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カテゴリ:感じたこと・知ったこと
言葉が急に浮かんできて。普段からあまり私は使っていない言葉でした。でも結構今までは
そうできる場面もあったのかもしれないなあって思った「上から下を見下ろすように全体像 を見る」と言うことですよね。偉そうに見るのではなくて。違うかな?何となく冷静な感じ がする言葉ですね。 今回の親とのあれこれはそう出来たかもしれないなあ~って私は感じています。親と自分を 別物と切り離して考えられたからだと思います。血の繋がってる肉親ではありますが境界線 をひけました。でも気になってたのか夜はよく眠れなかったのですけどね。良い意味で 「他人事」と思えたから渦に巻き込まれなかった。だから父と母の関係も冷静に見れた。 ただ年取って親の出来ないことが増えて、頼られる場面はありましたね。過去形ではなく 今もそうですね。でも私の気持ちが一緒に連動しないから楽なんだと思います。 一番それが出来にくいのが子どもたちとの間なのでしょうね。私の場合はね。 空を見るときは俯瞰じゃないけど、広々した気持ちになります 最近ふとした時に昔の自分の気持ちとか、その時の状況とか思い出すときがあります。 今日は息子の中学生の時のこと。まだ不登校とは言えない頃の、学校に少し遅れたり たまに休んだりしてる頃のことを少し書いてみます。 私は部活の人間関係も心配で心配で、部活の顧問によく相談していました。 その時に言われたのが「親と言う字は木の上に立って見ると書きます」と言うよく言われ るあれです。要は「それは子どもの問題なので親は見てることしか出来ない」と言う意味だ ったのですよね。私は「自分の子どもならそう思えますか?」って心の中で思ってました。 そしてそれから何回かこの先生にお会いしたけど、ずっとこの事が胸に引っ掛かってたん です。まるで子どもとの間の線がひけてませんでした。そして俯瞰することも・・・ アドバイス的な言葉が何も入ってこない時期だったんだと思います。息子がどんどん 変わっていってしまうようで、怖かったんです。だから色んなことをしましたね。 最後にこの先生とお会いしたのは、息子が最初の公立高校の試験を受ける前の日でした。 中学校の職員室で私が説明を受けたとき。その日は息子は登校出来なかったから。 私は目の前の試験のことで頭が一杯だった。だから他の先生の顔は見なかったんです。 息子の試験なのにね~ 視線の先にその先生の何か言いたそうな、お顔を見たけれどお互い何も言葉は交わさずで した・・・今でもこの事は鮮明に覚えています。それほど自分には印象が強かったのです。 子どものことを「俯瞰」できるようになったかどうか、未だに私は自信がないですね。 最初の頃のような気負いは無いけれどね~いつか自然にそう出来るときが来るのかな? 良い意味で「他人事」と心から思えるときが来るのか、楽しみにしておきますね。 秋の空と雲 金木犀と青空 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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