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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
放っておいたさつま芋から芽が出たので植えてみました 結局のところこれが一番簡単なようでいて、一番難しいんじゃないかと私は思います。 なまけもので、だらだらしていて、非生産的で、何も役に立っていないように思えて、 どうしようもなく悲観的になる時もあって、これと言って目標らしき目標もないと思っ ている自分でも、自分はそのままの自分でいいと思えたら、人間はすごく楽になるんじ ゃないかしら~本当に心からそう思えたら~ 人にどう思われるかを考えないのはもちろんのこと、自分のことも自分の中のもう一人 の自分で評価しない。自分に優しくすることにも通じると思うのですが。。。 頑張らない(頑張れない)自分は、価値のない人間だと思わないというか~ 頑張れる時も、頑張れない時もあって、そういうのを全部ひっくるめたのが自分だって 子どものことを無条件の受容をするみたいに、自分のことも無条件の受容をしてあげる ごく自然にそう思えることが、大事なことのように思います。 大人も子どももそれが出来れば、もっと生きやすくなるように感じます。 自分がなかなかそう思えなかったのは、やはり生まれてからこれまでの刷り込みだった のかしら?人間に生まれたからには(笑)頑張って自分の夢ややりたいことを成し遂げ ようみたいな刷り込みが。。。 人生設計じゃないけど自分の人生はこうありたいみたいな理想があって、それに向かっ ていつも努力して、1つ1つのことをこなしていくのが正しい生き方みたいな刷り込み が、ずっとあったように思います。 「大きくなったら何になりたい?」ってよく聞かれて、もちろんそれは年齢とともに、 段々と変化はしてきたのですが、それがいつも頭のすみにあったように思うなあ~ もちろんそれは決して悪いことではないのだけれど、それに縛られた部分もあったと、 今感じています。ほんの小さい物心ついた頃からあって、学校へ行くようになってより 強化されていったような気がします。 そして何の疑問も抱かず、正しいことと思って子どもにも刷り込んできた。。。 それは私一人がそうしたわけではなく、子どもは色々な人からもそう思うように言われ てきたと思うのですが~ だからその考えに従って、子どもが前を向いて進んでいる時は、安心していられた。 自分の理想とする生き方に、子どもが向かっていると思えたからかなあ~ でもそこから外れると、どうしていいかわからなかった。 そういう生き方しか、知らなかったから。。。 ここ数年子どもと一緒に、頑張らない人生を味わってきてみて、これも悪くないなあ って思えるようになってきました。 頑張らないから、当然成果も評価も求めない。人と比べない。無理しないから疲れない でもまだ、頑張ってしまう時もあります。頑張らない自分に罪悪感を感じてしまう時も おそるべし!刷り込み! その時々の人生の流れに身をまかせてみるというか、いい時も悪い時もあって、それは 自分の努力(頑張り)だけで、どうにかなるものでもないんだって思えます。 その時の自分の気持ち次第で、頑張りたいと思えば頑張ればいいし、頑張りたくないと 思えば頑張らなくてもいい、どちらでもいいんですよね~ 先のことは誰にもわからないわけですし。。。在るがままで。。。 ただ子どもはなかなかそうは思えないみたいですけどね。年齢の違いかしら~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.08.24 13:54:23
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