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カテゴリ:つれづれ
先日、私の甥っ子9歳と Mちゃんの娘が 仲良くぬいぐるみを持って写っている 2ショット写真を 義理の妹、Yちゃんが送ってきてくれました。 Mちゃんは、多次元のキネシオロジストで 私にとって、妹みたいな存在 そして、Yちゃんは、もはや血の繋がった妹。 その二人が、最近仲良くなって それぞれの子供が1歳違いなので 一緒にお出かけして お揃いのぬいぐるみを買ったのだそう。 めっちゃ可愛くて それを見ているだけで、癒されるのですが Yちゃん曰く、家に戻った後 甥っ子がYちゃんに 『僕がぬいぐるみを好きって 二人(Mちゃんとその娘)に言ってて くれてありがとう。 おかげで、かっこつけずに過ごせて めちゃくちゃ楽しかった」 と言ったのだそう。 ママにそんなことのお礼を伝えるなんて なんと可愛いの、と思うと同時に ってことは、甥っ子の周りで 「男の子がぬいぐるみを好きなんて かっこ悪いこと」という認識があって それに合わせることは楽しくない 自分が自然体でいられないことは 楽しくない、とちゃんと とてもいいなと思うし できれば、これから周りがどうであれ 好きなものは好きだと言えるように 育って欲しいなあと。 周りの意向に合わせる、ということを 日本の子供たちは いつの間にか、自然とやっているんですよね。 これは、日本人の持っている遺伝的な性質でもあって マーカビアン、ゼータレチクル系の遺伝は 「周りに合わせる」「物わかりがいい」 「上から言われたことに従う」 という性質を持っている遺伝で 私も、もちろん、この遺伝は持っていたわけですが そこまでこの性質が活性化してなかったのは きっと、母の影響が大きいのだなあと 最近、何人かのマーカビアン、ゼータ系遺伝調整の 例えば、私は、昔から重いカバンがダメで 革の小さなクロスボディのバックは たまに使いますが 普段は、バックすら持ち歩かない状態です。 で、思い出すと、小学校1年生に 赤いランドセルを買ってもらったものの 「重いから持ちたくない」 と母に言ったら 母は、教科書を入れる布のバックを 私はクラスの中で、一人だけ ランドセル持っていかなかったのです。 普通だったら 「せっかく買ったのだから使いなさい」 とか 「みんなが持っているのだから とか言われそうだけど 母は、そんな風に周りに合わせることは 言いませんでした。 他に思い出すのは、小学校の頃の 女の子の黒いブルマーも嫌いで 一人だけ、短パンを履いてました。 周りに合わせる必要を 子供の頃から感じていなかったのは そういう母の受け入れが あったからなんだなあと、 だから、社会人になって 問題児となるわけで😅 例えば、会社に入って、オフィスで 帽子をかぶっていて 上司に「室内では帽子を脱ぎなさい」 と言われた時に 「帽子も服の一部ですから」 と脱ごうとしなかったり 色々とトラブルを引き起こしていました。 今、思えば 「帽子ぐらい脱げよ」という話なのですが 私が若い頃に、日本を離れたかった理由の一つは この周りに合わせる風潮が 当時の私には合わなかったことも 大きいように思います。 日本からニューヨークに来て 長く住んでいる人のほとんどは 周りに合わせることができない人たちと 言えるのかも🤣 だから、ニューヨークに住むのが 楽に感じるわけなんです。 でも、今となっては 何をしようが、自由なわけで 私は人に合わせるマーカアビアンや ゼータレチクル系の遺伝は持ってないので 周りがどうであれ、息苦しく感じることは もうないんじゃないかなと。 暮らしてみないとわかりませんが。 そんなことを感じているこの頃です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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