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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
桜の新緑の葉 空に向かってスクッと伸びてた そのことをどう捉えるか、どう思うか、どう感じるか、それはその人だけのものなん ですよね。だから想像は出来ても全部はわからない。。。 子どもが辛そうにしている時、私は「辛そうだなあ」「辛いんだなあ」と感じてその 気持ちの一部分を受け取ってあげることは出来る。だから辛さは少しは軽くなる かもしれないけど、なくしてあげることは出来ないんですよね。 ましてやそれは本人の問題であって、私が解決できるものでもない。ただ寄り添う ことしか出来ない。(あげるという表現は上目線ですね。) 不登校の初期の頃は、それをしないで提案ばかりしていました。 「病院へ行く?」「カウンセリング受けてみる?」「「薬飲む?」「早く寝ないと朝起 きられないんじゃない」「考えてもしょうがないから、あまり考え過ぎないようにね」 とか。。。まず辛さに寄り添うよりも、早く困った症状をどうにかしなくちゃって思っ てました。辛そうな子どもの状態を 見たくなかったというのもあるけれど、困った 症状が無くなったら、普通に学校へ行けるようになるだろうから、辛さも無くなると 思っていたんですよね。 子どもの葛藤の邪魔ばかりしていたんです。そして辛さを受け取ることをしなかった。 したくなかったのかな?子どもの辛さを真正面から受け止めるのが怖かったのかな? 手っ取り早く解決したかったのかな?なんかいつも焦っていました。治そうとして。 私がそんな状態だったから、初期の頃息子は全く口で吐き出しはしませんでした。 だから荒れたり、ものに当たったり、起きなかったり、行動で吐き出しをしていました。 ただお子さんによっては口でなく、ずっと行動で吐き出しする子もいると後で知りました 私が聴くように心掛けてからは、口で吐き出しすることもあったけど、全部は出せて いないと思います。それは娘も同じだと感じます。自分の感情を外へ出すこと、 ましてや辛いとか悲しいとかしんどいとか、それはそれで本人もすごいエネルギーが 必要ですものね。だからうちにこもる方が楽なのかな?人にもよるでしょうけどね。 そして外へ出したあと、スッキリするかどうかも本人だけがわかることですものね。 時間がかかっても時と共に段々と辛さが薄れていく、そんなこともあるかと思います。 最近読んだ岸本洋子さんのエッセイに、ある病院の電話のボランティアの方が言われた こととして、こんなお話が書かれていました。 相談ではひたすら聞くことに徹する。もっとも避けるべき禁句は 「でも~だからいいじゃない」。つらさを訴える人に向かい「利き手ではなかったから いいじゃない」とか「命が助かっただけいいじゃない」と、つらさを否定するのは救い にはならない。その人を孤独に追いやるばかり。 「つらいんですね」と同じ言葉を返し、あなたの言うことは私に届きましたよそのまま 受け止めましたよと伝えるのが、何よりも辛さをやわらげると。-中略ー その人が内に抱えた思いを外へ出さずにいる限り、どんな言葉も入っていかない。 『からだに悪い』より 実際に会って話をすること、電話できくこと、文字でのやりとり、それぞれ違いはあるの でしょうけどね~まずはそのまんま辛さを受け取るということが大事なんでしょうね。 ただ私は以前実際感じたことがあるのですが、いくら言葉を聞いてもらっても、同じように 返してもらっても、全く受け取ってもらったと感じられなかったことがあります。 多分そこには、共感の気持ちがなかったからじゃないかなあって思います。 うちの子どもは2人とも、感情が外へ出にくいのです。と私が感じているだけかな? 本人がどれほど葛藤しているのかはわかりにくいのですが、出来るだけ感じてみたいと 思っています。親としての度量を試されているのかな?って思いますね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.11 22:13:33
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