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テーマ:大河ドラマ『天地人』(392)
カテゴリ:日本史
久しぶりにまともにNHKの大河ドラマ 『天地人』を見ました いわゆる、《限界視聴領域》ということばの下に 年明けから3~4回くらいしか見られなかった我が家 今回も突っ込みドコロは有りまくりで BGMが時代劇に相応しくなかったり、 月代無しの髪形が変とか、 昔の女性は日本であれ、外国であれ りっぱな家名を持つ『家』であれば
国や家のために嫁して子供を作らなくてはならなかったとか、 時代劇や日本の歴史にあまり詳しくない私でさえ眼が回りました 今まで放映していた大河ドラマでぼろくそに貶していた 『女太閤記』でさえ、素晴らしく見えるほどです 他の皆さんもたくさん書いていると思うので、 一応、私的見解の下に…… 華道について 仏教伝来とともに仏前に手向ける供花からと言われている。 華道としては室町時代中期 京都六角堂の僧侶により確立された。(→池坊) 華道の隆盛は江戸時代後期、文化文政の頃の 生け花を指すことが多い。 ただ、大きな花瓶に投げ入れの生け花があったか不明だし、 『極楽鳥花』と呼ばれるストレチアの花が戦国時代に 日本に伝わっていたかは、著しく不明。 ストレチアは、今回 ドラマ内で活けられていたのではなく、 前回に活けられていた模様 原産国は南アフリカ。 高知県では昭和27年から栽培されているそうです。 茶道について 唐の陸羽(7~8世紀)の「茶経」に詳しく書かれている 日本で言う茶道は、千利休の広めたわび茶から。 確立は安土桃山時代。 堺の商人の出である千利休のわび茶は武士階級にも広まった。 江戸時代初期までの茶の湯人口は大名・豪商が中心だったが、 江戸中期には町人階級まで広まって、弟子入りする者も増えた。 茶道具は当初、朝鮮や中国の食器の中から選んだ物を珍重していた。 千利休や他の茶人が認めた茶道具を 「~好み」として、付加価値を付けていた。 そういった物を弟子である武士や大名に贈っていたことも あるので、価値が変動した。 今日 ドラマ内で使用していた茶器は高麗茶碗かな~ 修行不足で萩茶碗に見えたりしましたが、 萩焼はまだできていないので、きっと高麗茶碗でしょう 近代においても、益子焼(バーナード・リーチ、濱田庄司等活動)の 価値が茶道具によって変化したのに驚く。 茶道(表千家)には花所望という点前があり、 花を選び生けることもあるので、華道にも関係しているように思う。 ※ドラマ後「天地人紀行」 茶道具を見せていたが、 今は夏(5月初~10月末)なので、風炉点前のお道具の方が 季節感に合っていたように思います 今日画面に出ていたのは、冬点前の炉でしたから お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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