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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
しかもランチから参加したので4時間と言う長時間!!沢山お話を聴いて貰って自分も聴いて
実家の親の話から子どもたちの話から色々とお話ししました。今日は6人参加です。初めて 参加された方もいらっしゃってました。娘と同い年の高校2年のお嬢さんが居る方です。 いつも感じるのですが、私が息子の不登校を経験した時に比べて(比較は良くないけど) 皆さんずっと軽やかで悲壮感が無いように感じるのですが、人のことはそう見えるのかな? 私は娘の時は息子に比べてどっしり構えられたけど、息子のその時期は不安で一杯だった~ それだけ不登校のことが周知されてきたのか、私の器の問題かはわからないのですけどね。 私が親の会で何時も感じることは色々な段階の方がいらして、それがとっても自分の気づき になるなあと言うことです。過去の自分、今の自分、将来の自分?もちろんどうなるかは わかんないのですが、どれも大切な自分と思えるんです。私も子どもの不登校の初期はそう 感じていたなあ~とか、今はこんなところに居るなあとか、でもやっぱりここは手放せて 居ないなあ~とか、本当に目まぐるしく色々と感じることがあるんです。そしてどんな自分 どんな感情も自分の大切な感情だから、大事にしたいなあと改めて思えるような気がします 自分の変わったところもまだ変わらないところも、優しい目線で見られると言うかね~ 今日はすっかり秋の空でした 今日の一番大きな気づきは「人それぞれの違ったペースを尊重する」と言うことと、まず 「親が楽になる」と言うこと、これは「親が自分の人生を楽しむ」とも言い替えられます。 それと「無条件の受容」と言うことですね。皆さんのお話を集約するとそう言うことかな? と感じました。言葉で言うとそれだけなんですが、実際はなかなか難しいことだと思います 何かで迷ったり苦しくなったりしたら、ここに帰ればいいんでしょうね~視野を広げながら 息子の時からもう7年不登校の子の親をやってますが、いや親になって21年ですがそれに 尽きるような気が今の私はしているのですよね無理にそう思うんじゃなくってね。 毎回そう思いながらも、つい悲観的になったり落ち込んだりする自分も認めながらね~ 話は少し変わりますが、この前に図書館で借りてきた『生きる力ってなんですか』のなかで 乙武洋匡さんが書かれてた言葉が印象に残ったので、少し書いてみます。これは子どもたち にあてて書かれたものです。 世の中のいろんな常識を疑おう、それがキミの生きる力になる。 それができないとキミはいつまでたっても自分の人生を生きられない。 自分の人生でない人生とは親に従った人生であり、先生に従った人生で あり、社会に従った人生だと思う。ー中略ー 人生においてはむしろたくさんボールを打ったほうがいい。たくさん打つ ほど力が付く。だから最短距離を狙う必要なんてない。ー中略ー 相談すること自体はいいのだけど、相談とはあくまでも自分で決めるための 材料集めだと思ってほしい。ー中略ー 自分で決めてきた人というのは結果に対しても自分自身で責任を負い、 だれのせいにもしない。 反省すべきは反省し、それを糧にしてやり直すことができる。何度失敗 しても、くやしい思いをしても必ず立ち上がり前に進もうとする。 それが人生において「たくさんボールを打つ」ということ。そうすれば キミの「生きる力」はどんどん強くなるはずだよ。 ここを読んで、私たち親も子ども共々生きる力を付けている今なのかな?と私は感じました この年になって日々成長させてもらえるのは、ある意味とても有り難いことなのでしょうね お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.09.12 22:33:37
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