運命を生きる
今夜は、翔平くんの投手として登板の日です。げんを担ぐというのは、アメリカ人にもあるんですね。エンジェルズの実況スレで「自分がトイレに行くと、翔平がホームラン打つ」というようなコメントがあれrば周りの人たちが、「君は、ずっとトイレに行っていてくれ」とか言ってるしエンゼルズが劇的勝利を治めたら「わかってるな。俺たちは、明日も、試合前に今日と全く同じことをやるんだ」とかコメントがあって、笑ってしまうのですがその気持ち、すごくわかるわ~。翔平くんがどんな活躍をするのか勝つのか負けるのかこれは、もうすでに決まっている運命なのだと思わないと、リアルタイムで見ているのは本当、緊張します。胸がドキドキの緊張ではなくて身体に力が入ってしまう感じの緊張感。自分のことで、こんなに緊張することってほとんどないのにね〜。ということで、今日は、運命について、たらたら話してみようかと。よく運命は変えられるのか、つまり、自由意志があるのかそれとも、運命は変えられないもので私たちの自由意志はないのか?と言った問いがあります。私が感じていたことはこれは、どちらも正解と言えるなあということ。例えば、何かを変えたいと努力して自らの運命を切り開いた人は自由意志でそうなったとも言えるし努力するという才能も含めて、与えられた運命だったとも言えるわけですから。先日、私が気づいたように自分がやりたいことを努力することができるというのは、実は魂の声を受け取っていないとできないことなのでもうそれ自体が、才能とも言えるし運命と言えるのだなと。例えば、翔平くんは、才能に恵まれていてさらに努力もすごいというように、才能と努力を分けて考えてしまいがちですが実際は、魂の声を聞くという才能があるから努力することができるわけであれだけ努力することができるというのが、すでに才能であってその才能を与えられた彼の運命の道なんですね。だから、運命は、魂の選ぶ道なんだなあと。そして、私たちは、魂の道に従うことができるかどうか。何回か前のユニバーサルリトリートの中で対面リーディングを受けた方へマスターから伝えられたメッセージの中でこんなものがありました。これは、彼女に与えられたメッセージだけれど普遍的なメッセージだと思います。宿命とは私達が生まれついた人生のことです。そして、そのカルマを手放す選択をする自由さを与えられました。それが、運命です。運命とは私たちの魂が選んだ人生のことです。私たちには自由意志があります。この瞬間は私達が同意する時だけ、運命になります。運命に従うためには勇気と信念が必要です。すでに用意された道を進むか新たな道を切り開いていくかです。あなたは宿命ではなく運命の人生を歩むことを選ぶのです。それはあなたの魂の呼びかけに応えて生きることです。なるほど~。宿命は変えられない生まれ持ったもの運命は自由意志で変わってゆくもの。でも、その魂の道を選ぶには、勇気と信念が必要で最初から、その勇気と信念を持ってない人は選ぶことができないのだから結果、運命を生きることはできずすでに用意された道に進んでゆくのだなあと思うわけです。今回のユニバーサルリトリートで対面リーディングを行ってきましたが前回のリトリートで行った匿名でのリーディングと圧倒的に違うと感じていることはこの運命に関わっている自由意志の力でした。みんなの前に顔を出して自分の問題をさらけ出すことは自分を変えたいという強い信念と勇気がないとなかなかできないことであってだからこそ、宿命を超えて、魂の道に生きる道が開かれてゆくのだなあと。そして、またその対面リーディングに選ばれるというのも運命と言えるわけです。ということで。。。あなたは今、あなたの運命を生きていますか?どちらにしても。今日も、ここに来て、このブログを読むという運命を選んでくれてありがとう〜(そう。ここに来るのは、あなたの運命なのです)←いよいよやばい人になってきた今夜、翔平くんの試合をリアルタイムで見るということだけは、今の私にわかっている未来の運命です