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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
この間からずっとブログを書くことについて考えていました。
「以前ほど書くことがなくなってきたなあ」と言うのが正直な気持ちかな?(笑) はて、私はどうして書いているのだろう?と思うのですけれど、「書きたいという気持ちが あるから書いている」というのがピッタリときます。 何のためにと聞かれたとしたら1番最初に思いついたのは「自分の考えを整理するため」 です。書いてみることによって「誰の問題か」ということがより明確になってくるからです これを頭の中だけでパッと整理出来る方もいらっしゃるのでしょうが、多分私は言葉に してみないと、なかなか納得出来ないタイプなんでしょうね。 基本的に子どもの問題に、親が介入することは出来ないですよね。 子ども自身の手にあまって「助けて」と言われた時以外は。それは本人の問題であって 本人が決めていくことだから。親は子どもの内在する力を信じて本人がその問題に向かう ための、落ち着いた環境作りの手伝いをすることぐらいかなあ~出来ることはね。。。 ブログに書くことで私がよかったと思えるのは、自分が今困っていることを書くことで その問題を客観的に外から見れることだと思います。渦に巻き込まれないというかね。 そしてコメントをいただいたりすることで、「こう考えたら」というような自分一人では 気がつかないようなことを教えていただけたりします。そして「自分だけじゃないのね」と 思えたりもします。問題の輪郭がよりはっきりして視野が広がり「たいしたことじゃない」 「乗り越えられるかな」と思えたりすることが、とてもありがたいなあと思います 2番目に思いついたのは、「つながりたい気持ち」があるからですね。 私が子どもの不登校を経験して1番ダメージを受けたのは「孤独感」じゃないかなあ。 こんなに自分の周りにはたくさんの方々がいらっしゃるのに、私だけがこの問題に立ち 向かわなくてはいけない(実際は自分だけじゃなかったんですけどね。気持ちの上でね) という孤独感。これにやられました。立ち向かう必要もなかったのかもしれませんが。 そして自分という人間が強くあれば、そんな孤独に感じることもなかったのかもしれま せんが。。。つながりたい気持ちが根底にあるから、つい自分のことを書くのかな~ 人はそんなに孤独に強い生き物じゃない、と私は感じています。 いくら自分のことが好きで自己受容していたとしても、ほかの方とのつながりを求める 生き物じゃないかしら。それは家族や血縁だったり他人だったり。人として自然なこと ですよね。他人とのつながりは、自分から求めていかないとなかなか得られませんよね。 私は苦手分野なのですが(笑)ブログを書くことによって、たくさんの方々とつながりを いただけたんじゃないかと感じています。それも広範囲に。ネットの威力ですよね。 その「つながりたい気持ち」は「依存」なんでしょうか? と考えてみたのですが、正直なところ未だ考え中でよくわからないんです。 私は専門家じゃないから、その定義や言葉の持つ意味からじゃなくってあくまでも自分の 感覚なんですけど、それは「依存」とは別物だと思います。 私自身相手によりけりですが「依存」もそんなに悪いことではないような気もしていますが 題にして書いてみたものの、まだわからないことだらけなんです~ 「つながりたい気持ち」はかろやかで、「依存」は重たいというイメージかしらね。 「依存」って難しいです難しく考え過ぎなのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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