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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
息子が不登校になった中学校に通っていて、ちょうど時期的にもこの頃から
学校に行き辛くなったせいか、最近その頃のことを思い出すことも多いです。 私がブログを書くようになったのは、その頃からは3年も経ってからなので、 思い出そうと思っても忘れてしまっていることもあるのですが。。。 本当にその当時は自分が自分でなかったから、混乱していて断片的な記憶 しかありません。だから印象に強く残ったことしか書けていないと思います。 自分が今まで生きてきた中で、一番辛かったことって何だろう?ってふと考えて みると、「不登校の子供を持つ、かわいそうな親」っていう目で見られることと、 「いったいいつまで続くの?」っていう得体の知れない不安を持ったことかな~ もっともっと辛いことも一杯体験してきたはずって何回も考えてみたけれど、私は 何度考えてもやはりこれが一番でした(今のところはですが)。 境界線がひけてなかったですね~子どもの問題を自分の問題にしていましたね。 そして世間の目を評価を、気にしていたんですね。今も皆無じゃないですが。。。 じゃあ息子にとっても「学校へ行けないかわいそうな子」っていう目で見られること が、一番辛いことだったのかな?と考えてみましたが、本人に聞いたわけじゃない からわかりません。 ただ誰でもそうだと思うのですが、自尊心を傷つけられることは本当に辛いこと ですよね。自分の存在を否定されたようで、生きてていいのかって思いますよね。 息子は五月雨登校のときによく「学校へ頑張って行っても、みんな俺のことを不登校 っていう目で見る。」と言っていました。 そして最初の高校に入学した時も「中学時代不登校だった」と同じ出身中学校の子に 陰で言われていたことを、憤慨していたことがあります。不登校の言葉に傷ついて いましたね。その頃は特に。。。 不登校=悪いこと ではないはずなのに、親も子も何故この言葉に傷ついてしまうの でしょうか。それはやはり不登校が増えたとは言っても少数派であり、多数派からは 色々と誤解を受ける存在だからかな?怠けているとか弱いとか。。。 学校に普通に行っている多数派からすれば、自分たちには理解できない存在だから、 ちょっと遠巻きにして様子を見てるみたいな感じを受けます。 だから不登校の当事者はすごい疎外感を感じてしまう。それでこれ以上傷つかない ように、自分の周りに壁を作ってしまうのじゃないかと。これは私がそうだったから そう思うのであって、全部の方がそうであるとは思いませんが~ 私の思い違いじゃなかったらですが(自分の体験したことしかわからないから~)、 学校の中でも肩身の狭い、居場所がない存在にされているからじゃないかな。 他の人たちからすれば、自分たちとは関係のない特別な人という目で見られるか 同情されるか。。。中には理解しようとしてくれる人もいるのかはしれませんが~ そこを変えていかない限り、不登校の子も親も学校に居場所は作れないんじゃない かしらって思います。無理に居場所を作る必要もないのかもですけどね。 変えるってなかなか難しいことだとは思います。不登校もさまざまだからこの症状 の子はよくって、この症状の子はダメってことにもなりかねませんよね。そんなに 機械みたいに単純にわりきれないのが人間なんですものね。。。 そして今これを書きながら、私自身もこんな狭い考え方にとらわれていてはダメだ と思いました。かわいそうな自分のレッテルは自分ではがさなきゃね。 世の中には色々な生き方があり、どんな生き方をしても(犯罪とかじゃなければ)、 OKなんですよね。自分も子どもも~ 正直不安はまだあります。これは生きている限りずっと続くのかしら?って思い ます。子どもが不登校に入った当初、暗い暗いトンネルに入り込んだように感じ ていました。トンネルはまだ抜け切れてはいないのですが、ふと手を伸ばすと 同じように手さぐりで、トンネルを歩いていらっしゃる方がいることに気づきました 自分一人じゃなかったんですね~心強いです。 そしてトンネルを抜けたら明かりがあるかもって思える時もたまに出てきました。 たまにね(笑)何の根拠もないのですが~ すっかり葉をおとしたソメイヨシノも春には花が咲くのかな お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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