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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
世の中には自分の持てる力の中で、自分を精一杯向上させて生きたい人と、その時の
なりゆきまかせで、無理に頑張らずに生きたい人とに分けられるのかしらってふと思い ました。本当に大ざっぱに分けてです。以前に『がんばらない生き方』という本を読んだ 時にも、そう感じたのですけどね。(2012年9月4日の日記参照) だからそのどちらかに属する人が、反対の立場に属する人のことを理解することは難しい だろうなあって、自分のことを考えてもそう思います。 私は自分自身のことを言えば子どもが不登校になるまでは、どちらかと言えば前者に近 い生き方をしていたのではないかなって思います。そういうふうに刷り込まれてきたという かね~だからそれが抜け切れていないところもあると思います。根が真面目だから(笑) でも今は許されるのなら、後者の生き方を目指そうと思っています。その方が楽ですもの。 ただいつもいつもそれで済まない時もあるから、それをミックスさせたようになるかな? そういう意味でも、子どもの不登校は明らかに私の人生の転機になる出来事でした。 娘が学校に行き辛くなってほぼ2か月が過ぎました。今は夏休みということもありゆるん でるからか、表情も悪くないですね。新学期からはどうなるかわかりません。この後入試 も控えていますしね。本人の進学したい気持ちに変わりはないようですが。。。 先生とお会いした時に「お母さんが落ち着いておられるから私はすごく救われてるんです」 っておっしゃっていました。「あら。私そんなに落ち着いてる?」って思ったのですが。 そして「これからもずっと落ち着いていられるかどうかわからないよなあ」とも感じました 「学校へ来れない本人もなんですが、保護者のかたが動揺されてるケースが多いんです」 「どうしたら学校へ行きますか?学校へ行けるようになりますか?」と先生に聞かれたり するみたいですね。それがね~本人にもわからないのにね(うちの場合はなんですが) 確かに息子の時は私もパニックになっていたなあって思いました。あれこれと原因探しも しましたし。今も落ち着いてるわけではないし、時々不安や辛さは襲っては来るんですが それをあまり長引かせないようにはなりました。自分の中だけでおさめられるようにも。 「これは本人の問題」「なりゆきにまかせよう」と考えられるようになったからかしらね。 最初に書いたような、前者の生き方を批判しているわけではないのです。人生は長い とは言っても限りはありますものね。その時に与えられた環境で自分の持っている力を 最大限に発揮して、よりよく生きることが出来れば素晴らしいと私も思います。 でもそうしたくてもそう出来ない時もあると、ここ数年で学びました。問題は子どものこと でしたが、その子どもを見守る親である自分にもその問題は課せられた気がします。 そして自分の努力では、どうにも出来ないこともあるということにも気づきました。 だからそんな時ほど、なりゆきまかせなんです。あがかず、自分のことも否定せず。 どちらか一方の生き方に、決めてしまう必要もないのかもしれませんね。 その時の人生の流れのようなもので、前者で生きていく時と後者で生きていく時とあって いいのかなって。そして自然にそれが出来れば、生き辛さもましになるように感じます。 それにたとえなりゆきまかせであったとしても、そこに何らかの自分の意思ははたらいて いるんじゃないかな。私もまた前者のような生き方がしたいと思う時がくるかもしれません それは、「そう思わなくっちゃ」じゃなくって自然にね。 昨日の娘のブランチ。サンドウィッチとスムージー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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