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カテゴリ:ギリシャ&トルコ&マルタ
トルコに来て15日目 この日が、ボブとの旅の最終日でした。 クシャダスから、ボドルムまでは 車で約2時間。 最後の日は、AirB&Bで借りたマリーナ沿いの 2ベッドルームの家に1泊しました。 ここは、立地的にはマリーナまで歩いて数分で よかったですが 家自体は、不要なものが多くて かなり浄化が必要でした。 夕食は、マリーナ沿いのレストランに行こうと 夕方出かけたのですが ボブは、この最終日、この旅のために買ったという ピカピカの新しい革靴と 白いシャツとスラックスで バッチリ決めていました。 「おー、今日は、別人みたいだね」 と私が言うと、嬉しそう。 マリーナでのサンセット。
眺めの良いレストランに入って 夕食を取りました。 さて、もともと 私は、9日の14時30分の飛行機で イスランブールに向かい そこで乗り換えでアテネへ ボブは、20時の飛行機で イスタンブール に向かい、そこで乗り換えて エジプトに戻る予定だったので ボドルムの空港でお別れする予定でした。 なので、最初、トルコに来たばかりの頃、彼は 「帰りの便がイスタンブールまで 君と一緒の飛行機だったらいいのに」 と何度も言っていたのですが 結局、その後、9日のボブの便が キャンセルになってしまい 振替は、8日か10日になるとエージェントから 連絡があって、彼はショックを受けていたのですが その数日後ぐらいに 彼が私に 「イシスやホルスに どうやって祈ったらいいのか、教えて欲しい」 と聞いてきたことがありました。 「何かスムーズに行かないことがあった時に いちいち、心配したり、うろたえたりしないこと。 自分にとって悪い事は起こらない ということを信頼して 安心して、リラックスしていること。 その上で、ホルスにお願いするんだよ。 心配しながらお願いしてもダメなのよ。 宇宙を信頼すること。 これがAbundanceを受けとる方法なの」 と伝えたのですが 何と、彼は、英語は流暢に話すのに Abundanceという言葉を知らなかったのです。 「大切な言葉だから、翻訳して 意味を理解して」 と言ったのですが 彼がAbundanceをアラビア語に翻訳すると 「何でも買えるお金があること」 と出てきたらしく 「違う、違う、Abundanceは そんな意味じゃないの。 今、お金を持っているか、いないかには 関係ないの」 と伝えて、豊かさの意味を説明したものの なかなか、彼がその意味を理解するのは難しく。 「お金がないのに、どうやって 安心すればいいんだ?」 となってしまうので 言葉は、ただ言語としてではなく それを理解するための経験や気づきに その本質は理解できないのだと言うことを 改めて思いました。 ところが、結局 ボブのキャンセルされた便の 振替になったのは 私と同じ9日の14時30分の同じ便 だったのです。 その知らせがエージェントからきた時 「わ!~~すごい! のりこと同じ飛行機に乗りたい という夢が叶った! ホルスが叶えてくれた!」 と大喜びするボブ。 「ね?言ったでしょ? 心配しなくていいんだってこと。 これが宇宙のAbundanceを受け取るって ことなの」と私。 もちろん、彼が本当の意味でAbundanceを 理解したわけではないけれど 彼にとっては、奇跡の出来事だったのでした。 (実際は、日本人もAbundanceを 理解していない人が多いのかもだけど) ということで 私たちは、次の日の朝 二人でボドルムの空港に向かい 一緒の便で、イスタンブールに着きました。 彼が(来年、私がエジプトに行く時に) 「ルクソールだけでなく 砂漠のオアシスなどエジプトの素晴らしい場所を あちこち案内したい、 僕は車の中で寝てもいいから」 というので 「車で寝てもらうような事はしないけれど あくまでもドライバー&友人としてなら (エジプト内で一緒に旅するのは) ありかもしれない」と 彼に伝えました。 「君が僕のことをどう思っても 僕は、エジプトに戻ってから ホルス神殿に行って、祈りを捧げて もっと日本のことを勉強して 毎日、箸の練習をするんだ」 (この旅の間、箸の使い方を教えたので) もし、この旅が彼にとって 何らかの新しい可能性を開くきっかけに なったら、最高に嬉しいことだけれど 例え、これからどうなるにしても 本当にいろんな意味で 彼との旅を選択してよかったです。 全く違う文化や環境の中にいる人との 旅で、私の自然に持っていた先入観や 価値観も改めて知ることにもなりました。 旅の中で、宗教についての話もしました。 「日本には、主に 神道と仏教の二つがあるけれど 神道は、いろんな神様がいるので 一つの神様しか信じない、と言う 一神教のあり方は、私たちには馴染みがないの。 一神教は、正しい間違いの二元性を生み出し 私にとっては、古代エジプトの神々も キリストも日本の神々も皆 その存在を信じているのよ」 「そして、多くの日本人にとって 特にイスラム教の印象は悪いの。 中東での戦争、異教徒は殺してもいいと言う教え 女性への軽視など イスラム教は怖いと言うイメージがあるの」 そんなことを彼に話したのですが ボブは 「うん、世界の多くの人たちが イスラム教の対する印象が悪い事は知っている。 でも、彼ら(IS、イスラム過激派組織) は本当のイスラム教の教えではないんだ。 彼らは、裏でお金で動いているだけなんだよ。 コーランでは、暴力を振るうことも 人に何かを押し付けることも禁じている。 殺すなんて、もってのほかだ。 女性に暴力を振るう人たちは コーランを理解していないし 僕の家には、いろんな人を食事に招くけど キリスト教も他の宗教でもいろんな人がいるし それぞれ何を信仰していても自由なんだよ」 多分、イスラム教と一言で言っても 地域や国によって いろんな解釈や関わり方があるのでしょう。 イスラム教では、偶像崇拝と多神教を 強く禁じていると何かで読んだのですが ボブの場合は、私から聞いた後 ホルスに祈ってみたりするわけで さらに、彼は、実際、エジプトに戻ってから すぐにホルス神殿へ行っていて なぜか、ホルスやイシスの置物を買ってきて 私と彼の写真を入れたフレームの周りに 置物を飾っている写真を送ってきたのです。 あ~これを偶像崇拝とは とは言え、その宗教との関わりの中で 家族との関わり方があるということも 今回、わかった部分がありました。 特に家族との関わりは、すごく強いので
