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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
と言っても気温のことではありません。自分が対人関係において、色んな場面で感じる
気持ちの上での温度差のことです。自分と同じような温度だと心地よく、あまりにも 違うと居心地が悪くなる。皆さんそう感じられるのかな?それとも私だけかしら? 余りにも周りの空気を敏感に感じてしまうと、温度差がとてもキツいときがあります。 とてもその場には居られないような・・・今は滅多にはありませんけどね。 親の会に私が行く前からずっと来られてる方が居て、2人のお子さまが小学校の時から 不登校で、色んな葛藤も辛いこともあったようだけど、しっかり前を向いておられる 素敵なママなんです。その方がもうひとつの親の会にも参加されていて、でもちょっと 違和感も感じられてるようです。私は聞けなかったけど「どうしてそちらの会にも参加 されるのかな?」と思ってたんです。でも最近ふと思ったのはご自分の成長のためなの かな?ということ。あくまでも私の推測ですよ~ 温度差があまりないところでは確かに癒され元気を貰えるけど、あまり自分に気づくこ とがない。もちろん個人差はあると思いますし、まず親が癒されて笑顔になれなくては、 家族にも明るく接することが出来ませんものね。 逆に温度差が大きい場所では寂しさや怒りもわくけれどそんな自分に気づくことが出来る。 そんな自分を否定するのではなく「ああ自分はこういう価値観を持ってるんだな」とわかる それを手放そうがそのまま持っていようが、それはその方の自由なんですけど、そこには 成長が生まれる。人と同じじゃない自分のオリジナルが生まれてくるのかしら。 私は今まで温度差が怖かったんですよね。凹む自分を人を嫌う自分を感じたくなかった。 だから周りの空気をよんで(よみすぎて)目立たないように、その場に相応しい自分で 居られることを第一義に考えてきたんじゃないかな? 家の子どもたちも多分そうだったと思います。それで苦しくなっちゃたのかな?だから 比較的早いうちに苦しいと言えて良かったなあと思います。これから自分のオリジナル の道をそれぞれに見つけて行って欲しいなあ~時間はかかってもね。 文とは関係ないけど春の野菜や果物が美味しいですね 温度差についてもっと書けば、約2年前に東北の被災地を訪ねた時に、語り部の方が 「ボランティアに来てくれるのは嬉しいけど温度差も感じる」というようなことを 言われていたのが印象に残っています。 また私のお友だちのお母さんが、お子さまを事故で亡くされたとき、少し落ち着いてから 会ったときにこんなことも言われていました。「子どものことで悩みがあるとか聞く となんか腹立っちゃう。だって子どもが生きてるから悩めるんでしょう?」 って。私はその方の気持ちをまだまだ受け止めきれないから、その時からはお会いして いないけどどうされてるかしら?と気持ちは寄せています。強い方ですしね。と言うか それしか今は出来ないです。自分の気持ちに余裕がないからですね。 温度差ってきついときもあるけれど、それによって自分に気づける。自分はどういう人間 なのかがよくわかると、自分との付き合い方も楽になりますものね。 自分の心の声に敏感に、周りの空気には時には鈍感に生きることも自分を大事にすること でしょうしね。 温度差を感じてもそれが当たり前になれば良いな~私はまだ時間はかかりそうですが お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.03.13 11:59:21
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