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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
ってどういう時間なんでしょう~私は今そんな時間を過ごさせてもらっているの
かな?って自問してみました。うん。まあまあ穏やかかしら。穏やかじゃない時 もあるけど。穏やかじゃない時はたいてい自分でそれを引き寄せた時。 色んなものを見たり読んだりして、自分の気持ちを自分で落ち込ませたり不安に させた時。これは家の中でも外でもそうです。 向こうから来ると時はそうせざるを得ないですが、なるべく自分からは近づかない ようにしています。今は自分に我がままに過ごさせてもらってるかしら。 出来るだけ自分の気持ちを穏やかに保っていられるようにね。 違ってるかもですが、不登校の子どもが家で自分を守ってるのに似た感じかな? 前はそこのところがよくわかっていなくて、自分の心をより不安や焦りで1杯にして しまうことがありました。でもそう出来るようになってやはり楽になってきたかな。 いつもいい人でなんか居なくても、私は私でいいんです。 そして「私」という器は、そんなに大きくはないというのもわかってきました。 器を大きくしたいという願望はまだかろうじてありますが・・・(笑) この前に「渇愛」と「慈愛」のことを書きました。少し補足しますと渇愛すればするほど 人は不安や焦りを覚えるのだそうです。自分じゃない相手に「~してほしい」と求めるの ですから。そうならなかったらどうしよう困ったと言う気持ちにばかり傾いてしまいます。 喉が渇いた人が「もっともっと」と水を求める状況にも似てるそうです。 でも「慈愛」は大らかでゆったりとした気持ちを生むそうです。 たとえは違うかもですか、小さなお子さんを見ると私はそんな気持ちになります。 自分の心もとても穏やかで居られるのです。 その方が楽しいし豊かな人生ですよね。と、私は思うのですが・・・ やはり私の場合行き着くところは、「自分は自分のままで、子どもも自分のままで いい」と思えることなのかしら。下手にあれこれいじくりまわさないというか。 もちろん子どもの考える自分と私の考える自分は違うわけで、その気持ちに添う ことは必要なんですけどね。 この世界決して1人で生きてるわけじゃないですけど、周りの雑音に流されずに生きたい なと思っています。人に迷惑をかけなければ(人に甘えないという意味ではなく)自由に 生きていいのですよね。誰しも。 ねばならないを手放すことはなかなかですが、自分の気持ちを1番大事にしたいなと感じて います。そんな強さを持ちたいですね。 今から約4年前の息子が娘のこの時期には、私は穏やかなと感じる時間は無かったです。 その時は結果ばかりを追っていたから「そうならなかったらどうしよう」とばかり思って いたから。でも今は「そうならなかったらその時はその時」と思える自分になれました。 自分もその時とからは、確実に変わってきてるのですよね。 少し前ある方が、「小学生の時の自分と今の自分と同じ人はいないでしょう。だから人は 変わるんですよ」と書いておられて、本当にそうだなと感じたのでした。 ただどう変わるかは人それぞれ、その変わる時間も人それぞれ。 出来れば自分の変化も子どもの変化も楽しんで見れたらいいなと思います ワンコにはいつも穏やかな時間を貰ってます。感謝。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.02.02 11:25:06
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