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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
普通に子育てしてきたであろう人(あくまでも私の主観です。それぞれに苦労はあるの でしょうけど。。。)の、善意の一言ほど心に突き刺さる言葉はない。 「~したから~になる」「子どもは励まさないと伸びない」「親が諦めちゃだめ」 正論こそすべてと素直に信じている人たち。私がひねくれているだけなのかしら~ 無邪気な頃にはもう戻れないのかな?そういうことを聞くと出るのはため息だけなの。 その人には悪気はない。悪意じゃない。よかれと思って言ってくれているのはわかる。 ただ知らないだけ、気がつかないだけなんですよね~ 何もかもに絶望して、動けなくなってしまった子どもを、見た事がないだけ。。。 励ましの言葉も、善意からの言葉も、上滑りしていくことがあるんですよ。 ただ生きているだけで精一杯のこともあるんですよ。それだけですごいことなんですよ 私たちはそんな子どもを、ずっと見てきたの。そんな時は頑張らなくてもいいんです。 辛いと私が思うのはそういうことを経験したからといって、胸を張ってプラスになった とは言えないこと。自分の中ではそう思っても、なかなか人には理解はされないこと。 耐性は出来たと思う。子どもの気持ちを思いやるということも、出来てきたと思う。 でも、子どもがよりよく生きていくことを、諦めざるを得なかった。 (より良くはあくまでも私の基準で、子どもがどう思っているかは、わかりませんが) 子どもを励ますことが怖かった。また絶望するのを、見たくなかったからかな? それは親の我欲なのかしら。それは本当に子どものためになっていたのかしら? 今でも時々わからなくなる時がある。それでいいのかなって自分に問いかける時が~ やはり、ありのままのそのままの子どもを受けいれる、「無条件の受容」なのでしょう ね~いきつくところは。。。 お盆に親類が帰っていて、少し心乱されることがありました。 自分の中でおさめようと思ったけど、おさまり切れず書いてしまった。 でも書いてみたらスッキリしました。読んでいただいてありがとうございます~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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