思考と意味付け
NYは、今日は雪でした今年も残すところ、あと20日。ここ1週間ほど、家からほとんど出ないで、朝から夜までキネシ三昧です。師走、と言っても、ほとんどセッションルームの中で立ちっぱなしで筋反射取っているだけなので年末だから忙しい〜〜という感はないのですけどねでも、この日々のセッションを通じて、様々な出会いや再会がありそして、それぞれの人生の物語を一緒に読み解きながら感動したり、共鳴することができて、今年も最高だったなあとしみじみ感じています。さて、いろいろとお話したいことはあるのですが今日は思考のお話を。先日の修のプログに「今日もバッタバッタとマインドをたたき切る、侍ヒーラーのりこ」などと書かれてありましたがこの超やさしいヒーラーを捕まえて、侍ヒーラーだなんて人聞きが悪いじゃないのよ〜とつっこみつつ今日もクライアントさんのマインドをたたききるもとい、マインドとやさしく対話している私ですいやはやマインド(思考)っていうやつは、ほんと困ったものです。あれこれ思考を働かせて出てくるものと言ったら「こうなってああなったら、どうしよう?」「やっぱり自分にはこれは向いてないんじゃない?』「きっとこれはまだ私には無理」などというもののオンパレード。それでも、その思考が問題だ、と自分自身で気づかれている方はある程度、内観できているということですが思考と同化してしまっている方もけっこう多いです。例えば、キネシオロジーのセッションをやっていて私が筋反射で反応した言葉をその方に伝えると「ああ、確かに、いつもどこかでそういう風に思っています」などという答えが返ってくることが多いのですがでも、セッションの前に「そういう風に思ってしまうことが問題なんです」と言われる人は少ないのです。つまり、思考に自分自身が同化してしまっていてそれは思考である、自分は今、そういう風に考えているのだということには気づいていないわけです。思考型の方は、つねに思考が働いている状態でいますから思考を客観的に見る、ということができない状態になっています。例えば「何かを決断するために、十分に検討し、考えなければならない」と潜在的に感じている人はいつも思考を働かせることになります。私たちの人生は選択の連続であってあらゆる瞬間に何かを選択していっているわけですがそれを考えて(思考で)選択しようとすると「いや、これはこの点ではいいけれどこの点ではこちらの方がいいしでも、こちらはやっぱりこの点ではいいし」などと思考を働かせれば働かせるほど、選択できなくなってゆくのです。決断は左脳の作用、選択は右脳の作用と言われていますが実際、本当に自分にとって大切な道を選択するのは自分の内なる感覚に従うしかないのです。ですが「考えて」選択しようとすればなかなか決断できない、行動できないということになりがちです。例えば、過去に自分が不用意に使った言葉で、相手を怒らせてしまったなどという経験があると次から(相手を怒らせないように)よく考えてから発言しなければ、という安全装置が働きます。その安全装置が、思考の正体。次からは失敗しないように、と常にあれこれと思考を働かせるようになります。つまり、思考ーマインドの基本は恐れ。例えば「私はヒーラーとして向いてないのではないか?」という概念があったとしてヒーラーとして向いていないと思われる理由を過去の様々な自分の経験や他の人から聞いた話などからマインドは次から次から出してきます。そして、それがまるで真実であるかのように感じてしまうわけです。そして、その恐れによって、さらに思考は意味付けをしようとします。例えば「私がヒーリングをすることに意味はあるのだろうか?」とかはたまた『すべては完璧だと言うけれど、それならヒーリング自体に何の意味があるのだろうか?』などと、自分の経験、これまで聞いた話などと照らし合わせながら「正解」を見いだそうとマインドは休むことなく、あれこれと働き続けます。そうすると、どんどんどつぼにはまっていって全く意味のない意味づけになってゆくのです。この何か現象や行動についての意味付けをする、というのも思考の得意技です。それは、意味がないことをやりたくない、間違った選択をしたくないという恐れから起こります。あらゆる事象に意味づけしようする方もよくいます。例えば「すべては完璧である、ならばなぜヒーリングをしなければならないのですか?」