嫁として不十分』

ということになりました😅

多分、求められていたのは

彼の妻として、会社の発展のために

最大限に彼をサポートすると言う

覚悟や意志なのだなと言う事は

その後の話からも、すぐにわかりましたが

毛頭、私には、そんな気持ちはなかったし

私は彼と一緒になりたいのであって

会社と結婚したいわけじゃないのだから

と、私は、彼のご両親の期待に沿う事は

できませんでした。

Fちゃんは

「大丈夫。絶対に説得するから。

俺は、のりこに俺の会社のために

頑張ってほしいとは思っていないし

俺のそばにいてくれさえすればいいのだから。

もし説得できなければ

俺は会社をやめる覚悟だから」

と言ってくれたこともあって

私は焦らず、時を待つことにしました。

一方、私の両親は、Fちゃんのことを

とても気に入って

特に父は

「今時、珍しく、誠実でいい青年だ」と

一緒に酒を飲む息子ができたかのように

彼が家に来るのを楽しみにしていました。

そして、お互いの両親との面談があり

やはり、彼の会社の話となりました。

その後、私の父が、私に言ったのは

「Fくんは、偉そうなところはないし

とてもいいやつだが

彼のご両親は、彼とはかなり違うようだ。

お前は、あそこに嫁げば

きっと苦労することになるだろう」

という言葉でした。

その時、私は

「大丈夫よ。結婚してしまえば、何とでもなるし

どう言われても

私は(自分がやりたくない事はやらないので)

苦労なんてしないから」

と父に伝えたのですが

なかなか、結婚の話は進みませんでした。

とにかく、彼の両親にとって、足りないのは

彼の会社を発展させるために

自分ができる最大限のことをします

という私の意思表示。

ある時、彼の母から、私の母に電話があり

「うちは、お金はあるのですから

(だから、娘さんは会社のために努力してください)」

と言われたことで

私の母も、

「黙って話は聞いてたんだけどね。

何だか、嫌な感じだったのよ~」

と珍しく、ちょっとムカついていて

あ~これは、私の両親からも

結婚を反対されるようになったら

さらに面倒臭いことになるなあと

「多分、そう言ってるだけだけで、本当に

そんな風に思っているわけじゃないだろうから」

と、母をなだめる感じでした。

こうして中途半端な状態のまま、時は過ぎ

私は「ビジネスや仕事について

何もわかっていない」と彼の両親に言われ

(全くその通りだったのですが)

