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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
今の自分の目標は、出来るだけ子どもへの「上目線」をなくすことです。
別に誰かに「そうしなさい」と言われたわけでもなく自分で勝手に「そうしよう」と思った わけなんですけどね。 私の場合、かなり気をつけて努力していないと、つい出てしまいますね。 特に自分自身が上目線で見られた後とか体調が悪い時とか、ちょっと子どもに自分を 誇示したくなる時があります。そうすることによって少し気が済んでバランスがとれると いうか~たまに気を抜きたくなる時もあります。知らない間に気を抜いてる時もありますが 子どもに何か言いたくなる時って、考えたら自分の我欲がほとんどですものね。 もちろん我欲じゃなくって、本当にコレは子どもに言っておかなくてはという時もあるので すけどね。基本黙ってます。世の中にはそんなことを全く考えずに子どもに自分の我欲を バンバンぶつけて、子どももそれを流せて、何の差しさわりもない親子もいるわけで。。。 表面上はね。中身まではわからないけど。別にそんな風になりたいわけではないけれどね でも、たまには思いっ切りそのままを、子どもにしゃべりたいという自分もいるわけです。 「これは誘導になるだろうか?」「支配になるだろうか?」「我欲じゃないかな?」とか アレコレ考えずに(脳を通過させたりせずに)。これは愚痴ですね~多分(笑) 何でも無理な我慢をすることは、よくないって言われますよね。 「心は鏡」だから我慢していると(心に不満を持っていると)、それが伝わって子どもは いつまでも元気にならないとも言われますね。でも果たしてそうなのかなあ? 確かに自分の心と裏腹なことを言うのは、よくないと思いますね。 う~ん。自分の正直な気持ちとしては、我慢してそうしている時もあれば我慢してない時 もあります。人間だからどうしてもそういう時があります。 戴いたお菓子 ただ以前のように、自分の我を通そうとすることは(特に子どもに対して)なくなりました 相手を尊重しようと思えば自然とそうなりました。我慢ではなくって、譲るという感じかな 自分の思いが少しでも伝われば、ラッキーかな?くらいの軽い気持ちになりました。 子どもには自分のこうしたいという思いがあるから、そっちを優先してほしいですしね。 「へー」「そう。ふーん」ってね。それが自然に出来るようになって随分らくになりました 自分の思考や癖に気づいても、それを変えることってなかなか難しいですね。 長年の間に色々な人とのかかわりの中で、身に着けてきたものですしね。 今まではこんな風に振舞う自分が好きとか嫌いとか、あまり意識せずに生きてきたのかな それで、そんなに困ることもなかったし(就職してた時は少し困ったこともありましたが) 大きなトラブルもなくやってこれたから、ある意味幸せだったのでしょうね。 周りの方が合わせてくれていたのでしょうか?いや~皆さん迷惑かけていたらゴメンなさい 子どもも今、自分を作っていってるのかな?今まで刷り込まれてきたものを取捨選択して 本当に自分のしたいと思うこと、かかわりたいと思うことをさがしているのかしら? 大人でも見つけるのは大変だから、子どもも大変かな?それとも子どもはもっとしなやかで 思考が柔軟だと思うから、そんなに大変じゃないのかな~ なんか支離滅裂な文章になりましたが、決して酔ってはいませんよ(笑) 愚痴っぽいなあということで、お聞き流しくださいね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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