メールを頂きました。 その方は、海外在住なのですが 彼女が住んでいる国ではない 他の国のイスラム教の男性と恋に落ち 押し切られる形で、結婚し 自分の国で一緒に暮らしたそうなのですが 2年で離婚になったとのこと。 了承を頂いたので、彼女からのメールの一部を その経験そのものも十分辛かったのですが 自分の中で、自分が理解できず 長いこと苦しんでいました。 押し切られるような形で、とはいえ 結婚してもいいかなと思うくらいには 相手のことを魅力的だと思っていたのにも関わらず どうしてその感情が 数ヶ月後には一切消え去ってしまったのか。 こののりこさんのブログを読んで 改めて思い当たるものがありました。 私は、彼のお金に対する意識のあり方が 嫌でたまらなかったのです。 私から見ると、彼は、自己顕示欲と お金に対する渇望と、貧困意識とが 複雑に絡み合った存在で お金持ちに見せるために嘘をついたり かと思えば、買い物をするときに値切らなかったから と言って怒ったり そんな彼への対応に疲れたと言うよりは そんな彼のあり方に憤慨し そんな人と結婚した自分を責め、傷つき 彼と結婚したことで周りを失望させたり 心配させたりした自分を許せずにいました。 自分の「人を見る目のなさ」にも 長いこと失望していたのですが お金とカルマのことを読んで あれは必ずしも彼のパーソナリティだけじゃなくて 彼の生まれた文化や国のカルマのせいなんだなあって 思いました。 なんと言うか、回り回ってやっと 自分を許すことができそうな気がしています。 私は、結婚という形をとることで 誰かに「守られたかった」んだなあって 改めて思いました。
辛さが痛いほど伝わってきました。 自分の「人の見る目のなさ」 まさに、私自身も、つい先日 元夫の記事を読んだ時に 実感したわけですが、それは つまりは、自分の人生の選択に 失望することなので とても辛いことなんですよね。 そして、彼女の傷が解放に向かうきっかけに この私のブログがなったとしたら 私の旅は、私だけの旅ではなく いろんな人の気づきや学びとともに あるのだということを 改めて感じることができて 彼女の言われる通り その人のパーソナリティというより 生まれたところの文化や人種として 抱えているものの影響は、とても大きく それは、もうカルマと言えるし その相手を選んだ自分自身も 学ぶ必要のあったプロセスであり カルマでもあったわけなのです。 だから、最終的には 相手も、そして、自分自身も許すことが 大切だなと。 彼女の話を読んで思ったのは もし、私が、この旅の中で 彼とのカルマリリースを行わなかったら 彼の情熱に押されていた可能性も あったのかもしれなあと。 そうしたら、間違いなく 私は苦労をすることになったのでしょう。 ボブの場合は、自己顕示欲みたいなものは ほとんどないのは、幸いでした。 むしろ、なさすぎというのか 彼は、最初から、彼の月収も 教えてくれていたし 例えば、ボドルムで知り合った お金持ちそうなカップルに対しても 「自分はエジプトでドライバーをしていて この旅は、のりこが叶えてくれたんだ」 とか、何でもありのままに話すような人なので その点ではよかったのですが ただ、貧困意識は、当然のように ありました。 例えば トルコで初日に入ったレストランで ウェイターがパンを持ってきて 「バターはいりますか?』 と私たちに聞いた時 ボブは 「そのバターは有料ですか?』 とウェイターに聞くのです。 後から 「普通は、バターとかチャージしないけれど 万が一、チャージされても、微々たるものなのだから そんなこといちいち聞かなくていいのよ」 と彼に言ったのですが あ~これは、きっと面倒くさいことになるだろうなあと 初日に思ったのでした。 それは、決して彼が悪いわけではないし 彼の環境から生まれている認識であって ただ違うというだけのこと。 でも、それがあまりにも違えば 相手のことを理解する事はできても 守られる感覚にはならないわけです。 結婚=守られること ではない事は 多くの女性が実感していることでしょう。 結婚する前に、守られていなければ 結婚しても、守られる事は難しいです。 その守られているという感覚が どういう部分で感じるのかは 人それぞれ違うことであるけれど 私の場合は、その人の持っている 「許容範囲の広さ」みたいなものが 大きいのだなあと 今回の旅を通じて、改めて感じました。 だから、お金による制限や先入観
この歳になっても 女性として愛される体験をしたことは また、恋愛において最も大切なことである 性のことも 彼との出会いがあったことで 私にとっての新たな発見と喜びに 繋がりました。 (彼とのセックスという意味ではなく) その性の話は、また別の時に書くとして😉 自分が苦労したり、大変な思いをすることで この旅を通じて 男性性と女性性のバランスを伝えてくれた
私は一人で、アテネに来ています。 そのお話はまた~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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