私の父からも

「お前も、ずっと家でブラブラしていても仕方ないし

結婚するまでの間だけでも

何か仕事をするのはどうだろう?』

と提案されて

じゃあ、働くか~と仕事を探し

中学校の進学塾の講師として働くことになりました。

担当は、中学校2年生の国語で

今から思うと、特に国語の力があるわけでもなく

というより、古文とか、ちんぷんかん状態で

いつも「答えを事前に知ってないと

とても教えれないな~」と思っていましたが

そんな先生に教えられている生徒にも申し訳ないし

何より、受験のために、仕方なく進学塾に通っている

子供たちの諦めたような目を見ているのが辛くて

早くこの仕事、辞めたい~と思っていました。

半年ぐらい塾講師を続けていた時だったか

彼の東京への転勤が決まり

あ~これはもう東京についていこう、と決めて

塾講師の仕事を辞めました。

彼の両親としては、二人に距離を置かせて

熱を冷まさせよう、と言う意図もあったようですが

私の両親は

「彼について行きなさい」と

快く東京に送り出してくれました。

こうして、強硬手段でしたが

東京での二人の新居も決まり、家具も揃えて

やっとずっと一緒にいることができる~

と幸せに浸かっていたのですが

結局、その幸せが続いたのは、3ヶ月ほどでした。

そんな中途半端に同棲するなら、けじめをつけなさいと

ということで、彼の両親も諦めて

結婚に向けての話が進んで

私は、福岡に一時戻って、結納を行いました。

その後、結婚式についての話があり

国内のお客様向けと、海外のお客様向けの2回の

披露宴をする必要があるなど、彼の親からの要望があり

私は、もともと結婚式もやりたくない人だったので

次第に、気が重くなってきました。

結納も、これさえ我慢すれば、と思ってやったけど

結婚式もそうだろうし

多分、結婚した後も

「これさえ我慢すれば」が続くのかもしれないと。

私は、ずっとこれからの人生で

自由に生きることができなくなるのかもしれない、と。

なぜ、あの時、そんな決断をしたのか

その後、長い間、私にはわからなかったのですが

ある時、私は電話で

「結婚をやめたい」と言うことを

彼に伝えました。

そこで気づいたのは、私が彼との両親との関係で
疲れていたのと同時に

彼も、私と彼の両親の間に入って頑張ることに

もう疲れていたということでした。

彼は

「それがのりこに取って幸せなんだね。

わかった。辛いけど受け入れるよ」

そう言って、同意してくれました。

その言葉を聞きながら、私は悲しみで一杯になり

その後、すぐに

「一人でニューヨークに戻って

もう一度、やり直してみよう」と

言う気持ちになっていました。

後から思うと、かなり衝動的な選択だったのですが

でも、一方で、魂の選択でもあったのだなあと

今は思います。

東京での新居を引き払って

ニューヨークへ行く便に空港まで

見送りに来てくれた、Fちゃんと別れた後

飛行機の中で

「きっと、これ以上に、悲しい事は

もう二度と私の人生に起こらないだろうな」

とワンワン泣きました。

こうして、2年ぶりに、再び、ニューヨークに

戻ってくることになりました。

この2年間の日本での滞在の間に

私はストレスで、いつの間にか

10キロほど痩せてしまっていて

ニューヨークの友人たちが、そんな私を暖かく

迎え入れてくれました。

ちょうど、昨日も、くれちゃんの釣った魚を

ご馳走になりながら、その時の話をしたのですが

持つべきものは、失恋した後、慰めてくれる友人だな~

といつも思います🤣

私は、ニューヨークに戻って、お金もなかったので

とりあえず、仕事を見つけようと

レストランのウェイトレスのバイトを見つけました。

そして、Fちゃんに電話して

「レストランのバイトが見つかったんだよ~」

と報告をしたのですが

それを聞いたFちゃんは、喜んでくれるのではなく

「そんな仕事をさせるために

俺は、こんな辛い思いをして別れたんじゃない。

いますぐ、日本に戻ってこい。

後の事は、俺が何とかするから」

そう言って泣いているのを聞いて

胸が締め付けられるような気持ちになり

すぐに日本に戻ろうか、と思いました。

でも、私は戻りませんでした。

あれだけ彼のことを愛していたのに

そして愛されていたのに

なぜ私は、その愛よりも、自由に生きることを選んだのか

その後、振り返った時にも、よくわからなかったのですが

とにかく、私は日本に戻らずに、このニューヨークで

一人で生きることを選択したのでした。

本当の意味で、ショックを受けたのは

それから何ヶ月後かに

彼がお見合いをして結婚することを決めた

ということを聞いた時でした。

ああ、私は、まだ完全に諦めていたわけじゃなく

いつか、時が来たら、また彼のところに

戻りたい、戻れると思っていた

と言うことに、改めて気づきました。

ずっと後で、彼から

「のりこが去った後

もう悲しみでどうしようもなくて

全てがどうでも良くなり、それなら、もう
