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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
書いていて思い出したのですが(すっかり忘れてまして)、私は息子が中学校の不登校の
初期の頃本で読んだ「いいとこさがし」(言葉もそうだったか?)をした記憶があります 借りてきた本だから手元になくあやふやなのですけど、よくされてるものなのかしら? 子どもにはこんなにいいところが一杯ありますよと言うことに気づいて、子どもへの愛情 を再確認していき、子どもとの関係をよくしようみたいな主旨だったかな~ その頃は学校復帰が一番の私の気持ちだったから、なんとかしてそう出来ないかという 自分の下心がアリアリだったのかもしれませんね(笑) 実際にされたことのある方ならよく分かると思いますが、10個くらいならねすぐに書け るんです。20個もなんとか。でも30個40個となってくるとう~んとなります。 私がこれをして一番良かったなあと思ったのは「子どもの頑張り」を心から認められたこと かしら。それまでも認めていなかったわけではないと思うのですが「出来て当たり前よね」 「して当たり前よね」みたいな、上から目線がありました。 たくさんいいところを見つけようと思うと、過去のことからの出来事を振り返らなくては ならなくなります。今はただ寝ているだけでも、暴言を吐いていても、物に当たっていても この子はこんなに頑張っていたんだって、心からそう思えるようになったように感じます。 子どもへの目線が優しくなるというか、あらこんなにけなげな子だったんだわって(笑) そして、それを当たり前に思っていた自分の傲慢さにも気づくことが出来ました。 ただそれをすることによって、自分の子どもへの愛情の質や量が変わってきたかどうかは わかりません。私の場合はなのですが。。。 子どもって、自分から見て好ましいところばかりでは無いですよね~家の子だけかな? 「私とは違うは理解できないわ~」とか「あ~こんなところが嫌なのよね」て思うとこも たくさんあるんですよね。多分他の人より期待が大き過ぎる分それを認めたくない自分も いるのでしょうけどね。それは自分に対してもそうですね。好きなところも嫌いなところ もあります。完璧な人間なんていないですものね。。。 でも好ましいところも、嫌いなところも全部ひっくるめてその人なんですよね。 自分に優しく、人にも優しくってそのことなのかなあ~ 「まあしゃあないか」とか「おもしろいなあ」とか「憎たらしいけどかわいいなあ」とか 「あらあら」とか感じながら、相手を受入れて自分も受け入れて日々仲良く暮らしていく のが家族なのかしらね。 自分から見て「嫌いなところはあるけれど愛はある」(笑)とでも言うか。 自分に何か迷惑がかかって困ったことになれば「それは嫌」「なおしてほしい」と思うこと も、状況によっては言うこともアリなんですよね。 遠慮なくそういうことを言える関係が(子どもから親へも、親から子どもへも)フラットな 関係なのかしら。家はまだそこまでいってませんね。そうなる途中かな? そこに相手に対する思いやりと愛があれば、一回こわれたように見える関係も修復して いくのかな。甘いのかしら? ただ敏感な子どもは何回も何回もその「愛」が本物か確かめようと、おためしをしてくる のだと思います。息子もそうでした。ひょっとして今もそうかな?そして最近娘にもそう感 じる時があります。でもそれは子どもが親を諦めてないことで、親のことを好きでいた いってことなのかしら、と思っています お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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