|
カテゴリ:私のこと
とても珍しく昼間のこんな時間にポカンと空きが出来て、しかも
リビングに誰も居ない状態なのです。こんなことはここ最近殆ど ありませんでした。皆今はお家生活ですから~ なので何か書きたいなあと思ってパソコンに向かっています。 今午後2時過ぎです。どこまで書けるかな? 多分ここ数年間ずっとずっと私の頭の隅にあって、普段はがっちり 蓋してるトラウマについて書いてみます。どんな展開になるでしょ うね・・・ 暗くなったらゴメンなさい。でも正直に自分の気持ちを見つめて みたくなりました。 私にとってのトラウマはやはり子どもの不登校です。 過去には自分自身のことでトラウマになることもあったのですが、 時間が過ぎることによって、忘れてしまったり状況が変わってしま ったりして、自分の中では薄れてきましたね。 自分で何かしたわけじゃないのですが、トラウマが解決しました。 時間薬ですね。 その状況を目にしたり、耳にしたりすることで確実に自分の元気が 奪われてしまう、気持ちが下がってしまうことが私にはあります。 それは私にとっては、中学校という場所と、制服姿のイキイキとした 学生を目にすることかしら。それによって、過去の辛い時の気持ちが 蘇ってくるのでしょうね。今は以前ほどじゃないですが。 あのキューっと胸を締め付けられるような切なさ、寂しさ、どこにも 持って行きようのない怒り、時には遭遇することが恐怖ですらありま した・・・ それは子ども云々と言うよりも母親としての感傷のようなものかなと思 います。一言で言うのは難しいですが「家の子がそこには居ない疎外感」 を、まざまざと感じさせられるからでしょうか。 ここまで書いたところで、娘が出てきたので一旦書くのをやめました。 トラウマの解消法としては、その刺激を避けることなのでしょうか? それとも逆療法として敢えてトラウマになるものと向き合うと言う方法 もあるのかしら?避けるよりもそこを深く見つめていくというか。 それも一理ありますね。トラウマがトラウマじゃなくなってくる。却って 自分の自信や強みになってくる。受けた傷の大きさによるかもしれません けどね。 何回か前の親の会で、このトラウマのことが話題になりました。 それは誰かの心ない言葉だったり、そのことを引き起こした状況だったり、 その時の子どもや自分の状態だったり、過去に自分が体験した色々な辛い 出来事なんですけど、皆さん様々に抱えておられるようです。 でもそれを誰かに言えると言うこと、何の批判もなく静かに聴いてもらえる と言うこと。やはりそれは力になります。自分1人じゃないって思えて。 私は聴いてもらうだけで、心が少し軽くなった気がします もちろん辛さが今の現在進行形の方もいらっしゃいますし、そこを少し通り 過ぎた方もいらっしゃいます。でも「うんうん」と頷くことばかりなんです。 私はアドバイスの言葉が入ってくるとしたら、それは自分の辛さを吐き出した後 じゃないかなと思います。それは子どもも一緒なんでしょうね。 そしてアドバイスも必要がない方もいるかもしれません。時間によって癒やされて 聴いてもらうことによって癒やされて、自分で自ら掴んでいく方も。 だから私は親の会の一番大きな役割は、リアルにお互いの辛さを安心安全な場で 言い合えることだと思っています。そして自分もそれを一番求めています。 親が成長するための気付きを貰えるための親の会ではあるのですが、まず自分の 思いを吐き出さなくては、色んな言葉は入ってこないんじゃないかな・・・ 人によって親の会に求めるものは違うのでしょうけどね。 カウンセリングはまた少し違うかなと思います。どう違うかはうまく説明出来ま せんけど。押し付けられないと言うところでは一緒かなと思いますが。 トラウマについて書くつもりが、少し論点がズレてきました。 私にとってのトラウマは少しずつ薄れてきてはいますが、まだそこを掘り起こせる ほど、傷は癒えてはいませんね。 だから向き合うと言うよりも「そこに傷がある」と言うことを自分で知っておいて あげて、自分を責めたり逆に人に怒りを向けたりしないように気をつける段階かな と思います。傷が癒えるにはまだ少し時間がかかりそうですね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[私のこと] カテゴリの最新記事
|