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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
って言う内容のお友達からのメールが昨日にあって「どうしたらいいと思う?」と相談され
ました。内容をきくと確かに理不尽なんです。「わかるよ」「辛いよね」って返したのだけ ど、「どうしたら」というところは、正直どう返したらいいか迷ってしまって。。。 何か適格なアドバイスらしいものを、求められていたのかなあ?とも思ったのですけどね。 内容は書けませんが人間関係のことです。 私はその方の気持ちの全部は到底わからないし、それまでの経緯も全て把握してるわけ じゃないですしね。でもその方は何か言ってほしいみたいなんですよね。 でも「こうしたらいいよ」と言ったとしても、結局は自分のしたいようにするだろうしね。 もともとの自分の考えもあるだろうし、「こうしたい」という思いもあるでしょうしね。 カウンセリングでも答えは言ってくれないですよね。それはもともとその人に備わってる 内在する力を信じる、ということなのでしょうね。 「私だったらこうするかなあ~でもこれは1つの意見としてきいてね。何でも聴くから」と 返しました。そしてここでも、境界線なのかなって思いました。 子どもになかなかそう出来なかったのは、どうしてかなあ~って思いました。 今でもつい自分の意見を言いたくなってしまう。言わずに我慢してる時がよくあります。 子どもは自分より人生経験が少ないかもしれない。考え方も自分より片よってるかもしれ ない。でもそれだけなら、上目線をなくしてお友達にするように相手を尊重しようと考え れば、そんなに見守ることは大変じゃないような気もします。 「待つ」と言うことが大分自然に出来るようになってきたけど、「こうした方がいいんじゃ ない~」ってつい言いたくなるのはどうしてなんだろう?子どもの試行錯誤する姿や葛藤す る姿を見ると、胸が苦しくなってしまうのはどうしてなんだろう?それは依存なのかなあ? 命にかかわるようなことじゃなくても、子どもが苦労する姿を見たくないと思ってしまう。 挫折して絶望してほしくない、と思ってしまう自分がいます。 自分が早く安心したいからかなあ。そこかしらね。自分の心配はね。 今日実家に行ってきました。一緒にお墓参りに行って、その後一緒にご飯を食べて、最近 にしてはわりとゆっくりと滞在した気がします。そうするとやはり話題になるのは子どもの ことなんです。正直なところを言えば、「放っていてほしい」です。アレコレと言われたく ありません。別にわかってほしくもありません。助けてくれなくてもいいんです。今はね。 何も言わずに自分たちの生活や体のことだけを、心配していてほしいのです。 出来たら機嫌よく楽しんでほしい。これは息子が私自身に感じていたことと同じかしらね。 そして、娘も今そう感じているのかもしれませんね(心の中まではわからないけど) 私はなのですが親に心配されるのって、すごくプレッシャーになるんですよね。 それは「ありのままのあなたでいいのよ」ということとは真逆な気がします。 今の姿が認められないから、そして自分の「こうなってほしい」という姿から離れていって しまうことが心配なんですよね。きっとそうしないと自分が安心出来ないから。 そして今書いていて思ったのですが、子どもが自分のことが不安でなかなか1歩が踏み 出せないのは、自分がこれからどうなっていくか分からないから不安なのかな? 本人の性格もあるのでしょうけどね。そして踏み出すタイミングも人それぞれなので しょうけどね。早ければいいというものでもない気がします。 今まで刷り込まれてきた「こうあらねば」の自分の姿じゃなくって、自分の思ったように 自分の人生を歩いていく。その先には自分の思い描いたような自分の姿があるんだろう かって思う。よりよく生きたいと思っているからこそ、立ち止まったのかしらね。 そこまで考えているかどうかは、わからないのですけど。。。 芙蓉 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.08.13 18:35:24
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