親の言う通りの結婚をしようと決めたんだ」

と伝えてくれましたが

その彼の気持ちは聞かなくても、わかっていたし

全ては私が決めたことで

彼に辛い思いをさせてしまったのは私なので

彼を責める気持ちにはなりませんでした。

そのかわりに、深い後悔の日々でした。

私は、生きる気力のようなものを失い

時々襲ってくる虚無感や孤独感を

紛らわすために、友人や知り合いと

酒を飲んで、その場は楽しく過ごしましたが

心が本当に満たされる事はありませんでした。

冥王星遺伝の性質に「過去の選択を後悔する」

と言うのがあるのですが

私は、それまでの人生で一度も
自分の選択に後悔した事はなく

あれだけ、気持ちを切り替えることが
早い人だったのにも関わらず、
この時は、彼との結婚を選択しなかったこと
日本を離れたことへの

後悔はなかなか消えることがなく

「彼を本当に愛していたのなら

彼の両親がどうであろうが

私は、そばを離れるべきではなかったのに。

こんな悲しみや寂しさを感じることになるのなら

少々、自由さはなかったとしても

彼との結婚を選択すれば良かったのに」

という想いや考えから

離れることができませんでした。

そんな私の精神状態がそのまま現実化するかのように

私は仕事を首になったり

急性胃炎で倒れて、救急車で運ばれたり

よくないことが、立て続けに起こりました。

そして、二度目の交通事故に会うことになります。

(ニューヨークで、救急車に3回も乗ることになるという😅)

その事故の事は、以前にも書いたのですが

ひき逃げで、私はまともに車に引かれ

道路に叩きつけられました。

その一瞬の間、本当に走馬灯のように

彼のことを思い出し

「ああ、私はこの最後を迎えるために

彼と別れてニューヨークに戻ってきたのか」

という思いがよぎりました。

でも、不思議なことに

意識を失って、目覚めた後、私は

「あ、まだ生きている。私は生かされた」

という感覚があって、なぜか

悲しみや辛さはなかったのです。

この交通事故は

私の人生を変えるために起こったメッセージのように

感じて、どこかで感謝の気持ちさえ湧いていました。

その日を境に

毎日、後悔して、自暴自棄になって

ただ日々をやり過ごして、生きることをやめよう

と決めました。

もう死んでしまいたい、とさえ思っていた私が

絶対絶命の交通事故にあって

こうして、天から命を与えれたのだから、

きっと、何かこれから

私がここでやるべきこと

やりたいことがあるのだろうなと。

音楽以外は、特にこれをやりたい、と言うのは

なかったのですが

なぜか、その交通事故の直後から

量子力学や宇宙の本を読み始めたのも不思議です。

こうして、この交通事故が、本当の意味で

Fちゃんとの恋愛が終わる節目となったのだなあと。

今はもう亡くなってしまったけど

私とFちゃんの結婚式の仲人をするはずだった

Kさんという方がいて

Kさんは、Fちゃんのご両親も会社のこともよく

知っている人で、昔は、よくFちゃんとKさんと

3人で飲みに行っていたんですが

その方が、この時期にニューヨークに出張に来た時に

「のりこの選択は、全て良かった。

Fちゃんを愛し、結婚を決めて、日本に戻ったことも。

そして、結婚をやめて、ニューヨークにまた

戻ってきたことも。

例え結婚したとしても、のりこは、きっと

あの家庭には収まりきれなかっただろう。

のりこは、そういう女なのだから」

と言ってくれて、泣きました。

その言葉は、今思うとまるで、アセンテッドマスターからの

メッセージのようだなあと。

その頃は、高次元のマスターとの繋がりなんて
考えたこともなかったですが

私は、他の人の口を通じて
その言葉を聞いていたのかもしれません。


ということで、今回、ペレに言われて
カルマリリースをしたことで

高校の時との恋愛と同じように

Fちゃんとの恋愛は、カルマとリンクして

「愛し合っていても、いろんな状況や環境で、結ばれない」

という現実を、今生で体験していたことがわかったし

また、私は、当時

「私は愛より、自由に生きることを選択した」

という思いが強かったので

つまりは「愛と自由は両立しないもの」

として、無意識に刻まれていました。

ということで、

ここから、私の第2の人生がスタートしました。

(今は、第何番目の人生なのか~🤣)

また長くなった~

読んでくださって、ありがとう🙏

あ~ここからは

主に離婚したパートナーとのことになるので

これを読んでいる方の中には

直接彼のことを知っている人もいるので

どう書いたらいいのか、まだよくわからず。

もしかすると、とりあえず、ここまでになるかも。






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最終更新日  2023年06月05日 04時28分39秒
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