とか「『あなたはそのままでいい』ということと『変化を受け入れること』は矛盾しているように思うのですが」などというご質問を受けるのですが「(この時に)ヒーリングを受けて潜在意識を変化させる」というプロセスも含めて、完璧なのです。「ありのまま」というのは、変化も含めてすべてということであって何一つ変化しない、ということではありません。(もっとも、ある次元では何一つ変化しないのですが)でも、いくら「すべては完璧である」という状態を頭で考えてみたところで、その感覚を持っていなければ意味付けすることで、それは制限になってゆきます。ということで、ここで話は変わりますが私は、人に説明する際に、わかりやすく説明するために潜在意識、顕在意識、思考、魂、などの言葉を使っていますがもともと、言葉にはできないものを言葉に変換して説明しているわけですから実際は、そういう風に 区切られているわけではありません。例えば「潜在意識」と言っても、人それぞれの定義は違ってきます。ですから、ここを明確にしておく必要があるかもしれませんが私にとって「思考」というのは気づいていること(顕在意識)も気づいていないこと(潜在意識)も含めて脳で作り出している概念のことを言います。でも、潜在意識というのは、思考だけでなく、感情も含めたエネルギーであって、脳にあるわけではありません。では、潜在意識はどこにあるか?ということですが実際は、身体を含めた私たちのエネルギー体に存在しています。感情的なものなら、アストラル体に精神的なものなら、メンタル体にというある傾向はありますが、必ずしもそうではなく感情的なものが肉体に宿っていることもあります。その何らかの滞っているエネルギーが最初に起こりそして次にそのエネルギーに基づいた脳のプロセス(思考)が生まれます。ですから、ヒーリングのセッションで、潜在意識の感情的なものやエネルギーを変化させるだけでは不十分なことが多いのです。ある一定のエネルギーが溜まれば脳のプロセスはパターン化してしまって例え、もともとあったエネルギーを変化させても同じ思考プロセスを行うようになるからです。いろんなヒーリングを受けてきて、それなりに変化はしているけれどいつも同じような思考に陥ってしまう人は、脳のプロセスそのものを変化させる必要があります。子供の場合、セッション後にすぐに変化するのはそこまでエネルギーが溜まっていないのでまだ脳のプロセスとして確定(パターン化)していないからです。そのことに気づいてから、私のセッションは例え、どんな問題に関しての調整であっても脳の調整が多くなっています。ということで、話は戻りますが大切なことは、何かの事象に意味づけしようとしないこと。食事をすることの意味をあれこれ考えても意味がないようにヒーリングをすることやダンスすることや自分のやりたいことの目的や意味をあれこれ考えても意味はないのです。もちろん、ヒーリングを受ける側は病気を癒したいとか、彼との愛を深めたいとかコミュニケーション力を高めたいとか経済的な豊かさを実現したい、など人それぞれヒーリングを受ける目的はあっていいのですが(目的がなくてもいいのです)私自身は、基本的にこの仕事が最高に楽しいからやっています。もちろん、プロとしてやっていくにはある程度、確実な効果をあげていく必要性は出てきますがそれでも結果に関わらず、それを行うことそのものに喜びがなければ情熱は湧いてきません。過去の私もそうでしたが何かやりたいことがあるのに、それに向けての情熱がない人は「何かのためにこれをやらなければ」という目的意識や、そこに意味付けをしていることが多いです。例えば、ヒーリングを行う目的として世界の平和のために、とかみんなが幸せになるために、とかヒーリングが必要ない世界にするために、など目標を設定すれば、そこに隠れている意識は「今では不十分だ」という欠乏感であり、渇望ですからそれらは必ず、限界を生み出してゆくのです。すべてのものは、ただそこにあるべくして存在しています。彼を好きな理由を考えなくても、好きなものは好きでいいしダンスをする理由を考えなくても、踊りたいから踊るでいいし自分の人生の目的や意味を考える必要もないのです。設定した目標に向かってやってゆくという時代はさらに終わりを告げるように思います。これからは「目標達成型人生」ではなく今、この瞬間瞬間を最大限に楽しむ、だけですね。私にとっては、こうやって日記をアップしている時間もまた最高に楽し♪です。ということで、みなさま暖かくしてお過ごしくださいませ〜