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カテゴリ:私のこと
過去に2回あります。自分を見失っていたというか、余裕がなかったというか。
その1回は息子が不登校になって、自分の心までが病んでいた時、そしてあと 1回が、就職して1人で暮らしていた3年間です。それも自分の一部と言えば そう言えるのでしょうけど、あまりにも忙しくて自分を感じる時間がなかった からそう思うのでしょうか。。。 自分の過去を振り返らざるして今の自分は語れないと言うか、昔の自分と今の 自分で変わったところは多いとしても、変わっていない部分、根っこの部分は ずっとあるのかしらねって思ったりもします。 私は大学を卒業して3年間教員をしていました。大学が教育学部だったから、 自然とその流れで教員になったわけですが、今考えてみると特別教員になりた かったわけでも、特別この仕事に思い入れがあったわけでもなかったんじゃない かなあって感じています。 大学の時は中学校の教員養成のコースにいたのですが、その時の流れとして、 小、中、高 の全ての免許をとって、その時の採用の状況を見て、就職しやすい ところを受けるというのが一般的だったように思います。少なくとも私の周りは。 私は小学校の教員採用の試験を受けました。何となく小学校の方が自分に向いて いるような気がしたのと、採用される人数が多かったからなのですが。。。 そして、自分とは全く縁もゆかりもない県外の採用試験を受けました。 父が地元で教員をしていたから、その子どもという目で見られるのが嫌だったから と言うのが大きい理由だったと思います。 教員をしていた3年間は、自分のこうありたいと言う理想と現実とのギャップに 日々悩む毎日でした。どんな仕事でも最初は皆そうなのかもしれませんね~ 今振り返ってみて(たった3年間ですが)思うのは、教員の仕事って単に勉強を 教えることよりも、子どもの人格形成にかかわることの方が大きいと感じます。 だからある程度の人生経験を積んだ方でないと、本当に大変だと思います。 授業の準備よりもその他の仕事、学級経営や子ども一人一人への対応、保護者 との折衝、学校全体での役割を果たす校務分掌、研修、会議等にあてる時間の 方が、圧倒的に多かったように思います。 そしてそのやり方を細かく指示されましたし、いくらやってもやり過ぎると言う ことは無かった、ここまでと言うキリが無かったなあって今感じています。 そして人間相手だから、予測がつかないような突発的なこともよく起こるし。 だから勤務時間内に終わらないような仕事(プリントの採点とか)は、よくお持ち 帰りして家でしていました。そして自分の理想とするような仕事が出来るように なる前に、辞めることになってしまったのですが。。。ちょっと体をこわしかけた こともあって。。。 基本的に子どもは好きだったから、もっともっと子どもとふれ合いたかったです。 そう言う楽しさが教員の仕事の醍醐味だと思うのですが、時間的にゆとりが持て なかったですね~そして要領が悪くて、1つ1つの仕事に時間がかかり過ぎていた のだと思います。 「あの時あの子にこうしてあげたらよかったなあ」とか「こう言ってあげたら」。。。 と後悔することが多いです。自分にそれだけの技量も度量もなかったからしょうが ないですけどね。 1度だけ学校に来にくい子どもを受け持ったことがあります。その時も家まで むかえに行ってましたね。2回ぐらいですが。若気のいたりですね。その時は それがいいことと信じていたから。。。 私にしては、すっごい長文になってしまいました~(笑) 読んでいただいてありがとうございます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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